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『言語の本質』


「新書大賞」受賞の知的興奮にあふれた本

全国紙5紙(読売、朝日、毎日、産経、日経)のすべての書評欄に紹介された書籍は、2019年から2023年の5年間で20冊余りですが、2023年は「当たり年」で、この年だけで7タイトルにのぼります。その中でも、本書は読みごたえのある一冊でした。2024年の「新書大賞」に選ばれるにふさわしい本だと思います。

①インドのテルグ語の「チャトラスラム」と「グンドランガ」、丸いことを表すのはどちらか?
②デンマーク語の「テット」と「ラント」近いことを表すのはどちらか?
③ベトナム語の「メム」と「クン」柔らかいことを表すのはどちらか?
④スーダンのカッチャ語の「イティッリ」と「アダグボ」多いことを表すのはどちらか?
⑤エストニア語の「ワイクネ」と「ラルマカス」、静かなことを表すのはどちらか?

第5章

本書に収録されたテストの一部です。全部で10問ですので、さらに興味のある方は本書でみていただければと思います。

これ、多くの人が7割がたは正解できるんだそうです。私(以下、評者)も10問中9問正解でした。

二択とはいえ、なぜ見たことも聞いたこともない言語の意味がわかるのかといえば、音と意味がつながっているからだといいます。

例えば日本語の「やわらかい」ということばに使われているy、w、rが柔らかく聞こえ、「かたい」のk、tが硬い印象を与えるのは、世界共通なのです。

本書はこうした実例をふんだんに示します。読者は「へー」と目を見張り、「なんと!」と驚きながら、「言語の本質」に徐々に近づいていくのです。

知的興奮の書です。

言語はオノマトペから始まった

言語はオノマトペから始まった、というのがこの本のコアな主張です。手掛かりとなるのは言葉を覚えつつある子供たちです。

著者らは、ウサギが大股で前に歩いているような図を3歳くらいの子供たちに見せ、この動作を示す動詞を「ネケってる」と教えます。その後で、クマに同じ動作をさせた動画と、ウサギが小股で似たような動作をする動画を見せ、どっちが「ネケってる」のか尋ねると、子どもたちは判断つかないのだそうです。

ところが、「ネケってる」の代わりに「ノスノスしている」と教えると

クマが同じ動作をしているほうを迷いなく選ぶことができることがわかった。「ノスノス」には音と意味の対応があるため、どの動作に動詞が対応づけられるべきなのかが直感的にわかるのである。

第4章

同じ架空の言葉であっても、オノマトペの方は意味が通るのです。英語を母語とする3歳児に「doing nosu-nosu」と教えても同じ結果になるといいます。音と意味を架橋するオノマトペが言語習得にいかに大きな役割を果たしているかがわかります。

手話はどう発達してきたのか

言語が膨大かつ複雑な体系を獲得していくメカニズムも、子どもたちが教えてくれます。

ニカラグアでは、耳が聞こえない子どもたちが、特別学校で学習するようになった1980年代に手話が自然発生したのだそうです。それが世代を超えて今も伝わっています

この手話の進化を追っていくと、言語の進化の謎も解けるといいます。たとえばボールが坂を転がり落ちるシーンの表現は、〈転がる〉と〈落ちる〉という二つの組み合わせからできていますが、ニカラグア手話の「第一世代」の話者たちは

「転がりながら坂を落ちている」様子をそのまま写し取って表現した。つまり、転がる様子と移動の方向性(落ちる)を同時に手で表した。それが第二世代以降になると、転がる動作と下方向への移動を分けて直列的に表現するようになったのである。

第二世代の手話話者たちは何をしたのか。実際に観察した事象をより小さな意味単位に分け、それを組み合わせることをしたのである。

第5章

手話も言語の一種なので、このストーリーは一般性を持ちます。個別的な表現からスタートして、徐々に、意味の単位を小さくしていき、その組み合わせで膨大な概念を表現できるように進化したと本書はいいます。

ヒトと動物をわける推論

ヒトだけが行える種類の推論が、言語の獲得に大きく寄与しているという仮説も提示されています。

ひとつめは「アブダクション推論」と呼ばれています。道が濡れているのは、雨が降ったからだろうというように、仮説を立てて推論することだといいます。

もう一つは対称性推論といい、A=Bが正しければ、B=Aも正しいのではないかと、逆方向の関係を想起することのようです。当たり前のように思えますが、両推論ともに、動物にはほぼできないのだそうです。

子供たちは、この推論をフルに働かせて言葉を覚えていきます。本書に紹介されている一例をあげると、アブダクション推論とは例えば、練乳のことを「イチゴのしょうゆ」と呼んでみたり、「蹴る」という動詞の代わりに「足で投げる」と言ってみたりすることだといいます。

もちろんこれは誤用ですが、獲得済みの言葉から推論を働かせて新しい言葉を創造する能力こそが、膨大な言語体系を習得するカギを握っているというわけなのです。

また、言葉の意味を覚える前の乳児でも対称性推論を行っているという実験データを示しながら、

人間が言語を持ち、人間以外の動物種が言語を持たないのは、言語というものを習得し、運用するために必要な認知バイアスおよび認知能力の違いなのかもしれないという可能性を支持する。

第7章

と述べています。

こうして本書は、言語の本質だけでなく、人間の本質をも照射しているのですが、さらには生成AIなどの機械と人間がどう違うのかまで、考察の射程を広げています。改めて言いますが、知的興奮にあふれた本です。

言語から人間、AIまでを照射

本書では「記号接地問題」と呼ばれていますが、最初に言葉を覚える時には、少数でもいいので、自らの感覚とつながっている言葉が必要になるという学説があります。

意味を知っていることばを一つも持たない子どもは、まったく意味のない記号を使って新たに記号を獲得することはできない。言語と感覚とのつながりをまったく知らない子どもが、辞書を用いて言語を学習することは不可能である。

5章

というのです。しかし、いくつかの接地した言葉の集合があれば、それをもとに複雑な言語体系を獲得することができます。

その集合にはそれほど多くのことばは必要ない。第4章で述べたように、「ことばとは世界のモノや事象を表すための名前である」「モノやコトには名前がある」という最初の洞察さえ得られればよい。

この最初の洞察こそが、人間が言語を学習するための最初の一歩となるわけです。

ところが、記号接地をまったくせずに言語を操れるのがニューラル型のAIだといいます。詳しくは措きますが、「AIは記号接地問題を解決できるのか」、「AIとヒトの違い」などの章も興味深く、考えさせられました。

「日本が世界に誇るべき文化」

ところで、世界の言語を見渡すと、オノマトペが発達している言語とそうでない言語があるのだそうです。そして、日本語は韓国語とともに、高度に発達した言語だと教えられました。

特に日本語の場合、「ハ」「バ」「パ」を対比させているのが特徴的なのだそう。「ハラハラ」「バラバラ」「パラパラ」や、「ヘラヘラ」「ベラベラ」「ペラペラ」、「フラリ」「ブラリ」「プラリ」という実例があがっていて、もう面白いとしか言いようがないです。

絵本作家の五味太郎さんは、著書『日本語擬態語辞典』に

「擬態語は、歌舞伎や茶道、てんぷらよりも、日本が世界に誇るべき文化」とまで書いている

終章

のだそうです。高校時代、五味さんの『さる・るるる』を読んで衝撃を受けた評者は、この記述を見つけて嬉しくなりました。

著者の今井むつみさんは慶応大教授で、認知科学、言語心理学、発達心理学者、秋田喜美さんは名古屋大学大学院の准教授で認知・心理学が専門です。

5紙に紹介された他の本

2023年

2019年から2022年


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