abuse/虐待論Ⅲ.虐待原因論(2):縄張り/スタンフォード・ミルグラム実験/社会の空気/男女差/壊れ窓理論-
1.怒りの起源は縄張り
なぜ介護施設で入居者へのabuse/虐待がしばしば起こるのでしょうか。
『2022年度「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果』では、虐待の発生原因の第一位は「教育・知識・介護技術等に関する問題」が480件と56.1%を占め、第二位の「職員のストレスや感情コントロールの問題」197件 23.0%を大きく引き離しております。
以下に虐待の発生原因を順位准に示します。
No1.教育・知識・介護技術等に関する問題 480件 56.1%
No2.職員のストレスや感情コントロールの問題 197件 23.0%
No3.虐待を助長する組織風土や職員間の関係の悪さ、管理体制等 193件22.5%
No4.倫理観や理念の欠如 153件 17.9%
No5.人員不足や人員配置の問題及び関連する多忙さ 99件 11.6%
No6.虐待を行った職員の性格や資質の問題 85件 9.9%
No7.その他 30件 3.5%
これらの7つの発生原因のうち、No1,No2,No4,No6の4項目は虐待した職員個人の問題で、N3,No5の2項目が組織管理及び人員配置の問題ということだと思います。ここから、虐待の原因が職員の個人的な問題とされがちであることがわかります。
このabuse/虐待を行った職員のせいにする説。つまり、虐待を職員の個々の資質や性格に帰する説にはいろいろとあるようです。
① 前頭葉仮説
まずは、前頭葉仮説なるものがあるといいます。これは、極端に攻撃的な人は、脳の傷害や損傷によって前頭前野皮質から辺縁系への抑制の命令がうまく伝えられないために、情動反応を抑えられない可能性があるという説です。
(参照:川合伸幸 2015「ヒトの本性 なぜ殺し、なぜ助け合うのか 」講談社現代新書Kindle版 p41,42)
② 闘争遺伝子・性格遺伝子
また、攻撃的な性格の職員がabuse/虐待を起こしてしまうという仮説もありますが、この暴力的性格の原因として闘争遺伝子[1](warrior gene)とか、性格遺伝子[2]があるとの説は現在では否定されているといいます。
※ 闘争遺伝子は1990年代前半にオランダ人家系から見つかった遺伝子でX染色体上の酵素の情報を伝えるモノアミン酸化酵素Aと呼ばれる遺伝子で暴力的な行動や攻撃性と関連していると考えられていた。
※ 性格遺伝子とはセロトニン・トランスポーター遺伝子等のある種の性格的傾向を強める遺伝子のこと。
(参照:川合伸幸 2015「ヒトの本性 なぜ殺し、なぜ助け合うのか 」講談社現代新書Kindle版 p55~65)
そもそも、虐待事件を起こした職員の資質(前頭葉仮説)や性格(闘争遺伝子・性格遺伝子)に問題があるとするのは、問題を矮小化するものでしょうし、そこからは、abuse/虐待を防止するヒントは得られません。虐待した職員が悪いだけなのですから。
③ 教育不足論
虐待の原因の第一位は職員の教育不足だとする説ですが、これには何の根拠も論理的な整合性もありません。もちろん、教育しないより教育した方が良いでしょうが、例えば、犯罪に関する知識があれば罪を犯さないというのは妄想ですし、それと同様に虐待に関する知識があれば虐待は起こさないというのも妄想だと思います。
確かに、個人の悪意による虐待もあるでしょうし、教育不足という面もあるかも知れませんが、大切なのは、職員の多くは普通の善意の人なのに何故、abuse/虐待を行ってしまうかなのです。
④ 進化心理学的仮説
abuse/虐待は、なぜ起こるのか、普通に考えれば職員が当事者(入居者)の言動等に「怒り」を感じ、虐待してしまうということでしょう。「怒り」がabuse/虐待の起点だと思われます。
川合伸幸(名古屋大学大学院情報学研究科教授)さんは、「怒り」に関する進化心理学[3](evolutionary psychology)の知見を紹介しています。
ヒトが、よそ者に冷たい理由は「怒り」の進化と関連しているという考え方があるといいます。つまり、よそ者に対する攻撃や冷たい仕打ちの起源は、縄張りを守ろうとする行動にあるというのです。
介護施設は職員にとっては職場であり、縄張りです。この縄張りで業務を遂行して生活の糧を得ているのですが、この業務遂行の邪魔になる入居者に対して、縄張りへの侵入者に対するような「怒り」を感じてしまうのかも知れません。
介護施設でのabuse/虐待の遠因には縄張りを守ろうとする原始的・根源的なヒトの性向があるのかもしれません。
