散歩のつづき。
電気もつけずに、レースのカーテン越しに届くだけの月明かり、散歩のつづきみたいな夜だった。
「うちに来る?」
と、ふいに言われ、
「もし、よければ」
と、付け加えられるのと同時に、
「もしよければ」
と、答えていた。
もう少しこの人と一緒にいたいと思ったし、寂しげな彼女を放っておいてはいけないとも思ってたけど、きっとそれは、後になってから言い訳みたいに付け加えた記憶なのかもしれない。
とにかく、それが自然の流れな気がしたのだ。
そのあとのことも、たとえばどうだろう、夏の終わりにどこからか聴こえてくる松任谷由実の「Hello,my friend」みたいに情緒的だったとしても、これはもう抗えないなと素直に思えてしまう夜だった。
きっと彼女は、部屋のドアを閉めたあとのキスで気が付いたんだと思う。
僕が女性だということに。
それでも彼女は、離れなかった。
「いいんですか?男じゃなくて。」
「女の子とするの、初めて。」
「するんですか?」
「私じゃ、いや?」
「いえ。もし、よければ。」
ふふっ、と笑いながら僕の首に手を回し、そのまま甘いキスを続けながら、一歩ずつ部屋の奥へと招かれた。まだお互い外の空気を纏っていた。
そのまますとんとソファーに座り、自らブラウスのボタンをはずす彼女は、上目遣いで僕を見る。漆黒の瞳。艶やかな目がゆらりとゆらめく。
ボタンが外れ、するりとブラウスが落ちると、月明かりに白い肌が露わで、僕は吸い寄せられるように首に胸元に唇を這わせる。背中のホックを外し、直に触れると、深いため息が漏れた。
彼女のその細い身体のどこに触れても、唇や舌や指が彼女の輪郭を鮮明に形作った。それは一つの物語みたいに起伏を越えて、頁を捲るたび夢中になって、しがみついた彼女が祈るような声で果てたとき、懐かしいような海の香りがした。
まるで僕に欠けていたピースを見つけたみたいに、「満ちる」という感覚を初めて味わった気がして、月の明るさが眩しくて、もう空に描いてもきっと僕はこの人を一筆で描ける自信があった。
くったりと身体をあずけた彼女が、
「ねぇ、名前は?」
と聞くまで、僕たちはお互いの名前さえも知らず、けれどもそれ以上のことはすべて、すでに分かりあってしまったような、大きな安堵に包まれていた。
「かおる、です。」
「かおるくん。」
「くん? 」
「ちゃん、か、さん、がいい?」
「おねえさんの呼びやすいのでいいです。」
「おねえさんはやめて。りょうこ、です。」
「りょうこさん。」
「ふふ。」
「りょうこさん。」
散歩のついでみたいな夜だった。
変に抗うよりも容易くて、夜が明けて朝陽がゆっくり昇ってゆくくらいの摂理で、僕たちはそのままソファーでくっついて眠ったのだった。
🥟🥟
ジューッ、とこんがり焼ける音がして、目が覚めた。ソファーでうたた寝をしてしまって、気がつけば夕飯時で、キッチンではりょうこさんが真剣な眼差しでフライパンを睨みつけていた。
ボーッとその姿を眺める。
りょうこさんと初めて会った夜みたいな夢を見ていた。知っている風景をなぞるみたいに、触れた感覚すらも伴うようなリアルな夢だった。
「りょうこさん。」
「あ、起きた?かおるくん。今日は餃子だよ。」
むくりと起きて、まだふらつく身体でキッチンのりょうこさんまで辿りつく。
ギューッと強く抱きしめて、髪に顔を埋め、
「りょうこさん。」
と、夢と同じように名前を呼ぶ。
「あ、ちょっとちょっと!」
と、そんな僕に構わずりょうこさんは、フライパンにパカッとお皿を被せ、ヒョイッとそのままリズムよく裏返す。
「おぉーー!」
綺麗に裏返ってこんがり焼けた羽根付き餃子を、誇らしげに見せるりょうこさん。
「すごくない?お店みたいじゃない!?」
と、はしゃぐりょうこさん。
嬉しそうなりょうこさん。
「こっちはかおるくん用だからね。」
「ん?なにか違うの?」
「ふふふ、食べてからのお楽しみー。」
いただきますをして、一口食べたらわかった。
「すっごいニンニク…!」
「かおるくんは、スタミナつけないとね〜。」
「スタミナ…。」
そう言いながらにっこりと笑うりょうこさんは、テーブルの下で、足を組み替えるついでに、ツンとつま先で、僕の足をつついた。
散歩のつづき、夢のつづき。
今夜の月も、明るそうだ。