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書くための環境と道具を、振り返り見直す

今月の『本の雑誌』のテーマが「私はこれで書きました」だったので、
タイトルを見ただけでワクワクして、
セブンネットで注文し、届いてすぐに読みました。
(住んでいる駅や街周辺に書店がなくなってしまったので、すぐに入手できず不便です。そんな時代になってしまったのですね)

読んでいて楽しい文章と内容なのは、さすがは『本の雑誌』。
あっという間に読めてしまった。


私は学生の頃から、手帳・ノート術などの書籍が好きで、一時期、あれこれと集めて読みあさったものでしたが、
アナログ主流の頃から、作家やジャーナリストなどの「書く」プロが、どんなふうに記録やメモを工夫し、どんな筆記具にこだわっているか、すごく興味がありました。

その興味は、今もまったく色褪せていないことを、『本の雑誌』を夢中で読みながら、再燃する炎を感じつつ、実感するのが自分で楽しかった。


  万年筆からワープロへ

私自身は、所属していた学術研究室も編集の職場も、あえて時代とひとつ遅らせているような、ペンと紙で手作業を重視する環境だったので、
ワープロやパソコンにじかに触れるのが、一般の人達より遅かったと思います。

子供の頃から書くのが好きだったから、万年筆やノートには早くから憧れがありましたが、
大学の卒業論文を書くために、気合で購入したパーカーが、やっと手にできたファースト万年筆。
以降、毛筆と鉛筆とインク万年筆(どれも数百年〜千年残る筆記具)のみ使用し、千年先まで紙記録を残す理念の、レトロな文化系の職場において、趣味と実益のため、数々の万年筆を遍歴してきました。

ただ、手書きで文章創作がが好きなのに、クセ字とおかしなペンの持ち方がどうしても直らず、
長時間書いていると疲れるし、
さらに長文をペンで書いていると、一点集中しすぎて思考が筆記速度に間に合わず、すぐにヘトヘトになりまとまりがつかない欠点があって、
そこから自信喪失とスランプへとなだれ込み、書くこと自体が重く感じられ、好きなのに書けなくなるという、餓鬼道に落ちたような心境に陥ることしばしば。

そんな中でいつも思っていたのが、
かつて、何かの機会に英文タイプライターをいじらせてもらったことがあって、なぜか私は最初からローマ字入力がスムーズにでき、
両手の五指を使って心に流れてくる言葉を落とすのが、思いのほか心地よかった記憶がずっとあったため、
「こんなふうに英文タイプでローマ字で、日本語が書ける機械があればいいのに……でも日本語は平仮名だけじゃなくて、漢字変換がいっぱいあるから無理かぁ…」
なんて思っていたのですが、
実はその頃すでに、世の中には日本語ワープロやコンピュータのソフトはあったのでした。知らなかっただけで。

やがて研究室でも、個人でワープロやパソコンを持つ人が増えて、私も情報を知り、欲しいと思ったけれど、
たとえばいくら立派な万年筆を背伸びして買ったとしても、魔法の杖を手にしたわけではないから、結局、自分が書く限りは、それで立派な論文が書けるようになるわけではない。
同じように、ワープロやパソコンを買ったとしても、ろくに書けず、使いこなせなかったらとんでもない宝の持ち腐れな無駄遣いになってしまう……
そんなふうに、かなり長いこと悩みました。

その果てに、思い切って購入した最初のワープロは、“文豪”でした。

当時は、“文豪”派と、“書院”派が、文系の主流でした

岩波書籍の書体に近いレトロ調なフォントと、豊富な変換辞書が気に入ったのですが、
このワープロの購入は大成功で、かつての英文タイプライター同様、すぐにローマ字入力でスムーズに書き進めることができ、それまでの執筆スランプが一気に解消されました。

考えるより先に、ワープロの前に座れば、
思考が雑念なく、指先からキーボードに流れおちていき、淀むことがない。
おかげで、今となると、自分でも驚愕するほどの文章量を執筆することができていました。

キーボードは画面に文字が映されるため、手書きと違って、どこか客観的に自分が書いたものを読みつつ、書き進めることができる。
また、両手指を使って言葉を打つため、ペンのように一点集中して肩ひじに力が入ることがなく、集中力が途切れづらいし、疲労感も軽減されます。

まるでピアノの鍵盤で音楽を奏でているような心地よさ。
ペンで書くより筆記速度が早いし、浮かぶ言葉を即座に落とし続けられる。
しゃべるよりも打つほうが早く、テープリライトのような聞き書きも特技になりました。(使い慣れたキーボードに限ります)

ちなみに、これは自分でもわけがわからないのですが、私、ローマ字ではブラインドタッチが普通にできるのに、英字を打つのが苦手だという……つまり、アルファベットの配置を覚えているわけではないんです。
それでも、ローマ字入力は、最初にキーボードに向かった時から普通にできていました。なんでなのかな?

