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場面緘黙が酷かった子供とマシになった切っ掛け

生まれてから中学生くらいまで、私は場面緘黙(選択性緘黙)でした。


「場面緘黙」という言葉を知った時、私は恐怖を感じました。
だってあまりにも幼い頃の私そのものだったから。

明確に診断されたわけではありませんので「恐らく」と付けたほうが正確ですし、これをプロフィールとする気はありませんが、この自己評価は的外れでもないでしょう。

それまで私は自分の事を酷い人見知りだと思っていましたし(そしてそれは事実ある程度間違っていないでしょう)、自分の性質に「人見知り」以外の名前が付くとは思っていなかった。


大庭葉蔵よろしく恥の多い生涯を送って来たわけですが、恥知らずですので「酷い人見知り」を自覚した保育園時代と小学生時代、中学生時代、そして好転した高校生以降についてざっくり記載します。

どこかの誰か、例えば家族や知人に似たような人がいる方の参考、もしくは暇つぶしになれば幸いです。




保育園時代(一番酷かった頃)

私は保育園に入園したタイミングで、自分が恐ろしく喋ることが出来ないことを自覚しました。
確か4歳で入園したので、物心ついてちょっとした頃ですね。

入園直前までは、家以外のコミュニティに属することをそこそこ楽しみにしていたことを覚えています。楽しみというか、何が起きるんだろう、というわくわくですね。
しかしいざ入園してみたら、初日から全く喋ることが出来ない。
家では家族と会話することはできるのに。

色々と脳内で考えごとはしているのです。
あまり覚えていませんが誰かに話しかけられはしたでしょう。
先生も当然私に話しかけたでしょう。
しかし、私が保育園時代に誰かに自主的に話しかけた記憶はありませんし、会話に加わることが出来た記憶もありません。

とにかく言葉が出てこない。一言も出てこない。挨拶すらできない。というか身振り手振りすらできない。
部屋の隅でじっとして、本を読むのが私の保育園時代の常でした。

運動会の競技や音楽発表会的な行事はそれなりにまともに参加したと思います。
徒競走中は喋らなくていいから。
音楽演奏中は喋らなくていいから。
喋らなくていいことはできたんですよね。

とは言っても、一言も喋らない子供に友達が出来るはずもなく。
今までの人生のコミュニティで一番つらかった時代はいつですかと聞かれたら、私は真っ先に「保育園」と答えます。
だって子供同士のコミュニティに一切加入できない、ぼっちだったわけですからね。
内心では毎日毎日本当に園に行きたくなかったのですが、何とか約2年間の保育園時代を終えました。
身体が弱すぎて定期的に数カ月入院していたので実質1年くらいしか通っていないかもしれませんけども。
入院が嬉しかったですね。保育園に行かなくて良いから。病気で苦しむ方が当時の私にとってはマシでした。


小学生時代(多少マシになる)

保育園と小学校の違いは、勉強による成績の評価が加わる事です。
これにより、私は保育園時代よりも多少の自信を得ます。
一応成績が良かったから。成績が良いと褒められるから。
保育園までは「コミュニケーションが下手」というだけであらゆる大人たちから糾弾されますが、小学校では大人しい子で済むから(社会人になったらまた糾弾されるのですが)。

そのおかげか、「誰かに話しかけられたら返事をする」程度なら可能となります。保育園時代よりも大いにマシです。とんでもない飛躍です。

しかしここでも苦手だったのは、国語の音読の授業や英会話の授業。
常に言われていたことは「声が小さすぎる」です。

この声が小さいというコンプレックス、学生時代の私に常に付きまとうことになります。
人前では極力喋らない日々を送っていたので声の出し方なんて分かるはずもなく。
「腹から声を出す」という感覚が分からない。
「もっと大きい声で」と言われても、具体的にどうすれば大きい声が出るのか分からない。

本気でずっと分からなかったので心の底からコンプレックスになりました。
大学に入ってからボイトレの動画見たりひとりカラオケで練習したりして、なんとか人並みに直しました。

声が小さい子供には感情論や抽象的な指示ではなく、もっと具体的なボイトレの方法を教えてくれ、とは今になって出てくる愚痴です。
余談でした。

授業以外ではどうだったかというと、別にぺらぺらと喋ることが出来ていたわけではありません。
一部の似たような性格の、要するに大人しい生徒達と会話を交わすことはできる様になりましたが、それでも別に特別仲の良い友人がいたわけではありませんでしたし、不気味な同級生だったことでしょう。もしくは大して印象に残っていないか。

先生からは常に「成績はいいが大人しい」という評価を頂いていました。


中学生時代(悪化する)

小学生時代から悪化しました。
なんでだよ、って感じなんですけど、何故か悪化しました。
クラスメイトとは殆ど会話をしませんでしたし、話しかけられても言葉が出て来なくなりました。
本当にずっと押し黙っていた。
休憩時間も教室にいて本を読んでいるだけの生徒とかいるでしょ、アレです。

恐らく、生徒が一気に増えた+環境が変わったために、自分の中での「身の振り方マニュアル」がリセットされたのでしょう。
小学校は6年あるし超田舎の学校だったからクラスがひとつしかなかったけれど、中学校には複数クラスがあるしクラス替えもあるし小学校よりも更に色々な人が集まるのだもの。

