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累積的害:マイクロアグレッション考―爺のお勉強note

 三木那由他みきなゆた(哲学者)さんの『「ただの気にしすぎ」ではない累積的な害  マイクロアグレッション考』(2024.08.21)という論考はマイクロアグレッションを考えるさいに、とても参考になります。勉強になりました。ほとんど引用ですが、是非、紹介したいと思います。


1.介護現場のインターセクショナリティ(交差性)

 世の中には社会的属性に基づいたさまざまな関係性が併存していますが、介護の世界でも同じです。

「介護職(介護する人)-入居者(介護される人)」、「お客様(消費者)-介護職(労働者)」、「若者-年寄り」、「男性-女性」、「既婚-独身」、「管理職-一般職」、「医療職-介護職」、「外国人-日本人」などなど、人は色々な属性を併せもっています。

 ちなみに、abuse/虐待は「介護する人-介護される人」という軸・関係性で生じるものでしょうし、カスタマーハラスメント(カスハラ)は「お客様(消費者)-サービス労働者」という軸・関係性で生じるものでしょう。
 私は介護の世界でのカスハラは介護関係・介護という軸で生じるものではないということに留意することが大切だと思っています。

 少々、脱線してしまいましたが・・・

 朱喜哲チュヒチョルさんは、社会には、さまざまな属性を軸として、それぞれの軸に「力」の勾配があり、それらの軸が交差する「インターセクショナリティ(交差性)」があるのだと指摘しています。

 社会にはさまざまな属性単位の「軸」があり、その両極に優位側(マジョリティ)と劣位側(マイノリティ)がある・・・こうした「軸」は数多く存在し、・・・「人種・民族」「ジェンダー・セクシュアリティ」以外でも、「心身機能の不具合」や「年齢」、さらには「容姿」とか「親の年収」といったものまで考えられます。
 
 こうした社会的属性にかかわる多数の「軸」が行き交っており、それぞれの軸ごとに「力」の勾配がはたらいています。近年では、こうした描像を「インターセクショナリティ(交差性)」と呼びます。

引用:朱喜哲 2023「<公正(フェアネス)公正>を乗りこなす」太郎次郎社エディタス p95,96

 当然、介護労働者たちもこのインターセクショナリティ、交差性のある社会を生きています。

 日本の生産年齢人口の劇的な減少[1]を考えれば、今後ますます外国人労働者が増えていくと思われますし、介護の世界でも外国人労働者がいて当たり前になりつつあります。
 また、介護現場は女性の多い職場ですが男性は正規職員や管理的な役割を担うことが比率的に多いですし、男女ともに、既婚、独身、シングルマザー・ファーザーなどさまざまな属性があり、職場内で複雑な軸・関係性が交差しています。

 そうなると、介護の世界でも、一寸ちょっとした軋轢あつれき、マイクロアグレッションが多発していくかもしれないと私は考えています。

 今、介護の世界でもマイクロアグレッションについての理解と取組喫緊きっきんの課題だと思います。

2.マイクロアグレッションとは

 三木那由他(哲学者)さんは、マイクロアグレッション(Microaggression)における「マイクロ」という用語が、社会構造全体を指す「マクロ」と対照的に用いられており、個人間の対話レベルでの出来事を指すこと、そして「アグレッション」「攻撃」という意味であると説明してくれています。

 そして、マイクロアグレッションは、加害の意図の有無を問わず、他者に害を与えるような言動全般を指す概念・言葉だとしています。

 「ひととひととが交流するような日常の何げない場面でなされる誰かに害を与えるような言動」のことを「マイクロアグレッション」と言う。

引用:三木那由他 2024.08.21『「ただの気にしすぎ」ではない累積的な害 マイクロアグレッション考』

3.マイクロアグレッションの具体例

 三木那由他さんのマイクロアグレッションの具体例は実にわかりやすく、ドキッとするものです。以下に紹介します。

 遅くまで働いている女性に向けて「お子さんは旦那さんが見てくれているの?」
 ミックスルーツのひとに向けられる「日本語がお上手ですね」
 ゲイに向けられる「ゲイのひとたちはおしゃれだよね」
 また、マイクロアグレッションは言語を介さずになされることもあると言います。
 会話の相手が介助者を伴った障害者であるときに、本人ではなく介助者のほうを見て話す。
 学校の授業で教員が男子学生ばかりを指名する。

引用:三木那由他 2024.08.21『「ただの気にしすぎ」ではない累積的な害 マイクロアグレッション考』

 まるで当事者(お年寄り)がその場にいないかのように家族ばかり見て話すとか、介護現場でもありそうですね。
 男性ばかりにリーダーやプロジェクトを任せるとかもよくありますね。さらに、次のような言葉もよく聞きます。
 結婚しているの?彼氏いるの?子どもはいないの?なんで有給取るの?日本語わからないの?日本人と変わらないね。日本の漫画好きでしょう。日本食は美味しいでしょう。 

4.累積的害としてのマイクロアグレッション

 三木那由他さんは、ほんの些細なマイクロアグレッションが積み重なり「累積的害」となることを次のように説明しています。

「ただの気にしすぎではないか」「そんなことで差別扱いされたらたまらない」といった印象を持つひともいるだろう。実際、マイクロアグレッションとして取り上げられる振る舞いは、それだけを単独で見るとたいしたものには思えないことが多い。
 だが問題は、マイノリティーはそうした振る舞いを一種のパターンとして繰り返し何度も受けることになるという点にある。
 
 ひとつひとつの行為はささいなものに思われるだろうが、それが恒常的なパターンで積み重なることで大きな力が作用することになる。哲学者クリスティーナ・フリードレンダーはこれを「累積的害」と呼んでいる。

