『No Maps〜ウィリアム・ギブスンとの対話〜』との対話
切り刻まれた都市のモンタージュが、明滅するように画面を流れていく。
次から次へとフリッカー融合頻度の臨界点のなかを、幻視の光景が瞬く。
気づけば私は、走行する車のなかにいた。
後部座席を見ている。誰もいない。
『教えてビル。ポストヒューマンとは……』
『テクノロジーが生み出し、ナノテクノロジーが完成させたこの世のあらゆるテクノロジーの相乗効果から生まれた結果のー』後部座席に長身の男が没入してくる。「集大成とも言えるだろう」
かっちょええ。なんだこのドキュメンタリーは……。
没入してきたギブスンは、黒いサングラスをかけていて、それがサイボーグ御用達のミラーシェードグラスにしか見えません。
『No Maps〜ウィリアム・ギブスンとの対話』は2001年に製作された、『ニューロマンサー』の作者、ウィリアム・ギブスンへのロングインタビュー、その模様を撮影したドキュメンタリー映画です。
50時間もの映像を、本編88分、特典映像54に編集した内容です。
このDVD、Amazonだと売り切れで、海外版のパッケージしか表示されないため、日本語版は存在しないと思い込んでいた。
ですが、駿河屋に日本盤があるじゃないか。即購入。博打でしたが、状態のいい再生できるものが届いたため、一安心、レビューを書いております。
キャスト&スタッフ
主役はもちろんサイバーパンクの導師、ウィリアム・ギブスン。橋三部作の二作目『あいどる』を描き終えたあとの頃です。
そのほか、盟友ブルース・スターリングとジャック・ウォマックも出演します。
音楽はなぜかU2。ボノとエッジも出演しています。
U2の90年代のテクノ路線に馴染めなかったのですが、このドキュメンタリーをきっかけに聴きなおしています。電脳空間を想像しながら。
というか調べたら監督のマーク・ニールというのが、U2のMVを手掛けた人っぽいですね。それで。
レビュー
対談は車の中で、ドライブしながら行われる。
常に移動する車内で、窓には合成された風景が映り込みます。なんともヴァーチャルな感じです。
ギブスンが話す内容は例えばこんな感じ。
ギブスンは予防接種というテクノロジーのおかげで、大病をわずわうことなく、今まで生きてこられたと語る。
50代になっても丈夫な歯を維持し、極度の近視になってもメガネ越しにモノを見ることができる。これらは全てテクノロジーの産物だ。
それと気づかないだけで、僕らの現実の全てはテクノロジーに包囲されている。
伊藤計劃が『制御された現実』と呼ぶ世界ですね。
人類は自然状態に戻ることなんてできないし、そもそも望んでいないと、ギブスンは語る。
このnote記事自体もテクノロジーの産物であり、僕はテクノロジーなしには、面白かったDVDの感想さえ、人に伝えられないのだ。泣
一応ギブスンはSF作家ということだから、科学やテクノロジー、未来に関することを話すのかと思いきや、内容の大半は文化、文明論。なんだか腑に落ちるようでもある。ギブスンのこういう部分に惹かれるんだろうなぁ。
ギブスンは、これらテクノロジーが氾濫する社会に対して、怒りや不満を露わにするということはない。ギブスンは終始穏やかだ。では救いとは何か。そう問われたギブスンは、受容だと答える。
人間の存在ははかなく、不完全なものであることを受け入れる。あるいは、この世界は一度きりしか経験できない完璧なものなのだということを。
ギブスンが未来の預言者であったことは一度もない。ギブスンの視点は常に現在にある。自分の仕事はそこで、アクセスできないものをアクセス可能にすることだと語る。
過去に縛られたり、未来に翻弄されるのではない。幸福はいつも現在という瞬間のなかに宿っているのだから。
新しいテクノロジーが発明されるたびに、僕らは相反した感情を抱く。
新規なものへの興奮と、何かが喪われていくという感覚。このアンビバレントな感情の狭間に、現在という生々しい実感が降ってくる。
新しい物を得て、代わりに何かを喪う。
それでも僕らは未来に向かって加速し続ける。地図なき領土を。ポストヒューマンのゼロ地点に向かって。