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「本人らしさ」を大切にする介護 No1


1.「本人らしさ」を大切にする介護とは

(1)わかったようでわからない「本人らしさ」

 2025年1月号の『月間ケアマネジメント』の特集は、『掘り下げよう!「本人らしさ」』です。私はこの月刊誌は読んでいませんが、この「本人らしさ」という言葉に惹かれたといいますか、引っかかったといいますか、じっくり考えてみたいなと思いました。

月間ケアマネジメント2025年1月号

 「本人らしさ」を尊重、大切にする介護を目指していくことは、当たり前のように思えますし、とても大切なことだと思います。

 この「本人らしさ」とは何か、そして、その「本人らしさ」を大切するとはどういうことなのか、「本人らしさ」を尊重すべき根拠は何か、「本人らしさ」と「自分らしさ」の相違は何か、「本人らしさ」を大切にする介護を阻害する要因は何か、などなど、いろいろな疑問が湧いてきます。
 私にとって「本人らしさ」とは、なんとなくわかっているようでいて、はっきりとはわかっていないものの一つなのです。

(2)「本人らしさ」を尊重する介護とは

 「本人らしさ」を尊重する介護とは、当事者(介護サービス利用者)の個人史、家族関係、文化的な好み、趣味や嗜好などを考慮し、その人の個性、特性や背景を大切にすることではないでしょうか?
 言ってみれば「個別介護」「個別ケア」ということでしょうか?

  例えば、部屋やベッド周りに家族の写真や若い頃の写真、好きな絵画や置物、お孫さんの絵や習字などを飾ることが「その人らしさ」を表現する一つの方法かもしれません。
 また、個室であれば、好きなお香をいたり、音楽を流したりして当事者が「楽しめる」ようにすることもかもしれません。これにより、入居者が自分自身の空間、環境を満喫する、楽しむことができます。

  さらに、介護職員にとっても、当事者(入居者)の若い頃の写真や家族の写真を飾ることは、その方の個人史に触れる良い機会となり、感情教育にもつながります。このように、「本人らしさ」、個別性や個性を尊重することは、虐待の防止にも効果があると思うのです。
 なぜなら、個人史に触れるということは、ただの一般的な「入居者」としてではなく、一人のかけがえのない、単称名辞・固有名詞が指し示す個別の人間との出会いにつながり、感情教育(朱喜哲・ローティ)につなげることができると思うのです。

 「本人らしさ」を大切にすることは、abuse/虐待を防止する効果があると思います。個性のない「本人らしさ」を感じることができない殺風景な個室やベッド周りは人の居るところではありません。パノプティコン、監獄と同じで、そこにはabuse/虐待の臭いがします。 


 感情教育については以下のnoteをご参照ください。

2.「本人らしさ」と「私らしさ」の基盤にある「実存概念」

(1)私とは誰かvs私とは何か

 「本人らしさ」とは、他者の視点からみたもので三人称的概念です。一人称的にみれば「私らしさ」ということになります。「私らしさ」とは、「他の人とは違う私」ということでしょう。つまり、固有な存在だということを前提としています。 

 私は「固有の存在」、つまり、実存(existence)、だということです。
 池田喬(哲学者)さんは実存について次のように説明しています。

「・・・存在している限りは自分の存在が気がかりであり大切だという意味で問題だ、というのがポイントである。別の言い方をすれば、実存は自分が「誰か」という点で問題になっている。」

「私は誰か――。この問いと関わったことのない人はいないだろう。私たちは存在する(生まれる)や否やさまざまな社会関係に巻き込まれる。私は、どこそこで生まれた、誰それの子どもである。さらに、この名前、出身、役割、地位などによって、自分とは誰かの輪郭が描かれてきた。そうした自分の存在は、時に肯定的な態度で、時に否定的な態度で、あるいは単に当たり前のことという様相で、私にとっての関心であり続ける。」

池田喬 2021「ハイデガー『存在と時間』を解き明かす」NHK BOOKS p46

  池田喬さんは「私とは誰か」という問いの先にある概念が実存だとしています。さらに、「私とは誰か」という問いと「私とは何か」という問いとは異なっていると指摘しています。そして、「私とは何か」という問いについて次のように説明しています。

「・・・そのつど何かを見たり聞いたり、判断したり想起したり、いろいろな経験をするけれど、そのすべての経験に居合わせ、見るとか聞くとか判断するとか思い出すとか、そういうすべての経験に関する述語の主語になる、というものだ。「私は~を見る」「私は~と思いだす」などという場合ごとに常に現れる「私」である。こうした「私」に対する規定は、その「私」が誰であろうとあてはまる一般性をもち、「私」は「自我」と名詞化される・・・だろう・・・。」

池田喬 2021「ハイデガー『存在と時間』を解き明かす」NHK BOOKS p47,48

 ようするに、「私とは何か」と問われれば、それは一般性を有した「自我」だということでしょう。ポイントは「私とは何か」という問いがもたらすのは固有の私ではなく、一般的な私、「自我」だということです。

