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気ままか 殊勝か
【Warning 】
あまり丁寧でない表現が含まれています。いつものぼくの作風が好みの方、あるいは読む方によっては不快にさせてしまうかもしれません。また、伝聞がメインの話になるので正確な情報でないものは読みたくないという方には申し訳ない記事になっているかもしれません。心に余裕があって、「いま多少のことは許せるな。」という時に読んでいただければ幸いです。それ以外の場合は、下の写真の手前でストップしてくださいね。
家庭の事情で 花に触れる機会が多かった。そのせいか特に覚えようとした訳ではないが、知らぬ間に花の名前や草花にまつわる話を覚えている自分がいる。
母や伯母や祖母たちが、読み聞かせの絵本のように何度もなんども幼いぼくに語り聴かせたからだろう。
この間も、ふと思い出した。
この花は“ユキヤナギ”という。
でもこの花は “雪”でも“柳(やなぎ)”でもない。
咲くのは春先から梅雨まえくらいまで。イチゴとかと同じバラ科なので、白くて可愛らしい花をつけている。
ただ 名前を偽っているだけあって、かなり“したたか”に生きていけるタイプだ。(ユキヤナギ本人が偽った訳でもないが)
この花(正確には花の咲く木)は、挿し木でも増える。挿し木というのは、乱暴に言ってしまえば『元気な枝をちょんぎって、それを土にぶっ差しておけば、そこから根付いて新しい木になる』というもの。
そのくらい強い繁殖力がある。バイタリティーがありすぎて、庭でモンスター化したユキヤナギと格闘する母を可哀想に見ていたことを思いだす。あの時のあれは、いま思い出しても本当に強かった。
花だって 同じバラ科のイチゴに比べたら、めちゃくちゃに強い。小さいのが 密集して咲くので、少し触ったり振ったりした程度では散らない。全然儚くない。雪の名前をかたるのに、雪らしさの欠片もない。あ、色か…。
枝に関しても僕らがイメージするような、“垂れ柳(しだれやなぎ)”のような弱々しく風に揺れるイメージはなく、本来はぐいっと上に伸びる枝なのだけれど、花が重すぎて垂れているのが多いという現状だ。柳の下の幽霊だって、ユキヤナギの前では間違えて立ってもいられないだろう。生き返ってしまう可能性すらある。
ユキヤナギは、儚さとは対極の強さをもっている。それなのに、誰だか知らない日本人に、自分のことをよく知ってもらえもせずに源氏名のような名前をつけられてしまったのだ。『詫び錆び』とか何とか、きっとそんな感じで。知らんけど。
すべてはユキヤナギをよく知らない人が勝手につけたイメージ名で始まったことだ。
ぼくはそんなユキヤナギが嫌いじゃない。
庭で強すぎるユキヤナギと戦った母にも悪いところがあったと思う。「あら、春にユキヤナギが咲いたら素敵じゃない?○○(←ぼく)の好きな冬が戻ってきてくれるみたいで。」なんて言って、よく知りもせずに挿し木を植えたりなんかするからだ。
お陰でサクラの木の後始末に加えて、ユキヤナギの枝切りと花びらの片付けにまで追われる母を見ながら、梅雨まで過ごすことになった。子供としても、隣の家の庭師さんに頼んであげたかったくらいだ。そんなときもユキヤナギはただのんびりと花の房を風任せに揺らして、過ごしていた。
モサモサと房のように枝をもたげるユキヤナギは、勝手な名前をつけられようとも“気ままに”枝や根を伸ばし、生きることにひた向きであるという実に“殊勝な”姿勢を崩さない。
どちらも彼女の花言葉。