
それは大聖堂にもまして神聖な、ただの公園 『生きる Living』
カズオ・イシグロが黒澤明の『生きる』をリメイクすると聞いて、あまりの納得感に笑ってしまった。
当然だ。
にわかイシグロファンの自分でも、共通するテーマをすぐさま感じてしまう。
『わたしを離さないで』のヘールシャムの孤児たちと『生きる』の渡辺さんは、自分自身の死があらかじめ予告されている。
決定された運命のなかで生きる人々の物語として、通底するものがある。
なので、黒澤明の原作にもかかわらず、イシグロ感がバリバリである。
黒澤明のリメイクを観に行ったというより、カズオ・イシグロの新作を観た気分で、魅力の再発見に留まらない面白さがあった。
リメイク部分について
肝心のリメイクについてはオリジナルに忠実で、原作まんまという感じです。
舞台をイギリスに置き換えただけで、ストーリーの骨格はそのまま。
特色は黒澤版にあったクドさが抜けて、英国ナイズドされており、アンダーステートメントでジェントルな映画に変身していたことでしょう。むせかえるような英国臭にスクリーンから紅茶の匂いを嗅ぐことになります。
上映時間が20分短くなるくらい洗練されたイギリス映画になっていました。
クロサワ、イシグロ両作品とも、主役はユーモアたっぷりに描かれるため、キャラクターに愛嬌があっていい。シリアスな物語をユーモアが緩和する。
そのユーモアにも日本とイギリスの違いが現れていて、なお興味深いです。
何よりも神聖だと思える公園
『生きる LIVING』でもっとも好きなのは、主人公ウィリアムズが、他の何でもなく公園をつくる決意をすること。
時が経てば、壊れるか忘れるかされてしまうような類の、小さな公園。
それに残りの人生、総てを注ぐ。
そうして出来上がった小さな楽園は、歴史に残る大聖堂と同じく、神聖で尊い場所のように思えた。
一人の人間に出来る行いは、ごく限られたもの。
ウィリアムズのような人々の想いの上に、今の世界はあって、それを祝福しなくてどうする。私はそれを決して無意味だとはいわせない。