キザな台詞を言わせたいから、肉片転がし照れ隠し。
「やかましい映画語り」なんて表現をして、映画レビューを書いているわたしだから、これを言ったところで誰も何とも思わないだろうが、わたしの好きな映画監督に"クエンティン・タランティーノ"という人物がいる。
ちなみに余談が過ぎるが、巷で人気のMBTI診断によると、わたしとタランティーノは同じ性格の持ち主らしい。うれしい。
だからというわけではないが、そんな彼の作品は、まさに"やかましさ"そのもの。やかましい台詞回し。やかましい画作り。やかましい選曲に、やかましい撮影舞台裏。
そんなのどうでもいいよ。
それを気にしたところで何なんだよ。
彼の作品は、思わずそうツッコみたくなってしまう遊び心に溢れた映画ばかり。だが知れば知るほど、そういう彼の"こだわり"が、とにかく贅沢で、かっこいい。要するに"沼"なのだ。
そんな彼の作家性を浴びるように感じられる1本が、デビュー作『レザボア・ドッグス』だ。
公開から30年という月日を経て、都内のミニシアターを中心に、先日までリバイバル上映が行われていた。
お金がない無名の新人監督だったタランティーノだが、そのデビュー作にもたらしたものは、極上の「会話劇」。
大掛かりな舞台セットはなし。緊迫したカーチェイスや、ビルや建物の大爆発の類も何もないが、役者が放つひと言ひと言に、監督が考えるひとつひとつの会話に、ただならぬ緊迫感を高揚感を覚えるのである。
公開当時から変わらぬカルト的人気を誇る『レザボア・ドッグス』
トロント国際映画祭で作品賞に輝き、ストックホルム国際映画祭で大賞、特別招待作品としてカンヌ国際映画祭に選出されたときには、「心臓の弱い方は観賞を控えてください」との警告が発令されたというほど、血なまぐさく、狂気的。それなのに、すべてが繊細で、美しくて、やっぱりかっこいい。何度観ても、最高の映画体験とはこのことだ、と教えてくれる作品に違いないのである。
タランティーノにしか描けない、キザで調子のよい会話ベースの犯罪映画。
皆さんも、久しぶりに鑑賞してみてはいかがだろう。
いや、これを読んでいるあなたが、もしまだ本作を観たことがないのなら、今から『レザボア・ドッグス』の世界を楽しめることに感謝すらしたほうがいい。
そんなお墨付きである。
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