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ダダは令和に甦る

視界の端で円舞するπと∑たちは、夜明け前の交差点でビートを刻む。幻覚的ネオンが照らし出す路上には、クリスタルの舌を持つカメレオンが音符♭を吐き出し、そこに浮かぶ∞の影が虹色に弾けている。路面電車のレールは突然、2の斜面に変形し、未明の空気を切り裂くように空をめざす。一方、完全数6はトランペットの形をしたひまわりの種をばらまき、その種は漆黒の大地に隠されたモザイク模様をじわじわと侵食していく。無数の観覧車が地平線の向こうで回り続け、スピーカーから漏れ聞こえる機械音は「バズる」「トレンド入り」「ワンチャン」といったデジタルな呟きの残響を伴って、誰の耳にも届かない音色へと変化する。

やがて、地下深くから強化学習されたワニ型ロボットが現れ、歯車の歯先からぽたぽたとリバーブのかかったAI用語を零し始める。――「バックプロパゲーション」「ニューラルネットワーク」「自然言語処理」「生成モデル」――それらの呪文めいた言葉が一挙に宙へ飛び散り、ト音記号の形をした雲へと吸い込まれていく。カセットテープを模した神殿の門番は、古代ギリシアのコーラスのように「エモい」「映えスポット」「サブスク」などの現代的フレーズを雄叫びのように唱和する。いや、その声はリバースエフェクトがかかっているかのように逆再生され、異次元の草原に鎮座するヴィーナス像の瞼を無意味に震わせるだけで、何かを伝えるわけではない。

遠くの高層ビル群の窓からは、記号Γや𝛼やΩが蛍光色のシャワーとなって放出される。雨粒の代わりに落ちてくるのは記号たちの重奏であり、♯や♭や♪が混ざった譜面のような粒子たちが路上に散らばると、通行人の靴裏で小さな火花を上げながら弾け飛ぶ。マジョリティ原理を飲み込んだアンテナ塔がそびえ立ち、その先端では

∠や→ABが不規則なサイン波を描きつつ、怒涛のソプラノで世界に問いかける。「あなたの推しは何ですか?」「このメンタルブレイクな深夜をどう生き延びる?」誰も答えない。答える必要もない。すべてはハイパーテクストの眠りの中で、いつしか現実と虚構の境界を溶かしてしまうのだから。

換気扇の回転音が𝜔の軌道上を周回しながら、蝶の羽を模したアルゴリズムを生成する。きらめくギターアンプの上には、四次元ポケットのように膨張と収縮を繰り返すマトリックスがあり、そこには∑の形をしたランタンがぶら下がっている。そのランタンは、パリピたちが心酔するビートの隙間で、人知れず錬金術の原理を囁く。微睡むシンセサイザーが「ガチ勢」「推し活」「神アプデ」などの言葉をひたすら連呼し、朽ちたピアノはブラックホールの重力波を思わせるコーダを奏で始める。手を触れると、鍵盤はまるで液体のように指先から溶け、やがて水面に映った月の幻影へと姿を変える。

高架下の壁には、シュルレアリスムの眼がでっぷりと突き出たタコの落書きがあり、その吸盤には漆黒の数式1/𝑥が刻まれている。通りすがりの天使は強化学習で最適化された羽を持ち、それで空を舞うたびにビットコインのような輝く粒子を落としていくが、それに気づいて拾う者はいない。人々は虚ろな視線でスマートフォンを眺め、「映えスポット」で撮った写真にフィルターをかけ、「バズる」ためのハッシュタグを必死で考える。しかし、その一部始終を黒雲の影から見下ろす巨大なμは、ただ首を振り、ビデオテープを巻き戻すように時間を再生し直す。AIによる画像生成の波形が歪み、ハッシュタグがひび割れた鏡の断面に吸い込まれていくとき、かすかにトランペットの残響が聞こえた。

