『枕草子』朗詠 第五段「大進生昌が家に」③姫宮の御方の
生昌は、任国の名残で備中方言が抜けず、清少納言はじめ女房たちに笑われています。
定子中宮のお連れの女一宮・修子内親王に仕える童女たちの相続の上重ねを「うはおそひ(うわっぱり)」と言ったり、
童女らしい愛らしい大きさの食器などのことを「小さい(ちうせい)」と言ったり。
気遣いして仕度を尋ねるのにも、いちいち嗤われる。
しかし定子中宮が、「そう嗤っては気の毒ですよ。忠勤してくれるものを」と同情するのを、清少納言はご立派だと感じいります。
さらに後日、すでに生昌の家を去ってから、生昌が局に、「ぜひお耳に入れたく」とやってきたので、
「また笑われにきたのか」と、清少納言が応対すると、
自分の兄が、家の門の話を感じ入ったとのことで、いずれ対面してお話したいと言っていたと、ただそれだけの用事だったので、
「別にわざわざそんなを言いに来なくても、何かのついでにでも言えばいいことなのに」と、また嗤われる。
待ち構えている中宮に、そのままを伝えると、
「自分が尊敬する人が褒めたのを、あなたが喜ぶと思って、伝えたかったのでしょう」
と、あくまで寛容におっしゃるご様子が、さすがに素晴らしい、ご立派でいらっしゃる……と、定子中宮の美徳に感銘して、一連の話を締めくくっています。
生昌は、定子中宮の一族の逆境の際の讒言をした者でもあったそうで、
それゆえに清少納言や中宮の女房たちからは憎まれていて、
生昌への揚げ足取りや嘲笑も、恨み返しではあったけれど、
そんな生昌にさえ、気を使って寛容に同情的な中宮を、清少納言はつくづくと美しいご仁徳と、讃え奉る逸話となっています。
当時の女官は、現代のOLやトップレディの、臆することない気強さに通じていて(これぞお局様という感じ)、女性の立場からは、小気味よくもあります。
でも、昔も今も、自己主張と自負をもって働く女性は、男性から敬遠されがち。
清少納言としては、定子中宮が表に出すことなく、寛容に抑えている部分を、あえて自分の意見として、自分が憎まれ役になって、口にしているようでもあり、
清少納言の、一見はしたなくさえある物言いやふるまいは、
定子中宮の鷹揚さと対象の印象として、『枕草子』上での自身を描いているようです。