  パソコン・文書ソフトは“一太郎”

愛すべき“文豪”は、無念なことに、数年で書き潰したかのように壊れてしまい、
次は、Windowsパソコンを購入しました。

もともと機械オンチで、マニュアルを見てもチンプンカンプンでしたが、
当時、趣味で小説を書いて同人誌みたいに定期出版していたので、すぐにパソコンを覚えて書かなければ間に合わない……その切迫感と、そもそも書きたいことが押し寄せて、一刻も早くキーを打ちたい、その衝動に後押しされ、
覚えるともなく、書きながらパソコンの使い方を覚えました。
文書作成に限りましたが、必要に迫られたから、使いこなせたのは間違いありません。

当初、文章作成ソフトの主流は、“一太郎”でした。
これは、今思い出しても、すごくいいソフトで、“文豪”から移行しても、まったく違和感なく使いやすく、
オフセット印刷しても、まるで活版印刷と変わらないくらいに、ルビを入れても文字列が綺麗に整っていて、編集の見栄えもすごくよかったし、
使っていて、楽しくさえありました。

しかし、以前は、パソコンに当たり前のように一太郎が入っていたのに、
Officeが主流になってWordでの文書作成が常識になってから、自分でインストールしないといけなくなったし、
一般的にも、文書はWordでなければという感じになってしまい。

しかし私、Wordにどうしても馴染めなくて、Wordになってから、思うように書けなくなってしまいました。
仕事では使わざるを得ないから、Excelなどと同様に使っていたけれど、
個人的な文章を書こうとしても、なんだか進まない。体裁が気に入らないというか、書いていても余計な雑念が入って、思考にも文章にも集中できないんです。

何度か、一太郎をインストールしようかと思いましたが、ソフトも安くないし、パソコン動作が重くなると言われたり、
パソコンに詳しい知り合いに相談しても、
「なんで一太郎にこだわるんだ」と、鼻で笑われたりして。

結局、何度格闘してもWordに馴染めず、実はWord以降、創作活動が中断しています。

これ、私だけのことかと思っていましたが、
『本の雑誌』に出ている作家さんや編集者さん、今も一太郎の愛用者が多いようで、なんだか安心しました。
今は、私が使っていた頃より、だいぶバージョンも上がったと思うので、Windowsが、とあるバージョン以降、どうにも使いづらくなったのと同様に、今、インストールしても使いこなせるかはわからないですが、
私の頭がWordに追いついていないだけでなく、ちゃんと、文章書きにとっての、向き不向きが、ソフトやアプリにもあるんだとわかって、なんだか嬉しかった。

弘法筆を選ばず……といっても、誰もが弘法大師ではないから、筆記具の相性や、文章を表示するソフト画面など、理屈ではなく、書くためのコンディションに個人なりにこだわりたい、必要な環境はあります。
本当は究極、紙と鉛筆さえあれば書くことは可能であって、道具を言い訳にするのは贅沢なワガママとは思いますが、いくらそう思っても、書く境地に至れないのは理屈じゃないのですよね……

  携帯、スマホ、タブレット、Chromebook

でっかくて重くて、決まった場所でなければ作業できなかったパソコンも、進化は早く、今のノートパソコンはコンパクトで軽くて、どこへでも持っていって作業ができる。
パソコンでなくても、スマホ・タブレットがあれば充分だし、
携帯電話以降、一旦普及すると、進化の著しさはすさまじいもの。

でも私は、メールやLINEや、ちょっとしたSNSに書く場合以外は、今も、どうしてもキーボードでのローマ字入力でなければダメで、
かつての携帯電話でも、キーボードがスライドで出てくるタイプのものが、入力しやすく、ものすごく重宝して好きでした。
携帯としてはかさばるけれど、ノンストレスで書けるのがよかった。

今のスマホやタブレットの、タッチパネルでのキーボードは、感触が苦手だしミスタッチしがちなのでダメです。
書いている時の、夢中で集中している、そのスピードについていかないし、ミスタッチしないように神経を使うから、思考に集中できない。

