「拍車」
前回は僕が不登校児になった原因についてお話をしました。
クラス替えという「当たり前」のことが最初の原因ではありましたが、そこに「拍車」をかける出来事があり、僕は完全に引きこもりになった時期がありました。
その「拍車」をかけたのは、紛れもなく先生方の存在でした。
本来ならば、助けになってくれる立場である先生に、なぜ「拍車」をかけられることになったのか。
結論から言うと、先生方の「何気ない言葉や行動の積み重なり」です。
例.1
教室には入ることが難しかった僕は、何とか学校に行ける日は別室登校をして、宿題などの自習をしていました。
ある日。少し無理をして別室登校をしてしまい、部屋で横になっていると、1人の先生が様子を見にきてくれました。
「気楽でいいな。お前は。」
どうにか頑張って学校にたどり着いたと思ったのに、先生からかけられた第一声がこれでした。
「他のみんなは教室で授業を受けている中、お前は寝てられるんだな。」
そうにしか受け取ることが僕には出来ませんでした。その日は早退し、泣きながら家に帰ったことを今でも鮮明に覚えています。
よく使われる表現ですが、「言葉はナイフより鋭い」。
まさしく、僕は切り刻まれたわけです。
例.2
そんな傷をつけられながらも、体調の良い日は別室登校を続けていた僕。
「教室に入ることが難しくても、理科室や美術室など、普段と違う環境ならもしかすると授業を受けられるかもしれない!」というところまで徐々に回復をしていきました。
そして、スクールカウンセラーのI先生と相談をし、まずは美術の授業を受けることにしました。
調度その時期は工作を行っている時期であり、その工作に使うパーツは学校に費用を払って購入しなければならないものでした。
意を決して授業を受ける前に、美術の先生に「授業を受けたいので教材費をお渡しします。」と声をかけました。すると先生は、、。
「授業を毎週受けられるか分からないので、受け取れません。」
体が固まり、声も出ませんでした。大切なお金の入った封筒を握り潰しました。確かに毎週授業を受けられるかどうかは体調を見ても不透明でした。しかし、先生に可能性を潰されるとは思ってもいませんでした。
これは、ほんの例に過ぎません。これ以上思い出して書くことは辛いので。
こうして僕は先生を信用できなくなり、家に帰っても両親ですら頼ることができなくなりました。そこからしばらくは、ひたすら部屋で泣き叫ぶ日々の繰り返し。
心から信頼できる人間は、スクールカウンセラーのI先生だけでした。
そのI先生に助けられ、希望を見出せるようになったのは次回のお話で。
では、また。