ゴミ分別が事件に!~「モラルゼロ!?」~
ゴミの分別を巡ってここまで話がこじれるとは・・・少々理解に苦しみます。しかし、この事件からも学べることはあると思います。
会社の担当者は次のように言っています。
たぶん、担当者は、一生懸命にゴミ分別のことを伝えようとしたのでしょうね。
でも、公的空間に貼りだされたビラに「カン・ビンを別々にする」だけだったら問題はなかったと思いますが、思い余って?「理解しないベトナム人、モラルが無いベトナム人」という意味内容の文言を付け加えてしまうことがレイシズムになるとは思えなかったのでしょう。
こなると、ビラに記載されている「モラルゼロ」がどちらかわからなくなってしまいます。
(1)差別の論理を整理しましょう
今回のビラを掲示しベトナム人を差別してしまったプロセスを論理的に整理すると次のようになると思います。
①ラベリング:個々の技能実習生ではなく、一括してベトナム人というラベルを貼る
②区 別:ラベリングしたグループの人たちを、日本人とは違う存在として区別する。
③ステレオタイプ:区別されたベトナム人を、「全員同じ」であるかのようにひとくくりにして見てしまう。
④偏 見:ラベリングしたベトナム人に対し否定的な価値を付与する。
⑤差 別:偏見を向けたグループを攻撃する。これには、「排除型」と「同化型」の2種類ありますが、今回は同化型でしょう。
・排除型:特定のカテゴリーの人たちを排除する行動。
・同化型:特定のカテゴリーの人たちを、多数派に強制的にあわせようとする行動。
やはり、起点であるラベリング、つまり、個々の技能実習生を一括りにしてベトナム人としてしまう粗雑な思考が問題なのだと思います。
このようなラベリングから差別にいたる過程については以下のnoteをご参照願います。
(2)私的空間と公的空間の区別が大切
ゴミの分別、ゴミ出しを巡っての担当者と技能実習生との私的な問題を公的空間にビラを掲示するということで、公的な次元に移植していまったのだと思います。
やはり、職場であっても「公」と「私」の区別をしっかりと理解する必要があったのだと思います。
私的領域・空間・場とは、他者に干渉されない「場」であって仲間同士が気儘に振舞えるリラックスした領域・「場」と言えるでしょう。そこでは、ため口も許されるし、他人の悪口も許されるような場です。
これに対して、公的領域・「場」は、他者に気を配る必要のある領域、場ということになると思います。
もちろん、ゴミ分別は社会のルールですが、当初は会社の担当者と技能実習生とのコミュニケーションレベル、感情レベルの私的な問題だったのだと思います。しかし、このようなビラを公に掲示するということは、私的な問題を公的な問題にすることだと思うのです。
はやり、職場でも「公-私」の区別をしっかりと意識しておく必要があると思います。
公-私の区分については、以下のnoteをご参照ください。
1.「公-私」/「バザール‐クラブ」の区別
この記事には監理団体が登場してきませんが、監理団体は何をしていたのかという素朴な疑問がわきました。