類似と相違・サービス・エビデンス・学術史のメモ
絶対的な科学が定義できない以上相対的なものになるが、その根拠や方法時代を科学とするのではなく、サービスの評価や基準とする事で、どの程度有効なのかの指標を示す事は出来るのでは?
エビデンスの問題は、実証主義や科学哲学、ソーカル問題などの哲学史の事件から学ぶ事が多いのかもしれない。また、権威や科学を安易に信じるのにに、それらを認めないような傾向がある集団においては、アカデミックな言説と世間で流布している言説に大きな違いがあると考えられる。さらにアカデミック内でも、基礎的な研究と実践的な研究では違いがあると考えられる。そして、アカデミック自体が国家などより大きなシステムからの介入(抑制や操作)を受ける事を考えるとアカデミック内の科学も吟味する必要があるといえる(個人的には人文知の出番ではと思う)。また、学会の分裂という現象は、レヴィ=ストロースやグレゴリー・ベイトソンの部族研究にも類似する所があり、人間の営みとして、分裂がなぜ起こるのか、検討する価値はある問題だと考えられる。評価については下記文献(森俊夫)が参考になる。
ピーター H.ロッシ『プログラム評価の理論と方法ーシステマティックな対人サービス・政策評価の実践ガイド』
日本評論社
アウトカムの問題(個別の評価から社会的価値まで)は、昔に流行った量的に評価できない社会的なインパクトをどのように価値化するかという研究につながると思う。たしか、なめ敵関係で、擬似貨幣か何かと関連させて方法を理論化していた人がいた記憶があるけれど、難しくて私には理解が及ばなかった。
実践に対して妥当性を確保するのか、理論内の整合性を根拠にするのか、と考えると、理論内の整合性は必ずしも個別のエビデンスとはいえないし、実践に対して妥当性を確保しようとすれば、理論的な整合性は困難になる事がある、と言えそう。この辺りを論じられたのは斎藤清二先生だろう。
斎藤清二『総合臨床心理学原論: サイエンスとアートの融合のために』北大路書房
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