『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』をAI生成画像で楽しんでみた
『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(川内有緒著)は、私(以下評者)の周囲ではとても評判がいいです。
全盲にもかかわらず、かたっぱしから美術館に電話をかけて、鑑賞を申し込んだという白鳥さんの発想力、行動力、キャラクターが突き出てますし、著者の川内さんをはじめとした白鳥さんを取り巻く仲間は双方向に刺激をし合う素晴らしい関係です。共生・包括社会のあり方に示唆を与えてくれます。美術品・美術展の見方を再認識したという友人もいます。
多方面から光を当てると、その方向にちゃんと光が反射する。ダイヤモンドみたいです。
評者は、メディア論や認識論のケーススタディとして読みました。白鳥さんは、美術作品を直接ではなく、伝聞で認識します。それはメディアを通じて私たちが世界を知るのと、よく似ていると思ったのです。
本書をこういう視点で取り上げることはあまりないと思います。
思いつきで取り組んだのが、白鳥さんが伝聞した情報から、生成AIを使って絵画を再構成してみたらどんな絵ができるかです。オリジナル画像と比較することで、言語を使った絵の認知に関する知見を得たい。というより、面白そうだからやってみます。
余談ですが、生成Alを使って視覚障害者に周囲の状況を知らせる取り組みが始っているようです。
ピエール・ボナールの「犬を抱く女」
本書の最初に出てくるのがピエール・ボナールの「犬を抱く女」です。著者の川内さんが、白鳥さんと初めて行った美術展に展示されていました。東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催された「フィリップス・コレクション展」です。
川内さんと友人のマイティさんは、以下のような会話で、白鳥さんに説明します。
ここから、以下のような情報を抽出します。
縦に長い絵画
ひとりの女性が犬を抱いてテーブルに座っている
女性は犬の後頭部をやたらと見ている
女性の視点が定まってない
テーブルの上にはチーズとパンが載っている
女性はセーターを着ていて、色は朱色に近い美しい赤
壁の色が薄い青で、セーターの赤とのコントラストがきれい
右側の壁が少し黄色がかっていて、ほんのり光が当たってる
女性は悲しげに食事をしているようにも、午後のティータイムを楽しんでいるようにも見える
これをchat gptに渡して、プロンプトを英語で作ってもらいます。プロンプトとは絵を説明するためにAlに指示する呪文のようなものです。
すると以下のように返ってきました。
これをStable Diffusionという画像生成AIに渡します。
以下の4枚の絵が出力されました。
ではオリジナルはどうかというと、以下のリンクをクリックすると出てきますが、一目ではっきりと、全然違う絵だとわかります。
何が違うのかといえば、まずは全体の雰囲気というか、筆遣いというか、スタイルというか、タッチです。ディテールよりも、まずはスタイルなのです。
そこで、先ほどのプロンプトに一つだけ、画家の名前によって作風を指示する要素を加えてみます。
どうでしょう。以下のように(なぜか3枚しか出力されませんでしたが)一気に印象が違ってきます。もちろん、オリジナルとは構図も色も違うのですが、それでも先ほどの4枚に比べたら、はるかに似ています。
ピエール・ボナールの「棕櫚の木」
次に本書が紹介しているのは、同じ画家の「棕櫚の木」です。絵の説明に当たる部分は以下の通りです。
これを同じ手順でStable Diffusionに渡します。今回は最初から、作風も指示します。
オリジナル画像は以下をクリックして下さい。
やはり全く違いますが、それでもなんとなく同じ画家かな、という感じはします。作風がいかに大事かがわかります。
では、作風が激しく変化した画家の場合はどうなるのでしょうか。都合がいいことに、時期によって作風が大きく変わったピカソの「闘牛」という絵が取り上げられていますので、これを題材にしてみます。
ピカソの「闘牛」
ピカソの闘牛については、川内さんとマイティさんが次のような会話で、白鳥さんに説明しています。
ここから、以下のように情報を整理します。馬を相手に闘牛というのも変ですが、本に忠実に入力します。
闘牛士が2頭の馬を相手に闘牛をしている
馬の色は1頭が白で1頭が茶色
闘牛士は絵の右側にいる
闘牛士の上にテントのような布が見える
これを同様の手順で画像作成用の英語のプロンプトに変換し、Stable Diffusionに渡します。まずは作風を示さないバージョンです。
次に
のプロンプトを追加します。できたのがこれ。
さらに、スタイルの指定にキュビズムを追加します。
キュビズムと入れると、全体の印象はさらに似てきたと思います。
白鳥さんが現代アートを好きな理由
白鳥さんは生まれつき極度の弱視で、色を見た記憶はほとんどなく、色は「概念」として理解しているのだそうです。ということは、「ピエール・ボナール風」「ピカソ風」「キュビズム」も白鳥さんにとっては、「概念」だということになるでしょう。
全章を通じて印象深かったのは、以下の記述です。
AI生成画像とオリジナルを見比べて、少しわかった気になったのは、説明者の言葉だけを頼りに作品を認知している白鳥さんは、「ピカソ風」とか「青」「赤」という「概念」よりも、説明者の反応そのものの中に作品を見出しているのではないかということです。
「概念」を説明されても、白鳥さんの心の中に具体的な像を結ぶことはありません。でも、作品の前で説明者がつい大声を上げたり、言いよどんだり、絶句したり、取り乱したり、説明者間での説明が食い違ったりすれば、それはそのような「何か」として白鳥さんに強い印象を残すのだろうと思います。だから、白鳥さんにとっては、わけがわからないものが多い現代美術に、より興味がわくのではないでしょうか。
白鳥さんが特別なのではない
そう考えると、白鳥さんが特別なのではありません。紙、電波、ネットのメディアを通じて世界を理解している我々も、同じことだと思います。
メディアがある事物を説明するときに、大声を上げたり、言いよどんだり、絶句したり、取り乱したり、説明が食い違ったりすれば、それは強い印象を残します。
さらに、絵でいえば作風に当たる、コンテンツ全体の印象によっても、我々の認識はかなり左右されてしまうでしょう。オリジナルにアクセスできない我々のもとに届くニュースは、ボナール風にあいまいにされたり、キュビズム流に極端にデフォルメされたりしているかもしれません。
白鳥さんは目は見えないかもしれませんが、気持ちの通った信頼のできる仲間から作品の説明を受けられます。説明者がどのような人たちなのかも十分に理解しているわけです。
この点では、多種多様なメディアや正体不明なSNSの雑音に囲まれた我々の方こそ、うっかりすると世界の認識が歪んでしまうことに気をつけるべきではないか。そんなことを考えさせられました。