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空虚放置~退屈という苦痛~ 介護施設サービスの品質5
「空虚放置」この言葉を、是非、介護業界のボキャブラリーに入れてほしいと願っています。
1.退屈より電気ショックの方がマシ
米国バージニア大学の実験で、人は退屈な状況に置かれると、そのまま退屈に耐えることより電気ショックを受ける方がマシだと考える傾向にあることがわかりました。
男性の三分の二、女性の四分の一が15分間の退屈に耐えられずに、自分自身に電気ショックを流したといいます。
退屈は電気ショックの痛みより大きな苦しみになるということです。
(参照:Stone Washer’s Journal「退屈は痛みより辛い最大の毒。何も出来ないことに、あなたは耐えられますか?」2022.08.11 )
誰にでも経験があるのでしょうが、退屈は苦痛なのです。
この退屈を考えるとき、國分功一郎(哲学者)さんの『暇と退屈の倫理学』(太田出版)はとても参考になります。
「・・・退屈とは「悲しい」とか「嬉しい」などと同様の一定の感情ではなくて、何らかの不快から逃げたいのに逃げられない、そのような心的情況を指していると考えられることになる。」
國分功一郎さんは、退屈とは感情ではなく、電気ショックを受けた方がましだと思えるほどの不快から逃避したいけれど、逃避できない心的情況だと説明しています。
介護施設で、電気ショックの方がマシだと思えるほどの苦痛である退屈について、真剣に考えてきたでしょうか?
十分に配慮してきたのでしょうか?
2.空虚放置
日本の介護施設における入居者の退屈への対応はお寒い状況ではないでしょうか。
中国の養老施設ではレクレーション担当の職員配置が義務化されており、入居者に適した活動を少なくとも1日に2回以上実施することなどが推奨されています。
日本の介護施設では入居者が手持ち無沙汰で何をするでもなくボーっとしていて、その周りを忙しそうに職員たちが動き回っている光景が日常のような気がします。
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入居者が退屈そうにしている時間のなんと長いことか。なにしろ、介護施設の入居者たちは、時間・暇はたっぷりあるのですが、特にやるべきこともなく退屈が常態化しているのだと思います。
國分功一郎さんは、虚しい状態に放って置かれることを「空虚放置」と表現しています。
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「やるべき仕事がないと、人は何もない状態、むなしい状態に放って置かれることになる。そして、何もすることがない状態に人間は耐えられない。」
「むなしい状態に放って置かれることを<空虚放置>と呼ぶことにしよう。」
電車を待っている時に退屈を感じることがよくあります。退屈だと感じるのは、なかなか電車が来ないからです。このことからもわかるように、期待したものがなかなか提供されない時、人は退屈を感じます。
介護施設でも同じでしょう。
トイレに行きたいと訴えても、なかなか連れて行ってくれない。背中が痒くて掻いてほしいと訴えても直ぐには掻いてくれない。
その他、着せてくれない、食べさせてくれない、飲ませてくれない、温めてくれない等々、さまざまな要求・期待がなかなか叶えられずに、待たされる場面が多いのだと思うのです。
なにしろ介護施設は慢性的な人手不足ですから。
人材不足で、介護職員たちが業務に追われ、入居者の生理的なささやかな期待でさえ、なかなか叶えられないことの多い介護施設では、必然的に入居者たちは「空虚放置」され、それが常態化してしまうのです。
介護施設において、入居者を何もない状態、むなしい状態に長時間、放って置く「空虚放置」は明らかにabuseでしょう。
「空虚放置」は、ジョルジュ・アガンベン(Giorgio Agamben;イタリアの哲学者 )の言う、人間の生から諸価値が剥ぎ取られた「剥き出しの生」の一形態なのかもしれません。
3.「生きがい」vs「気晴らし」
介護の世界でよく使われている言葉で、私の嫌いな言葉、抵抗感のある言葉の一つに「生きがい」というのがあります。
曰く「入居者の生きがい云々」「入居者に生きがいを与える」等々。
そもそも、他者に「生きがい」を与えるとか、他者の「生きがい」について第三者が「あうだ、こうだ」と言い募るというのは 僭越だと思います。
