『枕草子』朗詠 第十四段「淵は」
実在してもしなくても、その名と、由来や伝承から興味を惹かれる名所。
「賢淵」は、賢者の見識によりその名がついたとされていて、
淵に引き込もうとする水精の蜘蛛の底意を見抜いたという伝承から、興味深いと言っています。
それが次の「勿入淵」…入りなさるな、との淵の名に続き、危険ですよとの名を誰が教えたのでしょうね、と興がっています。
危険を知る者がいるということは、死地を脱して生還した者がいるということなので、誰ひとり帰らなかったら誰も知らないままだったわけですから。
水蜘蛛の伝承は、私は、伊豆の浄蓮の滝の女郎蜘蛛の話を思い起こします。
浄蓮の滝には、滝の付近で昼寝をしていたら、足に糸をかけてくる女性があって、こっそりその糸を切り株に巻きつけたら、その切り株が滝壺に引き込まれていった…ゆえにこの滝に近づくなとする伝説と、
淵から現れた女性に救われた者が、「このことを人の言うな」と約束したのに、話してしまったために亡くなったという伝説があります。
どちらも、滝伝説で各地に語られる定型です。
おそらく、淵に流れる水が糸のように見え、
水の流れ落ちるさま、または深い水底を眺めていると、水音を聞いていると、引き込まれるような心持ちになることから、
蜘蛛の糸で水底に引き込まれる伝説が生まれたのでは…と、想像し、
人を魅了して引き込むさまと、からめとられるような長い黒髪、水辺で糸を繰る生業のイメージから、神聖かつ鄙びた女性・女郎蜘蛛の妖怪伝説になったのだと思います。
日本版・ローレライともいえるでしょうか。
青色の淵とは、どこか未詳のようですが、深い淵の水が青く見えることから、そう呼ばれるところが伝えられていたのでしょう。
六位の蔵人の衣に染められそう、との連想で、
藍染を「甕覗(かめのぞき)」というように、
前記の、引き込まれそうな深い青色と、連携したイメージでしょうか。
隠れの淵も、諸説あるようで、正確にどことはわからないようです。
稲淵は、私が好きな、奈良・飛鳥川の上流で、吉野へ向かう芋峠の入口。
男縄のしめ縄が張られ、隣の栢森の女綱と共に、水運による豊穣を祈念し、明日香の境界としての結界地でもあります。
実在の地名であると同時に「否(いな)」の言葉を導いており、
「勿入淵」「隠れ淵」「稲淵」は、「な入りそ」「隠れ」「否」と、
なんらかの悲恋を連想させる連呼のようでもあり、
そうなると、「賢淵」「青色」も、当時、その言葉からの連想により、
秘められた深い禁断の恋の淵に引き込まれる、
実在か架空かの噂話か恋物語があったのかもしれません。