
ソイルフルネスSOILFULNESSのススメ〜自分が自分に立ち戻って日々を過ごすために
大学時代はユング大好き、専業主婦から離婚してやっぱり心理系で身を立てたいと思って出会ったのは、ユングの流れを引くプロセスワーク/プロセス指向心理学。その後出会ったU理論やシステム思考、ダイアログやアプリシエイティブ・インクワイアリー、最近ではティール組織やソース原理など、さまざまな組織開発系の考え方にも触発され、自分なりにいろいろなものを融合して開発中のシステムアウェアネスまで、頭じゃいろいろ考えてきて、それなりに実践もしてきました。
おかげさまで、関わらせていただいた人や組織やご家族は、その人や組織、ご家族らしいプロセスをたどりながら、その存在の本来の在り方を探求する日々を送ってくださっており、私自身もまた、その姿に多くを学ばせてもらいながら、自分自身の存在の探求に喜びを感じながら日々を過ごさせてもらっています。
一方、アメリカでのプロセスワークの学びを終えるころから、畑や森、時に海を通じて自然に触れることの大切さを感じ、農や食、森でリトリートできるような場所や二拠点居住などをできる場所を求めて彷徨い、一時は山梨県道志村にご縁をいただいて、行ったり来たりしながらなるべく自然な形で畑でお野菜を育てる体験などさせていただきました。
そこで得た学びは、
雑草から落ち葉から敷地のススキから、精米した米糠からなにから無駄なものはひとつもなく、全てが自然の循環の一部であり、それらが新たな命として大地から芽吹いていているのだということ
そうした自然の全体最適の中で命が芽吹いた野菜をいただくと活力が身体にみなぎってくること
土は岩が風化した砂と動植物の排泄物や死骸からできていて、そこから育ったものをいただくことは、文字通りに命の循環であること
その循環を感じながら土いじりをしていると、自分も自然の一部であるとことが体感的に腑に落ち、癒され、自分の存在の根っこに触れたような感覚になること
よく考えると、現代文明人は排泄物を下水にながし、死骸は焼かれて骨壷におさまることが多い、、、あれ?私たち、命の循環と分断してるかも?
こんな気づきとともに、私に畑を教えてくれた友人は、”循環”をキーワードに農と土壌を中心としたコミュニティを立ち上げ、ついに排泄物の循環まで手中におさめて、暮らしに循環が根付いた日々が始まっています。
我が家も、道志で畑をする前もプランターにハーブやシマラッキョウなどは育てていたし、畑を教えてもらってからは、プランターを小宇宙にみたてて、なるべく自然に近い環境に挑戦したりもしてきました。


部屋の窓前のベランダにはニラやオレガノ、ローズマリーにミント、たまには食べ物以外のものもあって、沖縄から種を持ってきた月桃や地球守https://chikyumori.org/のダーチャフィールドにお邪魔した時にいただいたコナラが贅沢にもテラコッタに生息していたり、仕事部屋の私のデスクの横からは窓越しにオリーブと食べた種を植えといたら生えてきたアボカドも見えるし、生え放題のレモンバームをポットにつっこめばフレッシュなハーブティーが飲めるし。
コロナでなかなか行かれなくなった道志村を大家さんのご都合もあってお返ししたあとは、これもまたお友達のご縁で東久留米の畑を一緒にさせていただく機会もでき。