このように考えれば、介護施設を介護サービスの空間ではなく、職員たちの職場だとする思い込み、組織文化がヒトの縄張り意識を蘇らせ「怒り」を生じさせ、abuse/虐待を起こさせると言えるかもしれません。
abuse/虐待の発生要因を個々の職員の「怒り」であるとしても、その背景には介護施設は職員の職場・縄張りとみなし、円滑な業務遂行を至上命令とする組織文化があると思われます。
2.善良な人でも虐待を行う ~スタンフォード監獄実験とミルグラム実験~
なぜ、普通の人がabuse/虐待を行うのでしょうか。
スタンフォード監獄実験(Stanford prison experiment)とミルグラム実験(Milgram experiment)は、一定の条件が揃えば、普通の善良な人でもabuse/虐待をする可能性があることを教えてくれます。
⑴ スタンフォード監獄実験(Stanford prison experiment)
スタンフォード監獄実験は心理学者フィリップ・ジンバルドー[4] (Philip Zimbardo) の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとした実験です。
この実験ではスタンフォード大学の健康な学生を選んで、看守か受刑者の役を与え、大学の地下に設けた仮の刑務所に配置しました。ほんの数日のうちに、囚人たちは鬱の症状と極度のストレスを呈し、看守たちはサディスティック(sadistic:加虐的)になっていき、囚人たちに暴行を加えるようになり実験は中止されました。
この実験から、強い権力を与えられた人間と、力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうということがわかったのです。しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまうということが判明したのです。
(参照:Wikipedia スタンフォード監獄実験https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93 2023.07.18)
(2) ミルグラム実験(Milgram experiment)
ミルグラム実験(アイヒマン実験・アイヒマンテストとも言います)はイェール大学の心理学者スタンレー・ミルグラム[5](Stanley Milgram)が行った実験で、教師役の被験者が権威者である教授の命令に従って、生徒役の被験者に電気ショックを与えました〈実際には電流は流れていない〉。やがて、死の危険があるほど電流を上げるよう指示された被験者らは、その危険性を事前に知らされながらも、権威者に従順な態度を示し電流を上げ続けたといいます。
この実験により普通の平凡な市民でも、権威者に指示されると、冷酷で非人道的な行為を行うことがわかったのです。このような現象をミルグラム効果とも言います。
(参照:Wikipedia ミルグラム実験https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93 2023.07.18)
川合伸幸[6]さんは上述の実験等を踏まえ次のように指摘しています。
もともと介護には関係の非対称性があり、介護する者は圧倒的な強者であり、介護される者は弱者です。この関係の非対称性ゆえにスタンフォード監獄実験と同様の状況を介護施設は常に生じさせています。この関係の非対称性の上にミルグラム実験で示されたような組織に過剰に同調する性向が加味されるとabuse/虐待が発生しやすくなると思われるのです。
職員に、介護業務を円滑に遂行せよ、という暗黙の指示命令を与える体制・主義(立場、意見、主張)を業務計画至上主義と私は呼んでいます。
この業務計画至上主義下の施設では、業務の円滑な遂行の邪魔になる訴えの多い当事者(入居者)は組織の秩序を乱す者となってしまいます。そして、この秩序を乱す入居者に対して秩序を守るため制裁を科す必要が出てくるのです。
abuse/虐待を行う職員はこの組織の「空気」に過剰に反応し、無意識的に、業務遂行の邪魔になる入居者を罰するようになるのかもしれません。
(参照:川合伸幸 2015「ヒトの本性 なぜ殺し、なぜ助け合うのか 」講談社現代新書Kindle版 p158,159)
3.社会の空気が虐待を生む
川合伸幸さんは、スタンフォード監獄実験についてハーバード大学医学部のロバート・リフトン[7](Robert Jay Lifton)の解釈を紹介しています。
さらに、川合伸幸さんは協力的でない人 に罰を与えるときには、脳の報酬系( 線条体)が活動することが示されるという研究結果を紹介しています。
