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「光る君へ」第一話の冒頭まひろの家を語りたい!

平安時代が好きすぎて、ワンカットずつ映像を止めてまじまじ見ちゃう私が、私なりの楽しかったポイント、メモなどをつらつら書くノート。
参考文献は最後の方に記載します。

開始1分36秒あたり:まひろの家

雨粒がまひろの家に落ちてくる描写。真上から撮っており、敷地内にいくつかの建物があることが分かります。
寝殿造ではないのは容易に分かります。

ところでところで…。
平安京の作りですが、京の都は碁盤の目のようになっており、以下の図の赤い1マス(通と通で裁断されたひとマス)を一町と言います。一町の大きさは120メートル四方
学生の頃に走った100m走を思い出していただけるとかなり大きいのが分かります。

風俗博物館(https://www.iz2.or.jp/heiankyo/)

大貴族の邸宅は一町だったり、二町だったり、源氏物語の中で光源氏は六条院と言って、四町分の土地にどえらい豪邸を建てたりしたわけですが、もちろん中流以下の貴族や庶民はこんな大きな土地は持っていません。

平安京の敷地の最小単位はこの一町を32分割したもので、これを一戸主と言いました。間口約15m、奥行き約30mの大きさです。
(ただ実際には、この一戸主をさらに細分化して小家が密集していることもあったと言われています。)

まひろの家は、上空から撮った絵と翌朝の映像からすると、一戸主から二戸主ぐらいで描かれているように見えます。

史実では、紫式部の生まれ育った邸第である堤第(つつみてい)は、左京からちょっとはみ出た鴨川のほとり、現在の廬山寺か梨木神社の地と推定されています。
以下の図の右上部になります。

風俗博物館(https://www.iz2.or.jp/heiankyo/)に追記したもの

堤邸は、紫式部の曽祖父で中納言まで登った、堤中納言こと藤原兼輔が残した邸宅で、建築当初は約一町ほどの大きさでした。
さすが中納言。

それを祖父の雅正が相続し、さらに紫式部の父為時とその兄為頼で半分ずつ相続したと考えると、そこそこ大きな邸宅になります。
ただ、明確な資料は残っていませんので、実際どうだったかはわかりません。

ドラマの中でのまひろの家は、どうみても半町ほどの大きさはないので、もう少し小さい家で育ったという設定のようです。

『NHK2024年大河ドラマ 光る君へ THE BOOK』の説明によると、ドラマの中の為時の家は、奈良時代の建築様式と寝殿造の間をとり、中央の寝殿から台所や使用人小屋などが渡殿で繋がっていない作りになっているとのこと。庭の水は家の近くを流れる鴨川から引き入れている設定だそうです。
貧しいけど小綺麗な感じがうまく出ています。

ところで、「光る君へ」で出てくる几帳、全てスケスケです。
驚きです。
几帳にも冬用と夏用があり、夏用は生絹(すずし)で作られていたようなので、透けるのもあったと思いますが、壁としたり、顔を見せない相手との間においてお話ししたりする用途もあったのでこうも全部スケスケを置かれるとはびっくりでした。
いや、もう「貴族の女性は顔を見せない」という時代背景はほぼ無視してドラマは進んでいるのですけどね…。

几帳の他に、烏帽子もスケスケで視聴者を驚かせていますが、今回の大河は全体的に透け感を大事にしたようです。
(NHK「光る君へ」公式HPの特集よりhttps://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/blog/bl/ppzGkv7kAZ/bp/pMoWogo5OM/

ところで、几帳にも前後ろがあり、支えの2本の棒がある方が内側、ない方が外側です。

これを逆にしている漫画、映画、本の挿絵などをちょくちょく見かけます。
「光る君へ」が始まる前に、NHK BSで市川雷蔵さんが出演していた「新源氏物語」が放映されていたので拝見したのですが、几帳が全部逆で置かれていたのであらら〜…という感じでした。
(いやあれは几帳云々以外にストーリー的にも色々ツッコミどころはあるのですが、まぁそれはそれで楽しみました。)

まひろの父母、為時とちやはについてはまた次回…。

《参考文献》
倉田実『ビジュアルワイド 平安大辞典 図解でわかる「源氏物語」の世界』
倉本一宏『平安京の下級官人』
倉本一宏『紫式部と藤原道長』
NHK大河ドラマ「光る君へ」公式HP
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/


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