タブレットにキーボードをつけたこともあったけれど、
やはりスムーズには入力できませんでした。

キーボードがついているChromebookを購入した際、Googleのアプリで、文書作成用のエディタをいくつか試したのですが、
メモ用にシンプルなものはいくつか、下書き用に愛用できているものの、なんとなく、原稿を書くという趣にならない。
その中で、今現在、“TATEditor”という、縦書き画面で文書が書けるアプリに慣れようとしているところです。

一太郎の時は、横書きで書いて、縦書きで印字・校正など編集作業するのが最適でした。
改行や文字列も表現のうちなので、紙に落とした時の体裁を見ながら編集したいけれど、
今のところ、かつての一太郎以外、そこまでできるのはなかなか。

しかし、こんな選り好みで書く意欲を出せない自分が、すごく口惜しいし、情けなくもあります。

  そしてポメラ

ここ数年。使っては挫折し……を繰り返しているのが、デジタルメモ・ポメラ。
かつてのワープロに最も近く、書くことに特化していて、気が散る余地のない、キーボードで打てるコンパクトなエディタ。
この愛好執筆者も、ひそかに多いとはよく聞く話です。

一台目は、十年ほど前に、折畳式のものを、不要になった人から安価で譲っていただいたものでした。
嬉しくて、一時期はどこへでも持ち歩いて、折あらば使っていましたが…
…画面が小さくて長文を見返しづらかったことと、安定が悪く、夢中で書いていたら壊れるんじゃないかと気になる華奢な感じが怖くなり、
仕事環境の変化で、持ち歩いて壊す懸念もあったため、だんだん使う頻度が少なくなってしまいました。
それでも、このポメラのおかげで、緊急に頼まれた原稿を、出先の駅のベンチで作成できたりと、折々助けられてきました。

そして数年前、DM200が出た時には、これなら安定も良く、画面も比較的広そうだし、キーボードもちょうどいいサイズだから最適!と、
自分ボーナスのつもりで張り切って購入したのですが……

まだ買って半年くらいの頃、一度、何が原因かわからないのですが、自宅で書いている途中で唐突に凍りついて動かなくなり、たびたびバックアップしていたはずが、それまで書き溜めたデータが本体にもSDカードにも記録されていなかったなんて、とんでもないエラーがあった上、半日ほど復旧もできない事態となり…
以来、怖くて使うのを躊躇うようになってしまいました。

精密機械とはいえ、これはパソコンのような機器ではなく、「電子文具」なわけで……
どんなにデリケートに扱っても、何があるかわからない。

以来、たまに起動させて、当たり障りないメモや記録を書き残すくらいに控えていましたが、
結局のところ、今現在、一番使えそうなのは、このポメラかもしれないと思い直しています。

Chromebookは、電波状況で不安定さが出て、キーボードの筆記速度がバラつき、たまに、打ちこんだ数文字が表示されず消滅することがあって、そのたびにつまづいたように集中が途切れることになる。
パソコンも同じ。ソフトにもよるけれど、多くはオフラインだと、使えなかったりもする。

しかしそもそも、そのままSNSやブログなどに出すわけでなければ、写真など画像を表示させたり、カラー画面である必要も、Wi-Fiや電波につながる必要もない。
今思い起こすと、かつて、文豪や一太郎で作業していた頃は、今のようにネット環境が当たり前に常備されていなかったっけ。
だから、外へつながることを意識することなく、非常に閉塞的な状態で、自分の内面とのみ向き合って、書くことだけに集中できていました。

本来、書き上げたものを、あとでどうするかはともかくとして、執筆の際には、自分と資料とだけ向き合っていればいいわけで。
電波ってどうも、人の意識も外側へ向けて流してしまうもののような気がします。

本当は、書く時間は、スマホも電源を切っておくほうが望ましいとは思いますが、
そういう時に限って、不測の緊急連絡が来たりするから、待ち受けにだけはしておかないと。

ポメラを使っていて、また何かおかしなトラブルが起きると、こっちが再起不能になりそうだけれど、
どんな機器でもトラブルは起こるものだし、

昔のワープロに戻るつもりで、電波を離れたポメラと向き合ってみようかと。

ポメラは限りなくアナログに近いデジタルでもありますし、万年筆との手書き筆記との相性もいい。

ワープロ以降、長文を落とし込むのはキーボードが最適ながら、やはり手書きも好きだから、
万年筆とノートは常にセットで。

今は、創作に向かう思考と環境を取り戻すことが最優先。
『本の雑誌』で、書く現場の方々のお話を読んでいて、改めて、自分の世界を自由自在に書きたい衝動に駆られています。

我ながら単純だけれど、それも自分にとっての潤滑油になるのが有難い。

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