このリフトンの解釈、及び協力的でない者に罰を与えることが報酬となるという説は、老人介護の世界にも当てはまるかも知れません。
自立支援という介護の理念や介護予防の強調、追求は、自立できない要介護高齢者や認知症高齢者への風当たりを強くしてしまいます。
自立理念を強調、追求すれば、自立できない高齢者は自立訓練を怠けている者、協力的でない者となり、認知症予防を強調、追求すれば、認知症高齢者はしっかりと認知症を予防できなかった非協力者ということになってしまいます。
さらに、多くの社会保障関連政策のキャッチコピーや報道は高齢者を社会経済上の邪魔者、悪者扱いしかねないニュアンスを含んでいます。
例えば・・・
・「全世代型社会保障」→ 現在は世代間の公平性に問題があり高齢者が優遇され過ぎており、不公平だ。
・「世代間の公平性の実現」→ 高齢者のために、若者は負担が重くなり苦しんでいて不公平だ。
・「社会保障・税一体改革」→ 高齢者のための社会保障のために若者がたくさん税金を払わなければならないのは不公平だ、間違っている。
現在の社会保障の見直し関連のキャッチコピー及び報道には、上述のように世代間の不公平感を煽り、高齢者を社会経済上の「邪魔な存在」、「駆除すべき寄生虫」、「制裁を科すべき者たち」とする社会の雰囲気、空気を醸成しているのです。
関係の非対称性が強い介護施設におけるabuse/虐待は、社会的な雰囲気、空気に敏感かつ過剰に反応した職員が、業務計画至上主義という権威の下、業務遂行に邪魔になる入居者に怒りを覚え、縄張りへの侵入者への攻撃と同じように反撃し、社会的制裁を科すが如くabuse/虐待するのかも知れません。
4.虐待の男女差
川合伸幸さんは、タニア・シンガー[8](Tania Singer:ドイツの社会神経学者)らの興味深い実験結果を紹介しています。
しかし、これには男女差があるというのです。
介護施設などの介護職員が傷害の容疑で逮捕されるといった報道をよくみかけますが、その逮捕者の多くは男性です。男性としては恥ずかしい限りですが、abuse/虐待の防止、抑制には「相手が傷んでいるのを見たら自分の痛みを感じられる」女性の感性が必要なのかもしれません。
5.壊れ窓理論(Broken Windows Theory)と虐待防止
壊れ窓理論(Broken Windows Theory・割れ窓理論、破れ窓理論とも言われる)とは、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで、凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学[10](Environmental criminology)上の理論です。
アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング(George L. Kelling )[11]が考案したといいます。
「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がつけられたと言います。
要するに、建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになります。
そして、住民のモラルが低下し、地域の振興、安全確保に協力しなくなって、それがさらに環境を悪化させ、凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになるというのです。
ですから、治安を回復させるには、壊れた窓を放置せずに、一見無害で軽微な秩序違反行為でも取り締まる(ごみはきちんと分類して捨てるなど)ことが有効だというのです。
実際に、アメリカ有数の犯罪多発都市であったニューヨーク市はこの壊れ窓理論に基づき治安回復できたといいます。
(引用・参照:wikipedia 「割れ窓理論」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8C%E7%AA%93%E7%90%86%E8%AB%96 2023.08.03)
虐待防止にもこの壊れ窓理論が有効でしょう。
虐待の「虐」は「いじめる、むごく扱う」という意味で、字源は「虎」と「爪」の組み合わせで虎が捕食するむごい姿を表しています。
虐待の「待」は「あしらう」という意味があり、虐待は「むごくあしらう」という意味になります。
日本語で虐待は虎が捕食するむごい姿を連想させるものだから、殴られて鼻血がバァと出ているような、むごたらしいイメージがあります。日本の虐待のイメージの中心は「むごさ」です。
