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映画時評『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』
レビュー
今作の若きウォンカは、いわばベンチャー企業の駆け出しCEOみたいで、チョコレートで一旗揚げるために、新天地へ上京してきた夢想家という風。ウォンカが部屋で鞄を広げてみせ、なかから小さな工場が現れるシーンが最もお気に入りなのですが、それはノートパソコンのようなポータブルな職場を思わせ、まさにベンチャー感が溢れている。
(あとウォンカの佇まいは、ちょっとチャップリンを思わせる)
ウォンカと敵対するチョコレートカルテルの面々は、差し詰め巨大企業、GAFAでしょうか。
この映画の主たるテーマの一つは「アメリカンドリーム」だと思うのですが、「夢は願えば必ず叶う」式のテーマはハリウッド印の表層的なパッケージに過ぎず、この映画も一応そういう結末に落ち着くのですが、どうも監督の意図とは違うような気がする。
ならば隠し味はなにか。まずファンタジー映画というジャンルを選ぶなら、構造で語らねばならないと思うのです。
本作の構造はなにかというと、チョコ作りの技術とアイデアそれに夢を携えてやってきたウォンカ。それを阻むチョコカルテル。教会の権力がカカオで腐敗しているという設定など。こういったものそれ自体が何かを語ってくれると思う。
本作はソブリン金貨ならぬソブリン銀貨がやり取りされる、擬似的な産業革命後の19世紀イギリスを舞台に定める。
教会が権力を握っていた中世の世界は終わり、資本家が頭角を表す、時代の文節点にある。
現にチョコレートによって教会は制圧されており、司祭はカルテルの言いなりである。
この時点で、夢や将来の保証を与えてくれる存在は、神や聖書から、出世や利益といったものに、スコーンとすり替わっているのだ。そういう世界を舞台にしている。
ウンパルンパにしても、すごーく婉曲されてるけど、ウォンカが先住民からカカオを搾取した構図である。
なんか大昔、ガーナの悲惨な真実を見聞きした覚えがかすかにある。(そうだプランテーション農業だ! 懐かしい…)
この映画はファミリー向けなわけで、子供が観にくるのですが、その子供達のなかには、チョコレートがどこから来ているのか、知らない子もいるだろう。
それはウンパルンパのような人たちが、熱帯で育てている貴重な農作物なのだと、暗に仄めかして伝えようとしているんじゃないかとも感じられる。
映画では、ウォンカは夢を叶え、脇役たちもそれぞれのエンディングが用意されて、問題は綺麗に決着する。
しかし実際、カカオを作れば大儲けできるという夢を吹き込まれた人たちが辿った運命とは、搾取という現実に他ならなかったではないか。
でも、映画にはそのような陰惨な側面はなくて、最後まで楽しいミュージカルです。だからと言ってこの映画が恥知らずだというわけではない。流石にファミリー向け映画に、そのようなメッセージを入れ込むことはプロデューサーや映画会社の重役が許さなかっただろう。そういう大人の事情だ。
だからこう、屈折したものにならざるを得ないのかなぁ……。
あと、映画を観たあと猛烈にチョコが食べたくなる。
ちょっとサブリミナル広告のような効果が身体に現れるので、見る人は細心の注意をするように。
大昔、ティム・バートンの『チャーリーとチョコレート工場』をやったときに、劇中のウォンカチョコが実際に売られていて、食べたことがあるんですが、なかにキャラメルソースみたいなのが入っていて、とにかく甘い。ゲロ甘い。
アメリカ人の舌はおかしい。バグっている。味蕾が故障している。肥満と糖尿病へ直行する食べ物が、平然と売られている。合法ドラッグ。
でもやっぱりもう一回食べたい。
追記
ヌードルはどうしてウォンカに文字を教えるのか、最初見ているときは分からなかったんですが、ラストシーンでウォンカは、母のメッセージを読むことができるようになってるんですね。見終わった後、ようやく気がついた。