唯一まともに会話が出来た相手は同じ部活の生徒でした。
というか私が副部長→部長と2年間役職を任せられてしまったので(押し付けられたとも言う)喋らざるを得ない立場にあった、というのが正確な表現になるでしょうか。
部員同士仲が良いわけでもなかったので雑談はあまりしませんでしたが、文化祭等での出し物の指示等は出来ていました。
部員人数が少なかったのも助かった。
人が増えれば増えるほど、私は言葉を発することが出来なくなります。

後輩はちょっと懐いてくれていましたので、同期や先輩よりも後輩との方が喋れた、というよりは一緒に過ごすのが楽だったかな。

私がかろうじていじめられなかったり居場所を完全に失うことが無かったのは成績が良かったからだと思います。学年2位だったのでテストの際は一応一目置かれました。このおかげで辛うじて中学時代を生き延びた感はあります。
田舎の中学校で成績が良いと言ってもなんの自慢にも自信にもならないのですが。

ひとつ、いまだに軽いトラウマになっているエピソードがあります。

ある時、地域の福祉をテーマとした作文コンクールで最優秀賞を頂きました。
それはいいのですが、最優秀賞を取った生徒は福祉センターだか文化センターだか的な場所で大人たちの前で自分が書いた作文を読み上げなければならなかったらしく、それを知らなかった私は聞かされた時本当に心の底から憂鬱な気分になりました。どうにかして当日高熱ださねーかなと思っていた。

私がろくに喋ることが出来ず声も小さいということを分かっていた国語の先生は、他の生徒達が普通に授業を受けている時間で私に作文を読み上げる特訓をさせました。

それ授業を受けさせないまでもやる事か?
やる事だったんでしょうね。だってそのくらい酷かったもんな。

当日高熱を出すこともなかった私は、「人前で作文を読み上げる」という私にとっての地獄を濃縮して還元しなかったみたいな作業をすることになりました。
自分なりに声を出そうと頑張ったのですが、案の定きちんと声を出すことがあまりにも出来な過ぎて、でも一応読み上げる事だけはして、結果スタッフさんがまともに音量を調整できずマイクがハウリングしまくるという状態でその地獄の時間を終えました。

終わった時は先生も頑張ったねと言ってくれたのですが、その後職員室で「声小さすぎて音量調整できずハウリングしていた」と他の先生に喋っていた(愚痴っていた)ことを聞き、先生的には私は1ミリも頑張っていなかったのだと知ってしまいました。
事実頑張れていなかった私が完全に悪いのですが、それでも(それだからこそ)心には残るもので。
いやほんと、どうしようもないな。



高校生時代(好転する)

ここで私の緘黙症状は緩和することになります。

どうして緩和したのか、明確な理由は分かりません。
以下は推測です。

打ち込みたいことが出来る

私は部活動が大好きでした。
元々読書が好きだったので文学部に入り、小説や詩、短歌や俳句等を書く事を覚えた結果これにがっつりハマり、他の趣味や勉学をおろそかにしてまでも(※これは本当に良くない)やりたい! と夢中になって文章を書いていました。

これについては以前も軽く書いたことがありますが↓

好きなこと(創作活動)を共有する部員たちと活動を共にする、というのは私にとってとても心地よく、自然と部員と会話することが出来る様になりました。


友達が出来る

上記部活での話がまだ続きます。
部員にはアニメや漫画、ゲームという共通の趣味を持つ人も多かったから、そういった話もできました。
中学生の時何にハマってた? とか。
今期なんのアニメ見てる? とか。
この漫画面白いから読んで! とか。
そのうち、一緒に映画を見に行ったりカラオケに行ったりするようになって。
要するに友達が出来たんですよ。

これが一番大きかったです。
正直環境に恵まれました。運が良かったんです。

クラスでは相変わらず大人しく声が小さくぱっとしない生徒でしたが、部活では人が変わったようになっていました。

母親からも「中学まではつまらなそうな顔で生きていたけれど、高校に入ってから生き生きしているね」と言われました。
まさにその通りだったと思います。

成績すげえ下がったけど。



その後

今までの人生、「私は喋ることが苦手だから頑張って喋る努力をしなければ」「私は声が小さいから頑張って声を出さなければ」「人見知りな性格では社会で認めてもらえない」と思い生き続けてきました。
そして、都度、喋ることに挑戦してみたりもしました。
それが中学まではまったくうまくいかず、高校で運良くうまくいった。

それだけの話だったかと思います。

未だに雑談は苦手だし(これは場面緘黙というよりはASD特性かもしれない)、どのコミュニティでも「大人しい人間」という評価は変わりません。

ですが、最低限人並の発声は出来るようになったかな、と思います。

ASDもあるのでコミュニケーションに対するコンプレックスが解消される日は来ないかもしれませんが、場面緘黙だけでもマシになったことで、少しは生きやすくなっているのかな。
あのまま社会人になっていたらと思うと……あまり考えたくありません。


ひとつ、後悔があるとしたら。
もっと早く場面緘黙というものを知りたかった、ということです。
ずっとただの私の努力不足だと思っていましたから。
いや努力不足な面もあるのでしょうが、相談できる相手がいる(臨床心理士等)ということを知っているかどうかはかなり大きな違いだと思います。


書きながら、知識をつけるというのはやはり人生において最も重要なことだと改めて思いました。何か資格勉強とかしてみたいな。


本記事ではそこまで具体的な話はできなかったので、もっと具体的なエピソードは後程書きたいと思います。

それでは、今回はこれにて。


追記
続き↓




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