虐待の英語訳はabuse(アビューズ)です。abuse は ab「離れた」use「使う」が語源で、「常識からかけ離れた扱いかた」と解釈でき、「誤用、乱用、虐待」を意味します。ですから、drug abuse(麻薬の乱用)は手術などで痛みをコントロールするために使用する麻薬を自分の楽しみという誤った用途に用いるので abuse、不適切使用という意味になるのです。
介護に引き付けて言えば不適切介護です。当事者(お年寄り)に対する社会一般的に非常識な不適切な介護、対応は全てabuseとなります。
壊れ窓理論で言えば、abuseが壊れた窓で、虐待は犯罪です。「abuseを放置すると、人を人として対応しない不適切介護に対して誰も気に留めないという雰囲気となり、やがて虐待につながって行く」ということです。
abuse・不適切介護を許してはならないのです。目に見える壊れた窓・abuseを許さず、ひとつひとつ是正していくことが、虐待防止の基本中の基本です。
次のような壊れた窓・abuseがないか、管理者、職員が一体となって、日々チェックし、是正していくことが大切です。
□ 飾りつけやレクなどのプログラムが子供仕様になっていないか
□ 入居者への話し方が稚拙、幼稚なものとなっていないか(終助詞の「ね」を多用していないか)
□ 入居者に対する職員の態度が失礼ではないか、馬鹿にしていないか
□ 入居者を怒鳴っていないか
□ 入居者のその都度の訴えに対して即座に応答しているか
□ 介護職が忙しそうに走り回っていて入居者の訴えに耳をかさないか
□ 共同生活室に当事者(入居者)が放置されていないか
□ 身体介助が乱暴になっていないか
□ 当事者の体に痣ができていないか
□ 陰部、臀部に拭き残しがないか
□ 口腔ケアをきちんとしているか
□ 餌を与えるように食事させていないか
□ 入浴時間が短すぎないか
□ 入居者は清潔を保てているか
□ 爪が伸びすぎていないか、髭がきちんと剃られているか、鼻毛が伸びていないか、鼻糞がついていないか、耳垢掃除をしているか、目脂がついていないか、髪は梳かされているか
□ 入居者の身なりが整っているのか、汚くないか、臭くないか
□ 環境が整理整頓され清潔が保たれているか 等々
見えるabuse、聞こえるabuse、臭うabuseを注意深く観察し、abuse、つまり、壊れた窓を見つけたら、その場で、即刻、是正していくことが最も効果ある虐待の防止対策なのだと思います。
これは正しく介護サービスの品質管理でもあります。
介護サービスの品質管理ができなければ虐待を防止できないのです。
[1] 闘争遺伝子は1990年代前半にオランダ人家系から見つかった遺伝子でX染色体上の酵素の情報を伝えるモノアミン酸化酵素Aと呼ばれる遺伝子で暴力的な行動や攻撃性と関連していると考えられていいた。
[2] 性格遺伝子とはセロトニン・トランスポーター遺伝子等のある種の性格的傾向を強める遺伝子のこと。
[3] 進化心理学(evolutionary psychology)は、ヒトの心理メカニズムの多くは進化生物学の意味で生物学的適応であると仮定し、ヒトの心理を研究するアプローチのこと。 適応主義心理学等と呼ばれる事もある。
[4] フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo 1933年~ )はアメリカ合衆国の心理学者であり、スタンフォード大学の名誉教授。スタンフォード監獄実験の責任者として知られている。
[5] スタンレー・ミルグラム(Stanley Milgram、1933~1984)は、アメリカ合衆国の心理学者。イェール大学とニューヨーク市立大学大学院センターで教鞭をとった。
[6] 川合伸之(名古屋大学情報学研究科教授。認知科学専攻)
[7] ロバート・J・リフトン(Robert Jay Lifton 1926~ )は、アメリカの精神科医。ニューヨーク市立大学名誉教授。ハーバード大学医学部精神科講師。コーネル大学で生物学専攻、ニューヨーク医科大学で医学博士号取得。
[8] タニア・シンガー(Tania Singer)はドイツの心理学者および社会神経科学者
[10] 環境犯罪学(Environmental criminology)は、犯罪の「原因」ではなく、犯罪を取り巻く具体的な「環境」ならびに犯罪の分布及びパターンに着目することにより、客観的な犯罪の理解の下、効果的な犯罪の予防を目的とする学問。
[11] ジョージ・ケリング(George L. Kelling、1935年~ 2019年)は、アメリカ合衆国の犯罪学者。
虐待について記したnoteです。ご笑覧願います。
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