 再度、確認すれば、「私とは誰か」と問うのは、自我のような一般的な私ではなく、固有の私、実存ということになります。
 実存とは、ようするに、人間は一人ひとり固有名を有した、かけがえのない、他者と取替のきかない固有の存在だということを表す概念だと思います。

 「私らしさ」とはこの実存という概念を基盤にした概念だと言えると思います。それゆえ、介護においても、一般化できない、普遍化できない実存する当事者の「本人らしさ」つまり当事者の「私らしさ」を尊重しなければならないのでしょう。
 「私らしさ」は、一般化、普遍化できない一人ひとりの固有性、実存という人間存在の根幹に関わることなのだということを真摯に受け止めることが大切だと思うのです。
 

(2)対他存在としての「私らしさ」

 この「私らしさ」と「本人らしさ」は双方ともに固有性を有した実存だということでしょうが、一人称と三人称という違いがあります。
 私はこの一人称と三人称の違いは大きいような気がしています。

 私は自分の「私らしさ」についてよくわかりません。
 他人から「あなたらしさとはなんですか」と問われてもうまく答えられないでしょう。でも、他者の「本人らしさ」はその人の言動を基に、なんとなくイメージ的に分かっているようなつもりになれます。

 いずれにしても「私らしさ」は他者からみて「私はどうみえるのか」という契機が含まれてるように思われます。言ってみれば、「私らしさ」とは対他存在としての私である、ということになのでしょう。
 もちろん、この対他存在はサルトル(仏の哲学者)のよく用いる概念ですが、ようするに、対他存在とは、他者にとって現れる私を気づかう私の在り様のことです。

 私にとって他者は必要不可欠な存在で、私は他者という媒介者を通してしか自己を確立することができません。私たちは他者との相互関係の中でしか存在できないのですから、当然、他者から見た私に関心が向かうのでしょう。
 このような事態を踏まえると「私らしさ」は端的に対他存在の自分のことで、「本人らしさ」は私が冷徹な目で相手を観察した結果得られる他者存在、または想像した結果得られた「その人の像」ということになると思われます。
 それでも、「本人らしさ」の根底には対他存在としての「私らしさ」があるはずです。でなければ「本人らしさ」に到底たどり着けないからです。


 対他存在については以下のnoteをご参照ください。

3.私の「私らしさ」

 「私らしさ」と「本人らしさ」は双方ともに実存の固有性を表す言葉ですが、一人称と三人称という違いがあります。
 三人称的な「本人らしさ」とは何かを理解するためには、一人称的な「私らしさ」を理解する必要があると思います。私の「私らしさ」を理解して初めて「本人らしさ」も理解できるような気がしています。 

 そこで、まずは「私らしさ」について考えてみたいのですが、正直、私は「私らしさ」について考えたりすることはほとんどありません。考える必要性をあまり感じてきませんでした。
 ですから、私が将来、介護サービスを利用するとして、ケアマネジャーなどの専門家たちが集まって私のケアプランについて話し合う会(サービス担当者会議等)に同席し、そこで「ご本人らしさを尊重して云々うんぬん」などと|私らしさ」について語られたとしても、自分と結びつかないといいますか・・・何かピンときません。違和感があるのです。

 私は、私についての「~らしさ」という言葉をあまり使ってほしくないようにも思います。「~らしさ」とは、そのものにふさわしい様子や、まさにそのものであると判断される程度を表す名詞です。例えば「男らしさ」「女らしさ」「学生らしさ」とか。そうであれば、「私らしさ」も「私の程度」を表す表現といえるでしょう。私は100%「私そのもの」ですが、その私の程度を表す「私らしさ」という言葉を用いて話し合うのには少々違和感を覚えます。

 また、「祐川さんは麻婆豆腐が好きらしい」とか「祐川さんはお粥は嫌いらしい」とかいう場合、当然、100%の確度ではないわけです。100%の確度がないから「~らしい」と言うのです。もし100%の確度のある情報を知りたければ本人に聞けばよいのです。・・・ようするに「~らしい」は本人不在の場合に用いることが多い言葉なのだと思います。
 介護の世界では、認知症などにより自分についての情報をうまく伝えられない人も多いので「~らしい」としか言えないことも多いのでしょう。でも、ご本人を目の前にしての話し合いの場では「ご本人らしさ」とかはあまり使ってほしくはありません。

 自分の「好きなこと」とか「好み」とか「嫌いなこと」とか「趣味」「嗜好」などは理解してほしいのですが、どうも「祐川さんらしさ」というのはちょっと好きになれません。 
 このようにひねくれているのが「私らしさ」かもしれませんが・・・
 いずれにしても、私はこの違和感から出発して「本人らしさ」「私らしさ」について考えていきたいと思います。


 この『「本人らしさ」を大切にする介護』は一つのシリーズです。


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