ブリコラージュとしての介護 AIと介護5
1.AIが席捲する今こそブリコラージュとしての介護
(1) AIと人間
AIの思想的バックボーン(backbone)である神経中心主義では、人間は機械と同じデータを処理するアルゴリズム(algorithm:論理手順)とみなします。また、AIが人間の知性を超える可能性、つまりシンギュラリティ(Singularity;技術的特異点;AIが人間の能力を超える時点)を信じている者もいます。
國分功一郎(哲学者)さんは、人間の知性の重要な機能に想像力があると指摘しています。そして、AIには創造力はあるのかもしれないが、想像力を持つことは難しいとし、AIについて次のように指摘しています。
身体を持つ人間に備わっている他者感覚も欲望もAIにはありません。AIと人間はまったく異なるのですが、AIが私たちの生活に深く入り込んできている現代社会では人間の方がAIに感化され、AIが基準となり、人間は出来の悪いAIとして扱われるようになる怖れがあります。
國分功一郎さんは次のように警鐘を鳴らしています。
今、AI化が不可避的に進化、進展していき、労働のマニュアル化が進み、人間そのものが一つのアルゴリズムのように扱われようとしています。つまり、人間も一定の情報をインプットすると、演算結果をアウトプットしてくれるAIのような存在というわけです。
input→AI→output = input→人間→output
(2) 介護とAI
介護現場にはLIFE(科学的介護情報システム)が導入されていますが、これは序の口です。LIFEは確実に進化してくDX(Digital Transformation)であり、メタバース(metaverse)、AIロボット等々の波が介護現場にも津波のように押し寄せてくるでしょう。その流れを支えるのがAIなのです。
AIが広く深く社会に浸透しつつある社会にあっては、人間もAIに準じた物理化学的な存在者とされ、データ、エビデンス、プラン、フィードバックを中軸とした効率的な介護が推進されようとしています。
AIにとって苦手なのは、刻々と変化する環境のもとで常識と直感をはたらかせ、臨機応変に対応することだといいます。(参照:西垣通2013「集合知とは何か」中公新書p71)
今一度、介護が多様な当事者(お年寄り)との相互関係、相互行為であり、介護職員に求められるのは当事者の気持ち・想い・心情を想像する能力と、刻一刻と変化する当事者に臨機応変に応答する知恵と熟練の技であることを再認識することが大切でしょう。
LIFE、DX、メタバース、介護ロボット等々が介護現場に急激に浸透しつつある今こそ、「ブリコラージュとしての介護」が強く求められている時代はないと私は思います。
2.科学的知vs野生の思考
科学的知の華々しい成果である生成 AIが社会に広く深く浸透しつつある今、ブリコラージュ (Bricolage:器用仕事)としての介護を再認識することが大切だと思います。
(1)野生の思考とは
ブリコラージュという概念は、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロース[1](Claude Lévi-Strauss)、が自身の著書『野生の思考』(1962)で提示した概念ですが、レヴィ=ストロースは同書で近代西洋の科学的思考からは単純で粗野な「未開人」と見なされてきた非西洋の先住民が、実際には自然現象や動植物を分類・秩序づけする近代科学とは別の知の体系、思考(野生の思考)を有していると指摘しました。
近代科学では、知ることができるものを数学的、物理的に計測可能なものに限定し、主観や感性や経験の世界、つまり、見て、触れて、嗅ぎ、味わい、感じる「私」という領域を「あいまいなもの」として軽視することによって成立、進歩してきました。
これに対して野生の思考は、近代科学から蔑ろにされてしまった感性や感覚などを重視した思考方法といえます。
また、「科学的思考」が過去から連なる歴史の積み上げによる「理論的裏付けのための抽象思考(自然科学的秩序の解明)」だとすれば、「野生の思考」は同時的な構造の解釈による「現実的な実践のための具体思考(社会的関係秩序の知)」だといえます。
(2)ブリコラージュとは
レヴィ=ストロースは「野生の思考」と「科学的思考」の違いをより鮮明にするために、ブリコラージュという概念を用いました。
