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たぶん転機だから、愛する映画3本を語る。

「映画のこととか、思ったこととか」をテーマにnoteを書き続けているわたし。

なのに、実は昨年11月1日に公開した「ひたすらに面白いが凝縮された映画『犬ヶ島』。」を最後に、「映画」に関する記事をアップしていない。

(ちゅ、映画レビュー上げなさすぎて、ごめん♡)


これまでの記事で、恋人と別れました、身内が他界しました、弾丸で海外行っていました、足繁く舞浜に通っていました、etc. みたいなことを書いて、柄にもない"多忙アピ"を繰り出していたが‥‥
実のところ、そんなものはすべて余興でしかないくらいに、もっと切羽詰まる"イベント"がわたしの身に巻き起こっていた。(詳しい話は今のところ割愛ね)

中でも、その"イベント"に拍車がかかったのが、昨年11月頃からであったわけで、今日まで映画館は疎か、めっきり自宅で映画を鑑賞する時間すらもままならなかったということなのである。
(まじでこの数カ月は、1秒たりともYouTubeショート眺めて溶かす時間とかなかったのに、睡眠時間は3~4時間なんてザラだったからさ、さすがに"アピール"じゃなくて、ただの"多忙"を極めてたと思って??)

しかし、"止まない雨はない、明けない夜はない"もので、いま、なんとなく、峠を越えたような気がしているのだ。
そしてこれは間違いなく「転機」の時だと感じているので、こんなタイミングだからこそ書ける、これまでのわたしを形成してきた"愛する映画3本"の話をしたいと思う。

そういうわけで、端くれ映画レビュー者の、久しぶりの映画記事を、よかったら覗いていっておくんない。



***


『スティング』


これぞ映画である。
わたしが映画に求める要素は、すべて『スティング』にある。

‥‥と言っても過言ではない1本。

The Sting (1973)

提供ユニバーサル・ピクチャーズ、監督ジョージ・ロイ・ヒル、主演ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードという、圧倒的布陣で送る名作『スティング』。

舞台は1936年のシカゴ。
詐欺で日銭を稼ぐ1人の若者(ロバート・レッドフォード)が、親同然の師匠を殺害したギャングに復讐するべく、伝説的な賭博師(ポール・ニューマン)と協力し、得意のイカサマで相手組織を追い詰めていくクライム・コメディである。

本作の面白さ、素晴らしさについては、以前の記事でも散々書き散らかした通りだが、何より本作はわたしの「楽しく生きたい」というアイデンティティを決定付けた1本であることを、ここでは強調しておこう。

ジェンダーバイアスも甚だしい言い方で申し訳ないが、我ながら実に「男の子だなぁ…」と思ってしまうほど、本作で描かれる「気概の良い仲間たちと一発デカいことやってやろうぜ!」の雰囲気は、長らくわたしの心を掴んで離さない。

やってることはイカサマ犯罪なんだけど…
本作のベースに流れる「やってやろうぜ感」は、仕事をする上でも、遊びをする上でも、絶対に必要な精神だと思うし、この感覚を得られることが生きることの本質、なんて言えるのだろうなと、いつもそう思ってしまうのだ。

この「面白くなってきやがった」的なマインドね。
(※カリオストロも大好きです)


『スティング』に初めて出逢ったとき、
わたしは正真正銘の子どもだった。
若干13歳ほどのお子ちゃまだったくせに、どこか世の中を俯瞰して、どこか冷めた面をしていた。がむしゃらに取り組みたかったはずのものが目の前で崩れ、早くも"上手く生きること"に、人生をシフトチェンジさせる勢いだったのだ。

しかし『スティング』は違った。
良い大人たちが、本気で犯罪に取り組んでいる。なんて滑稽な。でも、なんて美しい光景なのだろうと思った。「たのしい」「おもしろい」がすべて詰め込まれていると思った。「粋」という言葉の意味を考えるようになったのは、この映画を観たことがキッカケだった。
良い大人が激しく落ち込んで、良い大人が死ぬ気で何かに取り組んで、良い大人が喜びを分かち合って、それでいて、良い大人だから最後は何事もなかったかのようにその場をあとにする。ラグタイムの曲に載せ、軽やかに生きるその姿に、わたしは見事に心打たれたというわけなのだ。

生きることは伏線回収の連続なんだから!
こちとらやかましく生き続けたいだけなんだから!!
「粋」とか「センス」とか「感性」とかいうもので、この人生塗り固めたくて仕方ないんだから!!!

