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「本人らしさ」を大切にする介護 No3~介護保険制度が「本人らしさ」の阻害要因
7.ニーズと「本人らしさ」の尊重
介護の世界では、当事者(お年寄り)をアセスメントして「必要=ニーズ」を判定し、介護サービス計画、通称ケアプラン(施設サービス計画、居宅サービス計画など)を作成することが大前提です。介護サービスの始原にあるのは当事者のニーズ(needs)という概念なのです。
上野千鶴子(社会学者)さんは、このニーズは社会的なものだと指摘しています。
『そもそも、当事者(the party involved)とはニーズの帰属する主体であり、ニーズとは、欠乏や不足という意味からきている。・・・一般的には、何らかの基準に基づいて把握された状態が、社会的に改善・解決を必要とすると社会的に認められた場合に、その状態をニード(要援護状態)とすることができる(三浦文夫)。この定義によればニーズとは第三者によって社会的に決定されるものである。』
ニーズ概念は本人の主観的な願いでも訴えでもなく社会的なものなのです。社会的概念だということは、ニーズには社会的承認が不可欠であり、そのニーズ概念の根底には一般性、普遍性があるということです。
介護の始原、根柢にあるニーズが社会的概念、普遍性をおびた概念だということは、介護において「本人らしさ」を尊重するということは二の次にされてしまう怖れがあるということではないでしょうか。
公的介護サービスの根底にニーズがあるということは、「本人らしさ」(個別性)を尊重する介護は、介護保険制度にとっては、余計なものということにされかねません。
「本人らしさ」を大切にする介護とは、介護保険制度やニーズを超えた先にあるものだと私は思います。
ニーズについては以下のnoteもご参照ください。
8.介護保険制度の究極の目的は自立
介護保険制度の下では、当事者(お年寄り)の「必要=Needs」に応じて介護します。そして介護は、自立という「目的」に政策誘導され、収斂していくのです。
自立というのが介護における至高の目的です。
自立しているということは健康であるということと同じように、人にとって快適なことですし、自立しているということは直接的に人に満足を与えるもの(快適性の享受)でしょう。しかし、介護保険制度の目的である自立は、直接的な満足に結びつく自立という事態と少々異なるように思われます。
國分功一郎(哲学者)さんは、このような事態について次のように説明しております。引用した文章の「健康」を「自立」と読み替えてみてください。
・・・「健康(自立)は善いものである。」と言うことがある。その時、我々はいったい何をしているのか。カントによれば、その時、我々は健康(自立)を目的へと差し向けている。もともとは目的から自由であった快適なるものである健康(自立)が、目的として設定される。すると途端に目的‐手段連関が登場し、健康(自立)のために、生活の様々な事柄が手段と見なされることになる。・・・
・・・健康(自立)の例は実に興味深い、ワインを飲むという行為には一回性があるが、健康(自立)は絶えざる維持を要求するからである。健康(自立)という快適なものがひとたび目的へと差し向けられるや、あらゆるものが目的達成のための手段を見なされていき、日常が手段に満たされていく事態が容易に想像できる。
介護保険制度は「自立とは善いものである」ということを大前提としています。そうすると、もともとは目的から自由であった快適なものである自立が目的とされ、目的‐手段連関に搦め捕られ、日常生活全般が自立のための手段とされてしまうのです。いまの日本の介護サービスは自立のための手段となっているのです。
9.「必要・Needs-目的(自立)-手段(介護)」体制・構造
現在の介護保険制度下では、自立という「目的」の達成に向け、介護という「手段」によって個々人の「必要=ニーズ」を満たしていくことになり、日常的な介護のすべてが手段となってしまいかねないのです。
これを「必要・Needs-目的(自立)-手段(介護)」体制、または構造と言ってよいかもしれません。
例えば、食事の目的は栄養摂取ですし、トイレ誘導も居室から共同生活室への移動もADLの改善が目的ですし、着替え介助や入浴介助や排泄介助は清潔保持が目的で、体位交換は褥瘡予防が目的でレクレーションもADLの改善が目的です。
介護が必要となった人は、自立できていない人です。その自立できていない人は、自立に向けて日常を手段化することが求められているのです。
しかし、純粋に「楽しみ」や「快」を求めることは許されないのでしょうか。
例えば、食事は栄養摂取という生理的なニーズ、目的だけではなく、ただ単に食事を「楽しむ」ために食事をすることもあるし、レクレーションも機能訓練のためだけではなく、単にレクを「楽しむ」ということもあるでしょう。
このような「ニーズ-目的-介護」からはみ出るもの、超えるものをまったく認めないとしたら、「本人らしさ」を大切にすることなどできないと思うのです。
本来的に介護には手段的な側面があります。そもそも、要介護者にとっての手となり足となるという側面が介護にはあります。特に介護する者は介護の手段性について強く意識せざるを得ない場合が多いと思います。当事者(お年寄り)から「あれしてくれ、これしてくれ」と頻回に頼まれれば、自分は当事者の手であり足である、つまり、当事者にとっての手段に過ぎないという意識、極端に言えば僕意識・奴隷意識が芽生えてしまうことさえあると思います。
主奴関係については以下のnoteをご参照ください。