ここまで読んでいただくと、土のある暮らしを楽しんでいるように聞こえるかもしれません。確かに、楽しんでなくはないし、虫嫌いの娘は畑に行けばミミズや芋虫に優しくなるし、なにより、子育てに疲れ気味でいつもどこか具合が悪そうな彼女が畑やプランターに触ると元気になります。その息子の4歳児も長いドライバーで土に竪穴を開けて縦の空気と水の循環をよくする地球守高田さんの土壌整備方法をすっかりプランターでマスターしていて、畑で道具を出せば、「どちゅーやろか〜?」と言ってきます。基本的に野菜があまり好きではない彼ですが、プランターからもいだきゅうりもトマトもほうれん草もよく食べてくれるし、いいことづくしです。
でも、まだなにかうまく自分の中で土壌と暮らしがつながっていない、、、
土と関わり始めてから常に私の中にあるこの感覚。
冒頭に述べたように、私は、ユング〜プロセスワーク〜システムアウェアネスという道を歩んできました。付けられた名こそ変わっても、その底で、否応なく惹きつけられ続けて止まないのは結局のところ、
”自分という存在の根っこと繋がりながら、自分以外の存在もそれぞれに繋がっている根っこを信じて、時にはぶつかり、時には笑い、時には共に、時にはそれぞれに、真底から人々がその人らしい人生を謳歌するにはどうしたらいいのか?”
という問いの探求につきます。
そして、突き詰めていくと、結局、全体システムとは自然システムであり、私たちが身体の感覚を開いてそれと繋がりを持てば、自ずと自分の根っこのと繋がっていることができるんじゃないかというところに落ち着かざるを得ない、という感覚が日々確信としてより深く腑に落ち続けています。そして、その”自然システムとの繋がり”に開かれるのに、人の身体と地球の身体が物理的に土を媒介することの有効性もまた、仕事を通じた関わりの中で実践させていただきながら、日々確信として腑に落ちてきています。
でも、土に触れている時はいいけれど、仕事にまみれている時には、こころはともかく身体が繋がれていない感覚があって、心身が一体になっていない気持ち悪さの中で過ごしていたり、そんな時間を多くすごすと、階段を1階分あがって屋上の様子をみにいくのがおっくうになったり、窓を開ければ手が届くベランダに出る気持ちになれなかったり。
そんな時には、
やっぱり、もっと自然の多いところに生活の拠点を移さないとだめなのかな。
でも、生まれ育ったこの場所が決して住みやすいわけではないのに離れようとすると何かがずれてしまって腑に落ちない感覚があるしな。
やはり、二拠点かな、だとしたら森がほしいけど、道志でさえ大変なのに山に一人はおそらく背負いきれないな。
リトリートセンターみたいにする?
いやいや、それじゃ暮らしの中でつながり続けるっていうのと矛盾するし、、と堂々巡り。
そのうち、ちょっと仕事が立て込んでそんなことを考える余裕もなく、屋上ベランダのプランターも東久留米の畑も作業と化し、(いや、作業も楽しいんですけどね。)作業の間はエネルギーが循環するけれど、所詮リトリートのためのサードプレイスのようなリフレッシュはできるけれど、リモートが2/3くらいは残っているので、デリバリーの多くはまだオンラインなこともあって、その身体感覚的なアウェアネスを保つのに難しさを感じていました。
しかし、不思議ですね。
先日、循環仲間とイベントの企画を話す機会がとれたら、その対話の中で降りてきました。
"SOILFULNESS" ソイルフルネス
日本語にすると土壌で満ちてる体験ということになりますが、別に泥まみれになってくださいと言っているわけではありません(なってもいいんですが、笑)。身近な土壌に触れて、その体験を身体に留めやすくするようなちょっとした瞑想のようなことです。せっかく思いついたので、早速、そのイベン提供してみることに。

みんながしているのは、土に触れて、土の下の大地を通じて地球と一緒に呼吸してみるという体験です。もちろん実際に呼吸できるわけではありませんが、身体の感覚でそう感じながら呼吸してみると、案外この大地と一体になってそのエネルギーや自分の存在の根っこに理屈抜きに繋がっている感じを持つことができます。

鍬ふらなくちゃの方、お声がけください。笑

どんなだったかは、写真のコメントをご覧ください。ただ、この体験を活かして、今朝は屋上のプランターで土を通じて大地と一体に呼吸するというのをやってみました。
昨日の今日だからというのもあるかもしれませんが、これまでず〜〜〜っとあった暮らしの中で土壌とつながりきれていない感覚、つまり、自分自身と繋がれていない感覚はかなり薄れていることに気がつきました。
ん〜、やれ自然がないと、、とか森に住まないと、、は私の言い訳だったんですね。私のミッションはそこじゃない。いずれ、時がきてそういうことになるならそれもまたよしですが。
まだ、昨日生まれたばかりの赤ちゃんアイディアではありますが、体感的なフレームをきちんと作るだけで、かなり体験が変わる感覚があるので、ぜひみなさんにも試していただきたいなと思っています。興味のある方にはお声がけしますので、体験いただいてフィードバックくださったら嬉しいです!