科学的思考は厳密であるがゆえに固定的ですが、野生の思考・ブリコラージュは可変的だといえます。このブリコラージュの可変性、即応性、臨機応変性は介護現場に相応しいものだと思います。
(3)介護はブリコラージュだ
当事者(お年寄り)の日々変化していく状況に応答するために現場にあるものを用いて、その都度、工夫していく介護場は、まさしくブリコラージュそのものではないでしょうか。
多様な当事者(お年寄り)とその時々の多様な環境、状況をその都度勘案し、考慮し、配慮し、工夫して試行錯誤して行うのが介護なのです。
介護の世界に野生の思考、ブリコラージュを最初に紹介したのは、あの有名な三好春樹さんでしょう。同氏が主催する生活とリハビリ研究所の情報誌「Bricolage」が創刊されたのは1989年です。また、2001年には同氏の「ブリコラージュとしての介護」(雲母書房)が上梓されております。
科学的思考の輝かしい成果である現在の生成AI、DX(デジタルトランスフォーメーション)、メタバース等々が人々の中に広く深く浸透してきている現在こそ、三好春樹さんが気づかせてくれたブリコラージュとしての介護を再認識、強調する必要があると思います。
(4)ブリコラージュのプロセス
さて、以下に紹介する『野生の思考:混沌に対応するためのブリコラージュという概念』(CRAFT Inc.Small Business M&A Platform)によると、ブリコラージュの具体的なプロセスは「並置→イメージ→結合」だといいます。これを介護に当て嵌め、介護におけるブリコラージュの具体的なプロセスをイメージしておくことも大切でしょう。
① まずブリコルール(ブリコラージュする人)は、当事者(お年寄り)の周囲の利用できる人材(各種専門職、地域のボランティアや家族等々)、施設や地域が提供できる各種サービス、施設ハード、地域の利用可能なハード、介護機器、各種道具と資材、具体的な介護技術・介護方法などに何があるかをすべて調べ上げ、観察、吟味して(つまり、それらと一種の対話を交わして)、これらの人材やサービス、機器、道具、資材が成し得る可能性のすべてを「並置」する。
② その上で、どのように用いることができるのか、類推的な「イメージ」によって全体像を掴む。
③ そしてそのイメージに促されて、人材同士、サービス同士、資材同士、介護技術同士を「新たに結合」することによって新しい体系(関係性の集合)を構成し、人材やサービスや資材や介護技術は特定の当事者(お年寄り)の具体的な介護サービスとして「新たな役割」を獲得する。
ようするに、当事者の刻一刻 変わる状態に合わせて、身近にいる人、身近にあるモノ、身につけている技術を組合せ、役割を与え、臨機応変に介護するということだと思います。
(5)ブリコルールの仕事
また、ブリコルール(ブリコラージュする人)の仕事は決して終わることがありません。
仕上がった介護サービスとその他の人やサービスや資材や介護技術の間にある不整合の改良を図るか、介護サービスを次の問題解決にあたっての素材として用いるか、あるいは解体し、再構成するというサイクルを繰り返していくのです。
(引用・参照:CRAFT Inc.Small Business M&A Platform「野生の思考:混沌に対応するためのブリコラージュという概念」 Feb 4, 2017)
ブリコラージュとしての介護では、並置されイメージを媒介に結合されたそれぞれの素材(人材、サービス、道具、技術など)は規格品のように取替可能なものではなく、その一つが失われれば全体の関係性が変質してしまう存在です。
例えば、ある職員がいなくなった場合、全く同じ人間などいるわけもなく、代わりの者が来たとしても全く別の役割を担い、要素間の新たな関係性を創出することになるのです。
介護現場に介護分野へLIFE、DX、メタバース、AI等が急激に浸透し効率的介護、生産性の高い介護、科学的客観的介護へと介護の偏向が進行しつつある中、この潮流に抗し、ブリコラージュとしての介護について考え、再評価していく必要があります。
[1] クロード・レヴィ=ストロース(1908年~2009年)は、ベルギーのユダヤ系の家系に生まれたフランス人の社会人類学者、民族学者。
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