それでもなお、当事者のニーズを超え出て、目的(自立)をはみ出たところに、相互行為、相互交流としての介護の「楽しみ」「快」「快適」があることを忘れてはならないと思います。
そして、このニーズを超え出たところに「本人らしさ」があるのではないでしょうか。
介護保険制度の大前提である「必要・Needs-目的(自立)-手段(介護)」という体制・構造が「本人らしさ」を尊重しようとする介護の阻害要因となりかねない、ということをしっかりと認識することが大切だと思います。
「ニーズー目的ー手段」については以下のnoteもご参照ください。
10.PDCA体制の問題点
(1)PDCA
介護サービスおいてもPDCA(Plan:計画-Do:実行-Check:評価-Action:改善)という手法を用いて品質改善を図ろうとする取り組みが推奨されています。特に科学的介護情報サービスLIFEを活用しPDCAサイクルを促進させようと政府は躍起になっています。
介護における「必要・Needs-目的(自立)-手段(介護)」体制・構造はこの介護サービスのPDCAに組み込まれていると思います。
PDCAサイクルのPlanに該当するのが、当事者(お年寄り)をアセスメントし、Needsを抽出し、自立に向けた介護計画などを立てる「必要・Needs-目的(自立)-手段(介護)」体制・構造です。
さて、このPDCAサイクルという手法には良いところもありますが、次のような欠点もあります。
時間がかかる:目標を立てて実行に移し、結果を検証したうえで次のアクションを起こしていく、というのがPDCAです。それぞれのステップに時間がかかるため、一度のPDCAを完了させるだけでも手間が生じます。それゆえ、スピードの遅いPDCAサイクルでは、激しい環境の変化へ対応するのは困難だとされています。
イノベーションを起こせない:イノベーションとは今までにない新たな工夫、新たな商品やサービスを創出することです。介護の世界もICT化、AI導入など急激な変化が生じています。ところが、PDCAは既存の施策や行動を評価し、改善する手法で、前例主義ともいえるPDCAの手法では、新たな工夫やアイデアを考創出することが困難とされています。
想定外の事態に対処できない:計画(Plan)を前提にして行動を起こしていくPDCAは、いわゆる想定内の物事へ対するアプローチ方法といえます。そのため、臨機応変な対応力に欠けているとされています。
介護サービスの利用者は、状態の変化が急激かつ大きいのが特徴です。それゆえ、想定外のことも多く、その都度、工夫を凝らしていく必要があるわけです。このような介護サービスの特徴を考慮したとき、果たしてPDCAサイクルが有効と言えるでしょうか。
生身の人間、特に変化の激しい当事者(お年寄り)への臨機応変の対応を求められる介護にPDCAという経営手法を適用するのは困難な場合が多いと思います。
「本人らしさ」を大切にする介護においても、その本人らしさは日々刻々変化もするでしょうし。昨日まで好きだった牛乳を急に飲みたくないとか、今まではお洒落だったのに急に服装に無頓着になってきたとか、いつもは仲が良い人と険悪な関係になってしまったとか・・・
少なくともPDCAサイクルという経営手法は「本人らしさ」を大切にする介護において無条件の適用には問題があるともいます。
(2)OODA
以下、蛇足になりますが、私は介護サービスにはPDCAサイクルよりもOODA(ウーダ:Observe、Orient、Decide、Act)ループの方が望ましいのではないかと思っています。
OODAループは変化の速い環境に適応しやすい経営手法です。
Observe(観察 ): 自分のまわりの状況をよく観察する
Orient(方向づけ ) : 観察した結果から状況がどうなっているかを判断し状況判断を行い、取るべき行動を方向づける。
Decide(意思決定) : 状況判断に基づき、やることや計画を決める
Act( 行動 ) : 状況判断に基づき、やることや計画を決める: やると決めたことを計画に沿って行う
PDCAサイクルがPlan(計画)からスタートする一連の意思決定・行動ステップであるのに対し、OODAはObserve(観察)から始まります。もちろん介護ではプラン作成の前にアセスメント(観察・評価)をしますが、それはあくまでもプラン作成のためです。
また、OODAループのループは「間を繰り返す」という意味で、途中で前の段階に戻ったり、状況によっては任意の段階から始めたりすることが可能です。しかし、PDCAサイクルのサイクルは「状態が変化して最初の状態に戻る」という意味ですので「Plan(計画)」からスタートし「Do(実行)」「Check(評価)」「Action(改善)」へと続く一方向的な特徴を持っています。このようにOODAループは双方向的であり、PDCAサイクルは一方向的です。
また、私が介護においてOODAループの方がPDCAサイクルより良いと思うのは、OODAループは最初から目指す結果、目標、目的を想定していないところです。つまり、OODAループは「必要・Needs-目的(自立)-手段(介護)」体制・構造に搦め捕られづらいのです。
いずれにしても、OODAループの方が臨機応変な対応を求められる介護サービス、「本人らしさ」を大切にする介護に相応しいのではないでしょうか。
このOODAに関しては以下の資料が参考にあると思います。
『生活衛生関係営業の生産性向上を図るためのマニュアル(基礎編)(厚生労働省)』
⇒ https://www.mhlw.go.jp/content/001297217.pdf
『「本人らしさ」を大切にする介護』はシリーズとなっています。