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『カレー移民の謎』(全紙掲載本を読む/2024年②)


5000軒の「インネパ」カレー店

 大都市に限らず、地方都市の幹線道路沿いや駅前の古びたビルにも、まったく同じような構えのカレー屋が増えたなあと、気づいていた人は気づいていたのだと思います。私もこの本を読んで、「そういえば」と思い当たりました。
 本書はその実態を多角的に掘り下げたノンフィクションです。経済のグローバル化が何をもたらし、何を壊しつつあるのかを教えてくれます。特に最終章はずしんと重く感じられました。

 雨後の筍のように増えたカレー屋の数は5000件に達するのだそうですが、その経営者の多くは、インド人ではなくてネパール人。定番メニューは判で押したように、バターチキンカレー、ナン、タンドリーチキン。メニュー表まで別の店のコピーという店もあります。これらの店は、熱心な利用者の一部からは、「インネパ」の通称で呼ばれています。

 クローンのようにそっくりな店が増殖したわけは、直接的には、1990年代以降のビザ取得の容易化がありました。
 本書のデータを引用すると、1990年に日本に暮らすネパール人はわずか447人だったのですが、実は、この数の外に、「観光ビザで来て、そのまま働いちゃう人が多かった」といいます。
 1980年代末まで、日本経済は空前のバブル景気で、働き手は不足していました。特に製造業の現場は3K(きつい、汚い、危険)と、疎まれていました。そこを不法就労したネパール人などが埋めていったのです。
 厳格なカーストのあるインドではタンドリーチキンを焼く人はカレーを煮込んだりしないし、ましてやコックがホールをやったりはしないのだそうですが、ネパール人は何でもやるので、労働者としては使い勝手が良かったというようなこともあり、カレー店でも重宝されました。

 ところが、バブルが崩壊すると、不法就労者は強制送還されたり、日本に見切りをつけて帰国していきました。一方でIT技術に優れたインド人が数多く日本で働くようになったため、インド料理のレストランの需要が増え、本書に登場する元レストラン店長によると、「95年か、96年あたりだと思うんですが、コックの技能ビザが取りやすくなった」のだそうです。入管が実情に応じて、就労ビザのハードルを下げたのだと本書は推測しています。

出稼ぎ国家の悲哀

 それをさらに後押ししたのが、「聖域なき改革」を掲げた小泉政権だったと、ネパール関係者は信じているようです。
 事実、外国人が会社を設立する際の「日本人二人以上の雇用」という条件が緩和され、「500万円以上の出資」で済むことになったことが、多くのネパール人を日本でのビジネスに駆り立てました。ただ、どうやらこの規制緩和は、小泉政権の直前に導入されていたようだと本書にあります。

 いずれにせよ、ネパール人が日本で働きやすくなったことは確かなのですが、ネパール側にはもっと根本的な事情がありました。それは、ネパールが世界有数の「出稼ぎ国家」であることです。

 国外で働くネパール人は人口のおよそ1割。200万人以上におよぶ。彼らが母国にもたらす送金額は2021/22年度には1兆ネパールルピー、約1兆1000万円に達した(「図説ネパール経済2023」)。送金額が国内総生産(GDP)に占める割合は29・9%で、トンガ、ハイチについで世界3位(世界銀行による。2019年)。ネパールは世界屈指の「出稼ぎ国家」なんである。
 外国で働く家族からの送金頼みというネパール人は実に多い。だから海外に勝負をしに行く人はきっと必死の思いだろう。なんといっても家族を背負っているのだ。その切実さを、日本でカレーを出しているネパール人ひとりひとりが持っているということなのだろう。 

第一章 ネパール人はなぜ日本でカレー屋を開くのか

 国の主要産業が、海外からの送金なのですから、受け入れ態勢が整った日本は大きなビジネスチャンスとして浮かんだのですね。そこで、すでに日本でカレー店を営んでいる親戚や知人を頼って次々とネパールからコックがやってくるようになります。
 やがて、貧しい山村などから、高額の手数料を取って労働者を送り込むビジネスが活発になります。コックとしての経歴を示した在職証明書の偽造が横行しはじめ、技能がない労働者まで送り込まれるようになったのです。
 こうして、コックとして働いてお金をためて自分の店を持つという「成功の方程式」がネパール人の間に広がっていったのです。とにかく稼ぐのが目的ですから、日本人に馴染みのないネパール料理を手掛ける人はほとんどいない。インドカレーの成功モデルをそのままコピペした末の、全国5000店舗なのでした。

 本書では、特定の地域や特定の家系の人たちが、芋づる式に日本に来て、次から次へと店を広げていく様子が、緻密な取材でリアルに明かされていきます。また、コックは土日もなく働き詰めで、奥さんの負担も大きいこと。日本の学校に馴染めない子供が結構いたり、子供をお店で働かせてトラブルになったりといったカルチャーギャップにも悩むことなど、異国の生活に苦労する家族の姿も浮き彫りになります。ネパールでは、児童労働は当たり前なのです。日本に馴染めない若者の一部は「東京ブラザース」などという名前のハングレ集団にもなるのです。

「みんなiphoneが欲しい」

 私が白眉だと感じたのは、第九章(最終章)の「カレー移民の里、バグルンを旅する」です。
 バグルンはネパールの首都カトマンズから西に180㎞のダウラギリ峰をいただく山村で、日本の「インネパ」レストランに多数のコックを送りだしています。
 中心部にあるバグルン・バザールには、日本語学校がいくつもあり、どこに行っても日本語が通じます。それほど、日本経験者が多いのです。
 その一方で、日本語学校の経営者は、自分の仕事に疑問を感じているといいます。
 若者が日本に出ていくので、地元には、子供とお年寄りばかりが残されます。山間部では畑は荒れ、家屋も打ち捨てられてしまい、伝統的な自給自足生活は崩壊しつつあるのです。親の愛を知らない子供たちの間に、ドラッグやアルコール依存症が増えているともいいます。
 しかし、ネパールの寒村にもグローバル経済の波は押し寄せていて、みんなFacebookやTikTokを楽しんでいます。「みんなiphone14が欲しいんですよ」という経営者の呟きが耳に痛く残っています。

 5紙のすべてで紹介された移民問題のノンフィクションには、『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』(安田 峰俊著@KADOKAWA)もあります。この本は主にベトナムの技能実習生のついてのノンフィクションですが、やはりベトナムの貧村に現地取材をしています。国は違っても、構造は同じだと思いました。


5紙に紹介された他の本

2024年

2023年

2019年から2022年


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