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書店の罠にハマることは必然

ブックオフが無くなって本を買うことが無くなると思っていた浅はかな私

近くのブックオフが無くなった。
私にとって最も恐れていた、自宅から最も近い古本屋が無くなったのだ。
これはチャンスだった。
「これで、本を買うことも無くなる!」
恐らく誰もがそう思っていた。(誰もって誰だ)
自宅を中心に最寄りとなっていた4件の書店のうち、2件がつぶれたのだ。
これは勝ちゲームに違いない。
どう考えても、年間を通して買う本の量は少なくなる、はずだった。

ところが、最寄り駅の駅前には、最も強敵であるTSUTAYA書店が残っていた。新刊本を売ることに関しては、最も強いと言っても過言ではない。
私は、まんまとこれにハマった。
TSUTAYA書店に、ふらっと立ち寄ることが明らかに増えたのだ。

言われてみれば、昔からそうだった。
手元に1000円しかないのに、ついつい立ち寄った書店で欲しい本が1000円で売っていると、昼食代として母からもらった手元の1000を使っても買ってしまう。当然のように、昼食は抜きである。

このようなことは日常茶飯事だったため、特別なエピソードとして思い出すこともない。いつも、一事が万事、本を買うことを優先してきた人生だった。
だから、原田ひ香さんの小説『古本食堂』にも出てくるように、「学生時代にどれだけ本を読めるかが勝負」という言葉を信じて生きてきた。
結局、本を読みすぎて勉強を疎かにしてしまうという、本末転倒感をあらわにするのだが、こうした自分が嫌いではない。
今でも、「学生時代にどれだけ本を読んだかで人生は決まる」と本気で思っている。つまり、自分の人生も、これからだというつもりで、いるのである。ちゃんちゃらおかしい人は、笑ってやってほしい。

だからというわけでは無いのだが、駅前のTSUTAYA書店に立ち寄ることが増えてしまうわけだが、当然のようにレジに運ぶ本の数も比例して多くなった。
断捨離をした自宅の本棚が、あっという間に増えてしまっている。ところが私には、今年中にオープンする【ブックカフェ・バー】がある。本が増えて仕方がない場合は、そこに運ぶことがベストだと思っている。だから、現在の私は、本が増えてしまうことには、恐怖心が無いといってもいい。

本というものは、人生を豊かにする。
幸いにも、増え続けている本は、積読にならずに読了数に加算されていっている。
働いていても、本が読めているのだ。
「働きつつ、読みましょう」
というメッセージを、サインと共にくださった三宅香帆さんの言葉にもあるように、学生時代に読んだ本の数に追いつき、追い越すように社会人になってから読んだ本の数は増え続けている。ひょっとしたら、もはや、学生時代に読んだ本の数よりも多いかもしれないが、それでも学生時代とは、比べ物にならないほどの影響力しか自分の中に感じていない。

だからこそ、社会人になってからの読書が、人生を変えることになってい行くように、これからも本を読んでいきたいと思う。
書店が少なくなっても、本を買う数は増えている私は、これからの人生をもっと彩り豊かにするための読書を極めたいと思う。

内省することによって、読書を活かすこともできる。
読書することによって、内省がすすむこともある。
いずれにしても、本を読むという行為は、私にとっては、かけがえのない個人的な営みなのである。

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尾崎コスモス/小説家新人賞の卵
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