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『枕草子』朗詠 第五段「大進生昌が家に」①門ちひさければ


第五段も長いので、分割に。

この話の時期は、定子中宮が、一条天皇の第二子であり第一皇子である敦康親王の出産のために、前中宮大進の立場の生昌の家に行啓された際を、回想して書かれたもので、

通常、貴人の出入りする門は、車ごと入って直接部屋に通じるように造られているものなのに、
女房たちの入る門は、あまりに狭く小さくて車が入らず、
髪や衣装が乱れて見苦しいまま、人に見られながら歩いて入ったことが語られます。
そのことを清少納言は中宮に愚痴り、
(清)「中宮様をお迎えするような家に、車が入らないような門なんてあるものですか。顔を見たら嗤ってやる」
なんて言うタイミングで、生昌が、やってきました。早速文句を言うと、
「身の程にあわせて、家を造りましたので」
なんて悪びれず言う生昌に、
「門だけを高く広く造る人もあるものなのに」
と、清少納言が故事をにおわせて嫌味をいうと、
(生)「そんなことを知っているなんて!自分はその道を学んだので知っていましたが」
と、博学を誇る素振りをみせますが、微妙に間違っているのを皮肉り、
(清)「貴方が学んだ“その道”の知識も、さっき私たちが歩いて大変な思いをした筵道みたいに、大したことないのでしょうよ」
(生)「いやはや恐れ入る、なんとも口が達者で、ああ怖い怖い」
などと、逃げていく生昌の様子に、
(定)「どうしたの?生昌がひどく怖がっていたけれど」
(清)「いえ別に(笑)」
などと言いつつ、一旦、中宮の御前より下がるところまで。

鷹揚ではあるけれど、定子中宮も、清少納言のやることや言動を、面白がって知りたがり、
清少納言は、ことあるごとに、あえて、定子中宮を面白がらせるように話そうと、事態を待ち構えているようにさえ見えます。

***
この段のエピソードは、漫画になるようなコミカルな感じで、
生昌なる人物、あかぬけない田舎者っぽさを、終始、清少納言に揶揄されています。

しかし内実の背景は、
すでに定子中宮は孤立無援の苦しい時期であり、生昌は、反中宮の道長派のため、心なし中宮を軽んじているところがあります。
それもあり、生昌に対して、清少納言がチクチク嗤ったり、愚痴ったりするのですが、
それに対し、定子中宮は、たしなめつつも、面白がりつつ、寛容に鷹揚にうち笑みていて、その事態をしめくくっている。
そのように、生昌にさえ庇うような、中宮の、観音様のように美しく懐深いご様子が、
さりげないようで強く印象付けられるエピソードとして、表現されています。

と同時に、
憎らしげでありながら、どこか憎みきれない朴訥さのある生昌を、悪人らしくなく描いているところが、
この段の明るさの源となっているように感じます。

それにしても、今の私たちには古典でも、
この時代においては、後日の回想であってもほぼリアルタイムで、
実在の公に知られる人物や派閥がターゲットになっていることを思うと、なかなかに大胆な筆致だと思います。

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