学校/保育園での悲しきハイハイ合戦【子育て先生育てメソッド】
子育て先生育てメソッド
本日は、ママではなく
学校の先生、幼稚園・保育園や療育・教育に携わる先生に、届けるために書いてみようと思います
教員歴11年
1年目から思い、今も思い続けている(というより苦悩している)こと
それは、現場の先生が無知すぎる!
激しいことを言ったので可愛い画像でごまかすw
いや、でも本当に
なぜ?!と思うことが多く・・・
教員世界、基本善人(穏やかで人当たりがいい)が多いのですが
(たまに悪人いるよ。それでも解雇されない世界ですからね。)
*授業がつまらない
*見守りをしているだけで、教育をしていない
教員の多いこと・・・
その中で、自分の熱意や教育観を話して共有できる相手・同僚のいない孤独感を味わってきました。(だからここで発信してるのですが)
たくさんたくさん教員観察をし、勉強会を開いたりもしてみて・・思ったことは、
教員が『無知』なんですよね。
無知だから、行動分析からの子どもの気持ちがわからない
無知だから、楽しい授業がどれだけ学習効果をあげるか知らない
無知だから、自分の今日の指導が適切だったか振り返ることをしない
無知だから・・・
現場の教員を批判したいわけではない
(自分で勉強会を開いて本や研修で学んだ自分の知識を共有する場を無償で提供していて、むしろ愛がある)
ただ、無知とはそれほど恐ろしく
なにが恐ろしいって、無知である自分に気づきにくい
私たちは子どもっていう一人の人間の人生と付き合っています
背筋を伸ばして、子どもとそして教育者である自分自身とも向き合っていきませんか?
いろんな場所で活躍する『先生』たちに愛をこめて送る
先生育てメソッド
本日は
学校/保育園での悲しきハイハイ合戦
「これはなんでしょう?」「これわかる人?」
の先生の問いかけに
ハイハイとたくさんの手が上がる光景
「はいはいはいはい!」
授業のほんの一瞬、ときたまならアリ、ですが・・・
乱発する光景。
それは、美しくない
「ハイは一回です」「では、一番姿勢の良い人に(当てようかな)」
頭を抱えてしまう、先生ごっこです。
一見、盛り上がっているように見えてしまいますが・・・
安易に問いかけをしていないか?
先生側として安心するけれど(その気持ちもわかる)、子どもたちが自分の頭を使って考えているのか。
先生自身が振り返らなければいけません。
いい授業、いい問いかけ場面では、
子どもが考え・発想します。
その時の空気感は「はいはい!」のお祭り騒ぎではなく
少しの静寂と緊張感があります
思考している間のような
私は小学校の低学年齢が経験値として長いのですが
冒頭に、授業の題材に関する読み聞かせや写真の提示をよくします。
その時の、
子どもの「見る」「聞く」からの「考える」「想像する」時に訪れる間が一番の快感です
「よし、きた」「これで、いける」と思うぐらい
その時の子どもたちの目つきは真剣で、
背筋も伸び・・・
「いい姿勢をしましょう」「先生の話を「聞きましょう」なんて言わなくても
こちらが楽しい授業をすれば、背筋は伸び・目線は合い・耳は機能するのです。
授業は導入で決まる
例えば、音楽活動だったら、
「今日はこの楽器を使います」「これはなんの楽器かな?」「わかる人」
はいはいはいはい!
ではなく、
子どもたちから見えないようにして(ついたての後ろ、箱の中とか)
楽器の音を鳴らします
チーン、チーン
「おや?」「これは?」「きっとあれだ?」「あの音かな?」
その間が子どもの思考している間
はい!で正解する時より、一番の教育活動なのです。
ちなみに、脳には「本能的(原始的)機能」と「識別的機能」があり、
(このあたりは、また詳しく書いてみようと思っています)
この「識別的機能」のスイッチを導入でONにすることが大切です。
その後の学習効果も高まるのです。
日本の先生方、
授業っぽい雰囲気や安易な言葉かけに逃げ、ダサい授業をしていませんか?
教育を盛り上げたい・楽しくしたい
本気でそう思っています。
一緒にしませんか?
自分が向き合うことで、教育界も変わるはず
私自身も実践・実験中なのです