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『死刑に至る病』を観て後悔した話

評判だけで中身を知らないことの怖さ


有名作品の題名を模した時点で苦手意識がわく

『死刑に至る病』を、アマプラで観た。
小説が出ていることも、映画が前評判も公開後も、高いレビューがついていたことも知っていた。
この映画を観ようと思ったとき、たいていは予告を見ずに選ぶことが多い。理由は、予告というのは良し悪しがあると思っているからだ。予告によって中身のほとんどが分かってしまうことが、わたしにとってはデメリットとして映ってしまう。

そんな中でも、この映画を選択したのは理由がある。
わたしはずっと以前から、哲学に興味があり、中でもセーレン・キルケゴールは夢中で本を読んだことのある哲学者の一人だ。彼の代表作『死に至る病』それこそが、今回観た『死刑に至る病』と酷似していることが、この映画を観た理由の最たるものだ。

もちろん、『恋に至る病』だの『○○に至る病』だのという、ラノベや創作物が横行していることも知っているので、今回観た『死刑に至る病』にも期待していなかった。
そもそも、題名を模した作品や、有名な題名をそのまま使用した作品が多く出ていることには、以前から良く思っていない。

わたしは以前から言っているように、堀辰雄の『風立ちぬ』が好きなのだが、『風立ちぬ』といえば今や、ジブリ作品の代名詞となってしまった。
原作クラッシャーとしてのスタジオジブリには、少し前から嫌悪感に似た気持ちが湧いてきている。
『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』などは好きな作品なのだけれど……、などと話が脱線してしまったが、つまりはキルケゴールの代表作である名前をほとんどそのまま使用している時点で、わたしにはいい印象を持たれていなかったのだ。

「それなら観なければいい」と言われそうだが、それでも観てしまったのは、やはり気になったからだった。
『羊たちの沈黙』や『藁の楯』などのホラーサスペンス的な作品は好きなので、考察を深めては観ることができるだろうと、自負していた部分があった。なめていた。

作品紹介

鬱屈した日々を送る大学生・筧井雅也(岡田健史)は、あるとき榛村大和(阿部サダヲ)という男から手紙を受け取ります。榛村は24人の殺害容疑で死刑を求刑されている連続殺人犯でした。その後、拘置所で榛村に会った雅也は「立件されているうち1件の犯人は自分ではない」「冤罪なので容疑を晴らしてほしい」と頼まれます。 調査を始めた雅也でしたが、そこには思いもかけない残酷な事件の真相が隠されていました。

感想

今回観たのは映画でした。
もしこれが、小説から読んでいたら結果は違っていたのかも知れません。
初めは、中山美穂さんが出演されていることに、懐かしさと切なさを感じていたのですが、次第にその思いも忘れるほどの映像が目に飛び込んでくるのです。
なにせ、殺害状況やその描写がリアルすぎて、あまりにも凄惨な出来事が目の前で繰り広げられているような感覚になりました。
何度もなんども、違う被害者を殺害する様子が事細かく描かれています。

絶対に、食事中に観てはいけません。
阿部サダヲさんの演技が素晴らしすぎて、原作にどれほど忠実なのかわかりませんが、映画であることを忘れて観ていました。
結末まで満足感のある作品であったのは間違いありませんが、「もう一度見たいか?」と問われたら、間違いなく「NO」と言います。
しばらくは、トラウマになるかも知れませんが、他の映画を観て気を紛らわせています。

昨日から、『オッペンハイマー』を観ています。やはり、アマプラで。
思い出したくないほどの衝撃だったのですが、いまや、わたしの頭の中には『榛原大和』がずっと居座っているため、これを書かずにはいられませんでした。

もしかしたら、これは、榛原に書かされているかも知れない……。

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尾崎コスモス/小説家新人賞を目指して執筆中
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