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いつも頭に「音読」が流れている。
社用車のエンジンをかけるとラジオが流れた。
ゲストはマーティ・フリードマン。新譜のリリースに伴いゲスト出演していた。
演歌のこぶしのニュアンスをギターに取り入れた話や、日本の四季を表現したギターフレーズなどの話をしていた。
ふとしたパーソナリティの「フレーズはどうやって浮かぶんですか?」との質問に対して、「いいか悪いかわかりませんが、私は一日中頭の中で音楽が流れています。そのフレーズの中でかっこいいと思ったものを音源にし、時間を置いて、客観性を持って曲にする」と言った。
オレは驚いた。同じだ、と。
オレには悩みがある。常に「誰かが」頭の中で音読しているのだ。
これがかなりの厄介もので、人から何か話しかけられたとき、音読がうるさくてほぼ聞き返してしまう。
誰かと話をしている時も音読されているので気が散ってしまい、人の話が入ってこなかったりする。
オレは頭がおかしいのだろうか、と悩んで時期もあった。
長いこと、悩んだ。どうにかしようとしても、音読は止まない。むしろ年々強くなる一方である。頭が痛くなる時すらある。
マーティ・フリードマンのそれは、辛かった時期もあったのではないだろうか。常にメロディがなっているのだからまともに人と話せないときがあったのかもしれない。しかし彼はそれを武器にした。ギタリストとして武器にした。
「自分の欠点」だと思っている部分は、見方によって武器になり得る。とある側面だけからみれば欠点的な部分も、多角的に見るれば長所になりうる。
嫌で仕方ない「音読」も見方や付き合い方でとんでもない武器になるのかもしれない。悩みだけで終わらせるのは勿体無い。
ラジオを聴いてオレはそう思った。
ありがとうマーティ・フリードマン。
ありがとうラジオのチャンネルを合わせておいた誰かさん。