入居者としては「余計なお世話だ」「あなたたちに私の生きがいについて語ってほしくない」と思うに違いないのではないでしょうか。少なくとも私は嫌です。
空虚放置に苦しむ入居者に必要なのは、大それた「生きがい」ではなく「気晴らし」なのです。
國分功一郎さんは「気晴らし」とは退屈をやり過ごすための知恵、工夫だとしています。
「人類は気晴らしという楽しみを創造する知恵をもっている。そこから文化や文明と呼ばれる営みも現れた。」
「・・・気晴らしとはむしろ、人間が、人間として生きることのつらさをやり過ごすために開発してきた知恵と考えられるからだ。退屈と向き合うことを余儀なくされた人類は文化や文明と呼ばれるものを発達させてきた。そうして、たとえば芸術が生まれた。あるいは衣食住を工夫し、生を飾るようになった。人間は知恵を絞りながら、人々の心を豊かにする営みを考案してきた。」
衣食住を工夫し、生を飾り、心を豊かにする営みのなかに「気晴らし」があるのようです。
介護施設において入居者が充実した「衣食住を楽しむことや芸術や娯楽を楽しむこと」が「空虚放置」状態を是正、改善する第一歩になるのだと思います。
(引用・参照:國分功一郎 2015「暇と退屈の倫理学 増補新盤」太田出版p356)
① プログラム
まず、自らの介護施設にどのような娯楽があるのか棚卸してみるとよいと思います。どの程度の娯楽が用意されているのでしょうか? その数と質を再チェックしてみてはいかがでしょうか?
特に幼稚な娯楽がないかは要注意です。
② 環境
次に、環境です。入居者の身の回りの日用品、生活雑貨、家具、飾られている絵画、書画、テーブルウェア等々に心を砕いているでしょうか。
テーブルに一輪の生花が飾られているでしょうか。
また、入居者や職員の服飾に気配りをしているでしょうか。
③ 日常生活
そして、日常生活の中に「気晴らし」の要素、文化的要素を兼ね備えて十分に楽しめるようになっているでしょうか。
日常生活というのは、衣食住のことですが、入居者は飲食や入浴、着替えなどを楽しんでいるでしょうか。
・餌を与えるように食事をさせていないでしょうか。
・毎日、何も考えずに同じ服を着させていないでしょうか。
・芋を洗うように入浴させていないでしょうか。
入居者の「空虚放置」を是正、改善するためには、入居者たちが娯楽も、環境も日常生活も楽しめるようにする必要がありますし、介護する者も一緒に楽しめたら良いと思います。
娯楽や環境、日常生活の衣食住の仕様が問題となるのです。
4.アニメーター
私自身を振り返ってみると、もう30年以上も前の話(当然、措置時代)ですが、私が特別養護老人ホームの職員になった時の肩書はアニメーターでした。
この施設はフランス人の神父が施設長だったのですが、彼は良い意味でフランスの文化人でした。
このフランス人からは、アニメーターとは入居者の生活を「活気づける」役割だといわれました。アニメーターには当時の生活指導員と同様に、入居者や家族の相談窓口という役割もありましたが、毎日のレクレーションや四季折々の施設の飾りつけ、行事、年間延べ2千人を超えるボランティアのお世話、同じく年間2千人を超える見学者のお世話などの多様な仕事の全てが入居者の活気づけに向けられるようにコーディネートすることが主な仕事でした。
中国にしても、フランスにしてもレクレーションの担当者を配置し、入居者の退屈、「空虚放置」への対応について真剣に取り組んでいますが、人員配置をみますと、日本は誠にお寒い状況だと思います。
入居者の退屈や「空虚放置」への関心が全くないのではないかと思います。介護施設なのだから介護はするけれど入居者一人ひとりの退屈なんか関係ないということなのでしょうか。
日本の多くの介護施設の文化はあまりにも貧相だと言ったら言い過ぎでしょうか。(もちろん、素晴らしい施設もありますけれど・・・少ないかも・・・)
ICT化、効率化、生産性向上等による介護職員の配置基準の緩和など言語道断です。介護職員の配置に加えてレク担当者の配置を義務化すべきなのだと思います。
「空虚放置」を無くすため介護施設関係者や入居者及び家族、市民は介護施設でのレクレーション担当者の配置の義務化を政府に訴えていく必要があります。
まずは、「空虚放置」という概念が介護施設を語る際のキーワードの一つとなればよいと思います。
「空虚放置」を防ぐための文化・芸術・娯楽・丁寧な生活などについては、次のnoteもご参照願います。
以下のnoteも併せてご笑覧願います。