引用:三木那由他 2024.08.21『「ただの気にしすぎ」ではない累積的な害 マイクロアグレッション考』強調は祐川

 三木那由他さんはこの累積していくマイクロアグレッションをより具体的に次のように説明してくれています。

 「お子さんは旦那さんが見てくれてるの?」もそうだ。
 たった一度そう言われるだけだったら、ぶしつけな発言ではあるかもしれないが、それほど大きな問題にはならないだろう。
 でも仕事が長引くたびに、職場の飲み会に参加するたびに、そのような言葉を毎回のようにかけられつづけたら、心理的な負荷が大きくなる。
 いや、単に心理的に負担になるだけではない。スーとスパニアーマンは、マイクロアグレッションによるストレスがメンタルヘルスや体の健康に害をもたらすということを、先行研究を挙げながら語っている。

引用:三木那由他 2024.08.21『「ただの気にしすぎ」ではない累積的な害 マイクロアグレッション考』

 職場内で些細な嫌なことが重なり、最後はほんの枯れ葉一枚ので重さでブチギレルというのはありますよね。これは、介護職員が虐待に走る場合にも当てまるかと思いますし、当事者(お年寄り)が逆上する場合にも当て嵌まると思います。

 三木那由他さんの次の文章はこの積もり積もっていく累積的マイクロアグレッションを具体的に描き出してくれています。

「あるとき、職場の女性が遅くまで働いているのに気づく。根を詰めすぎている様子が心配でもあるし、ちょっとコーヒーでも飲みながら世間話でもしてリラックスしてもらおう。「遅くまでがんばってるね。こういうときって、お子さんはどうしてるの? 旦那さんが見てくれてるの? いい旦那だね」   

 言った側からすれば、善意から出た何げないひとことなのだろう。だが言われた側は、何度も何度も、あのひとからもこのひとからも言われ続けていることだ。そのために、たまたまそれによって蓄積された負担が、この残業中のひとことで限界に達したとしよう。
 その女性は抗議する。「なんで子持ちの男性にはそんなこと言わないのに、私にばかり言うんですか? なんで妻が子どもの面倒を見てもそんなふうに言われないのに、夫はそれだけで『いい夫』になるんですか? それに『旦那』って言い方も嫌なんですけど」

 この場面では、2人のあいだに大きな認識上のギャップがある。女性の側からすれば、同じパターンで何度も同じことを言われていることによって負担が累積しており、この怒りにも正当性がある。
 しかし、言った側からするとたった一度何げなく発した言葉に対していきなり怒りを表明されたと感じられ、女性が過剰反応しているように思えるだろう。だから、つい「ちょっと気にしすぎじゃない?」「そんなに怒らなくても」といった返答をしてしまいがちだ。

引用:三木那由他 2024.08.21『「ただの気にしすぎ」ではない累積的な害 マイクロアグレッション考』強調は祐川

 さらに、三木那由他さんは、次のようにマイクロアグレッションが被害者の自尊心をも傷つけるものだと指摘しています。

 マイクロアグレッションの被害者は「本当に自分が過剰に反応をしすぎているだけなのではないか?」「怒るほどでもないことに怒ってしまっているのではないか?」と自分自身を疑うようになっていく・・・

引用:三木那由他 2024.08.21『「ただの気にしすぎ」ではない累積的な害 マイクロアグレッション考』強調は祐川

5.マイクロアグレッションは社会構造をうつす鏡

 マイクロアグレッションは一人ひとり心理的問題、意識の問題ではすみません。それは社会構造を映し出す鏡のようなものだと思います。

 三木那由他さんはこのことについて次のように的確に指摘してくれています。

 私たちが「自然に」「何げなく」している振る舞いは、だからと言って社会からの影響を受けていないわけではない、ということだ。私たちは別に積極的に「社会の慣習に合わせよう」などと考えているわけではないかもしれない。
 それでも不自然で変な振る舞いを避け、普通に振る舞うとき、その振る舞いが「自然」であるという事実は社会の慣習のもとで生じている場合があるのである。

引用:三木那由他 2024.08.21『「ただの気にしすぎ」ではない累積的な害 マイクロアグレッション考』

 しかも、社会の鏡としてのマイクロアグレッションはマジョリティとマイノリティという権力の勾配に基づいて社会に存在する差別、抑圧、偏見を映し出しているのだと思います。

 また、社会の慣習からの影響を受けるということは、この社会にすでにある差別や抑圧、偏見を反映しやすいということでもある。
 差別というと「〇〇を攻撃してやろう」「〇〇を追い出そう」といった積極的な敵意を伴った振る舞いを思い浮かべるひともいるだろうが、マイクロアグレッションはそうした明確な敵意を伴うことなく、自然な何げない言動に社会構造を反映させているのだ。

引用:三木那由他 2024.08.21『「ただの気にしすぎ」ではない累積的な害 マイクロアグレッション考』強調は祐川

 私は、マイクロアグレッションという概念・言葉が介護の世界でも、広く用いられるようになればよいと思っています。

 マイクロアグレッションは社会の差別構造、インターセクショナリティを反映したものです。
 ですから、マイクロアグレッションを理解し敏感になるということは、この社会的な差別構造、インターセクショナリティに敏感となるということです。
 もちろん、それは、職員同士のみならず、当事者(お年寄り)と職員との間にあるマイクロアグレッションについても感度を高めていくことが介護の品質向上に不可欠だと思うのです。


 以前、書きましたマイクロアグレッションについても是非、ご参照願います。


[1] 2024年の日本の生産年齢人口推計は7,346.6万人ですが、10年後の2034年では6.811.1万人となり、10年間で535.5万人も生産年齢人口が減少(7.2%の減少)します。10年間でほぼ北海道の生産年齢人口が失われてしまうのです。(出生中位推計)


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