アートは問題提起、デザインは課題解決
皆さんは「ディーター・ラムス」という人物をご存知でしょうか。
先日ラジオを聴いていたら「ラムス」を紹介している放送に出会い、思わず聴き入ってしまいました。伝説とも言われる世界的なデザイナーである彼は、髭剃りで有名なブラウン社と深い関わりがあり、その洗礼されたデザイン製品の数々はMoMAをはじめとする多くの博物館に収蔵されるほどです。Appleのデザイナー、ジョナサン・アイブから敬愛されていることでも有名です。
彼のデザインにおける有名な言葉として、「less, but better(より控えめに、より良く)」というものがあります。彼のデザインを見れば、その言葉の意味は一目瞭然。上述したAppleのアイブ氏が、彼の思想を持ってデザインしたものこそ、今皆さんの手元にもあるでしょう、iPhoneです。iPhoneはラムスのデザインではないですが、この1台を見るだけで「less, but better」の言わんとしていることは理解できるのではないでしょうか。まさに究極的なデザインであり、人々を魅了する不思議な力も秘めています。
さて、前置きが長くなりましたが、このディーター・ラムスのドキュメンタリー映画『ラムス』から、デザインの域を超えたメッセージを考えてみたいと思います。
足し算だけでは豊かにならない
時は50年代ドイツ。
戦後の復興に燃える人々は変革を求め、過去から未来へ、より良い暮らしを求める風潮が強くなっていました。これは当時の日本においても同じことが言えるでしょうね。どんな資料を拝見しても活気に溢れた生活、むしろ世界中が活気だけで乗り切っていた時代のように思えます。ラムスも豊かな暮らしを求める者のひとりでしたが、彼はモノで溢れさせる足し算の思想だけではなかったということが伺えます。
誰でも簡単に操作できる機器を目指した彼のデザインは、とにかく削ぎ落とす美しさが見て取れます。ボタンの数、表示サインの簡素化はもちろん、自社ブランドまでをも背面に表記することを好んだ彼は、まさにデザインの巨匠です。ロゴを全面に押し出すなんて、自己主張が激しくてうんざりする、と笑って見せる彼は、可愛くもある一方、その鋭さに何かドキッとするものも感じます。
そう、それは単なる彼のデザイナー魂だけでなく、環境、そして人類に対する深い愛が関係しているようなのです。
アートは問題提起、デザインは課題解決
できる限りシンプルに作る、これは当時の時代からするとかなり前衛的で刺激的だったことでしょう。もくもくと工業地帯から煙が上がり、世の中は大量生産大量消費型のモデルへとシフトチェンジしていく中で、彼は地球の将来を危惧していました。デザインは、その時代を象徴します。
劇中での彼からは、"デザイン"の役割、"デザイン"の立ち位置に不安を募らせているような様子が伺えます。そこにはきっと、デザインが本来持つ力、すなわち課題解決能力が試されていることを、ひしひしと感じている証ではないでしょうか。
アートは人々に気付きを与えることができる。
そして、デザインは人々に解決する糸口を提示することができる。
単にお洒落ということでも、奇抜で新奇性のあるものということでもなく、デザインの本質はもっと広く、それでいてもっと人々に根ざしたものであるべきなのでしょう。
あらゆるモノは皆さんの生活の一部です。それどころか、モノが皆さんの生活を形作っているとも言えますね。常日頃目にし、使い、肌で感じるそのデザインは、少なからず人々の意識や価値観に影響を与えるはずです。ラムスはそんなデザインの持つ力を理解し、その力を持ってできることを模索しているのでしょう。
(https://br-time.jp/designer/)
盛るのではなく減らす、増やすのではなく削ぐ、強調するのではなく控える。
彼のデザインから学ぶべきことは、デザインそれ自体の新しさより、もっと生活それ自体を包括するような教えがある気がします。
我々の生活にはどんなデザインが必要なのでしょうか。
本作が伝えるメッセージは、決してラムスの巨匠エピソードではなく、我々が求める、我々が求めなくてはならないデザインの在り方を問いてくるようです。
まとめ
さて、タイトルにもつけた「アートは問題提起、デザインは課題解決」という言葉。私はかつてこの言葉を耳にしたとき、強く感銘を受けました。アートとデザインは似て非なるものであることは、なんとなく理解していたものの、決定的に言葉で表すことができずにいました。
これはどちらが優れているとかいうことではなく、それぞれの役割なのでしょう。本作『ラムス』は、そういう意味で風化させてはいけないドキュメンタリー映画だと思うわけです。映画というアートを通じて我々に問題意識を持たせ、デザインという内容で課題解決能力の重要さを示してくれます。このすべてをまるっと体現してくれる豊かな74分間が広がっているという、なんて贅沢な1本でしょう。
劇中でラムスがデザインのこれからを懸念する描写がありましたが、これはアートでも同様でしょう。アートにしろ、デザインにしろ、本質ではない何かが先行し、それらが持つ、いや、それらが最もよく発揮できる力の存在を無視しているケースが少なくないように思います。
時代は誰でもクリエイター。このnoteを含め、それこそ誰でも簡単操作で自己を発信することが可能です。それどころか、究極的な別世界線、メタバース時代の到来も、SF映画の話ではなく、現実として近い将来やってくるかもしれません。
誰もが創作し、発信し、アーティストも、デザイナーも溢れかえる今、我々が本当に考えるべきことはなんでしょう。どんな思想を持って生きるべきでしょう。
少なくとも今現在、アートを届ける者、デザインを手掛ける者には、そんなことをぜひ考えていて欲しい。偉そうなことを・・・と憤慨されるかもしれないが、カルチャー大好き人間からの切実な願いです。
そうして個人のInstagramの投稿ひとつで頭を悩ませる私。
私の投稿ひとつだって、もしかしたら誰かに問題提起を、いや、課題解決の糸口を促すきっかけになることがあるかもしれないから。いや、ないか。笑
"Rams" (2018)
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