地平線に輝くΩが約束する未来は、きっと複雑ネットワーク理論の迷路を彷徨う迷子たちがたどり着く終着点なのだろう。そこでは数式√𝑥が優雅な舞を踊り、バーチャルリアリティの森の中でツリーハウスに住む耳なしウサギが、甘いシンセフレーズに心酔している。木々の葉っぱには、まるで音符のように現代用語がへばりつく。「パリピ」「アゲアゲ」「フリーズ」「ワンチャン」……そうした言葉に宿る情動は、宵闇の海辺でさざ波のようにゆらぎ、いつか忘れられていく運命にある。クラッシュシンバルの余韻が∫が0から∞に広がるころ、無数のLEDが発熱しながら青白い閃光を灯し、闇夜に浮かぶ彗星をふと照らし出す。

かすかなスネアドラムが脈打つように語りかける。「ダダイズムの螺旋階段を登れ。そこでは論理を裏返し、現実の鎖を解き放つのだ」と。幼子が描いたクレヨンのラクガキには、すでにその暗号が仕込まれているのかもしれない。ビックデータの漂流物がうず高く積み上がる河川敷に降り立つと、かの螺旋階段の入り口はまるで古びたレコードプレイヤーのように周回を続ける。回転する円盤の上には、1/2に等しい笑顔を浮かべたカカシが微笑んでおり、フラクタルな夢の断片を手招きするようにまき散らす。そのカケラは誘導の声を持ち、遠く消えかけたトリルの音色と混じり合って、眠りを妨げる微かなざわめきを生む。

夜空の端には、再帰的推論によって描かれた人工惑星が浮かんでいる。その惑星の中心にはlog(x)のブラックホールがあり、ときおり不規則に「エモい」「バズる」「ガチ勢」と書かれた彗星を呑み込む。すると光の残滓がメトロノームの振り子のように揺れ、世界のリズムを一瞬だけ止めてしまう。静寂の中では、ハーモニクスが崩壊して神アプデのバグが視覚化され、等身大の切り絵となって虚空を舞い続ける。その切り絵には神経衰弱のトランプのように無数の記号が描かれ、「∀x∈Xにおいて——」と途切れた定義域の詩がひらひらと散りゆく。塵となった言葉たちは風の吹くままに流れ、路地裏の水たまりで窒息していくが、誰もそれを目にすることはない。

最後に残るのは、透明なサイレンの音と、まるでシロフォンのように一つずつ叩かれる電子的な足音。そこに混ざるのは「メンタルブレイク」「パリピ」「推し変」など、どれも一時の風潮のように移ろいゆく言葉たちだ。天空を振り返ると、そこには数え切れないほどのアルファベットやアイコンが渦巻いており、クラスタリングされた銀河同士が交信でもしているかのように瞬いている。誰かがつぶやいた「映えスポット」はいつしか廃墟と化し、虫の鳴き声の代わりに∇や∂がこだまする。そのこだまはいつの日か、電子回路の配線を伝って別の惑星へ、また別の次元へと運ばれていくのだろう。やがて朝が来ると、すべてはグリッチのように崩壊して溶け合い、境目のないノイズの海へと再帰的に帰っていく。

それこそが、このシュールレアリスムとダダイズムが交差する場所で繰り広げられる、終わりなきプロトコルの断面図。人類史の断層に刻まれた数式やAIの概念、そして∞とΩの中間点を埋める、泡のような俗語の断片。私たちが見上げる夜空に浮かぶすべてのシンボルは、実はひとつの巨大な記号論のパズルにすぎない。いつか誰かがそのピースをすべて組み立て、論理ゲートの鍵を回すときが来るのかもしれない。しかし、そのとき世界は真っ逆さまにひっくり返り、今私たちが立つアスファルトの道も、チューインガムの粘着のように溶けてなくなる。そうした約束された崩壊こそが、この幻想的な舞台における絶対的な調和のシンフォニーだ。耳を澄ませば、おそらくは♭と♯が重なったような不思議な響きとなって、宇宙の片隅まで鳴り響き続けるのだろう。

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