‥‥と、半分冗談、半分本気で言いがちなわたしのベースには、間違いなくこの映画『スティング』がある。

ひと息吐けるようになった今は、まさに鼻の先をちょんと触るような気分であるとも言えるだろう。

いろいろ差し置いてこの映画のファッションが好きすぎるっていう理由もあるけどね。



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『ロジャーラビット』


「好きな映画は?」
「ロジャーラビット!」と返す人に、未だ遭遇できたことがない。
だが、わたしにとっては非常に大切な1本なのである。

Who Framed Roger Rabbit (1988)

天下のウォルト・ディズニー・カンパニー、から派生してできたタッチストーンピクチャーズの提供で送る、傑作『ロジャーラビット』。

ディズニーランドのアトラクション「ロジャーラビットのカートゥーンスピン」にて、その名はよく知っている人もいるだろうが、元ネタとなる映画作品をご覧になったことがある人はどれほどいるだろう。

本作の舞台は1947年のハリウッド。
第二次世界大戦終結後の、混沌としたアメリカ黄金期を象徴するかのごとく、ここではトゥーン(アニメーションのキャラクター)が実社会に存在しているという設定で、そんなトゥーンと生身の人間との関係を描くサスペンス作品に仕上がっている。
(知らない人は驚きかもしれないけど、これサスペンス映画なんですよ?)

本作については、1988年のアカデミー賞視覚効果賞、編集賞、音響効果賞にて3つのオスカーを獲得している点からも、しばしばその「実写 × アニメーション」の映像表現にばかり着目されがちだが、わたしがひどく感動したそれは、個性豊かなキャラクターが放つどぎつい台詞の方である。

どうにも「全年齢対象映画」とは思えない隠語のオンパレードである本作だが、そんなシニカルでウィットに富んだ会話劇ではこのような台詞がある。

ジェシカ「女であることがどんなに大変か、しかも私のようなカラダだと」

探偵エディ「男も大変だ、君みたいなカラダの女を見たときは」

ジェシカ「私は悪くないわ、こういう風に描かれただけ」

かーーっ!
なんという洒落た台詞!
なんというかっこいい台詞!
というかまったく、馬鹿な男もいたもんでごめんなさい!‥‥と、オトナのゆとりと楽しさを見せつけてくるようなやり取りに、わたしはまんまと心を射抜かれた。(ませた小学生)

※これでもディズニー映画です。

また別の場面。
本作の主人公、わたしの愛するロジャーラビットにはこんな台詞がある。

「笑いのない人生なんて死んだ方がマシさ」

え?待って?
どったんばったんふざけ倒しているカオスな劇中で、サラっとこんな台詞も言うの…?なにこの映画?愛なんだけど!?!?となった。(ませた小学生でしたよ、ほんとに。)

ただ「人を笑わせるのがトゥーンの使命さ!」と言うロジャーが本当に好き。

つまり、本作の素晴らしさは、そこに登場するキャラクターがみな、自分の"生き方"を知っているということなのだ。
"ディズニーあるある"では、自分の存在に悩み、鏡に映る自分を見て嘆き、星に願ったりなんだりして、「自分とは」の本質を見つけていく物語(※言い方)‥‥みたいなので溢れ返っているが、『ロジャーラビット』はその根本が違う。トゥーンも人間も、既に自分の"居場所"を知っている。その上で何ができるのか、どこにその才が活かされるのか、そんなキャラクター構成のもとで物語が展開していくからこそ、ドタバタコメディなのに妙な"うるささ"がなく、それというよりむしろ不思議な"哀愁"すらを感じる作品になっていると、わたしは思うのだ。

ロジャーラビットは、ハリウッドの一線で活躍するスター俳優。
ジェシカラビットは、ナイトクラブ「インク&ペンキ」の歌姫。
探偵エディ・バリアントは、私立探偵事務所で数々のトゥーン事件を解決してきたという、輝かしい過去がある。
本来であれば、それぞれのそうした地位や名声を得るまでの過程を映画にして然るべきだと思うが、『ロジャーラビット』はそこの多くを語らず、彼らのルーツは観客に委ねるものでしかないのだ。

その意味で、大切なのは「今」。
ピークを越えた「今」をも笑えるかどうかという、シンプルだが人生の命題のようなものを掲げてくれる映画として、常にわたしの心を明るく照らしてくれるのだ。

本作で鍵となる様々なサスペンス要素は、どれもギャグでまとめ上げてしまうため、あまり鑑賞者の記憶に残りはしないだろうが、よくよく冷静に見てみると、この映画には「夢」「死」「成功」「挫折」「浮気」「失恋」「労働」「金銭」「結婚」「土地」「権利」「相続」「売春」「性差」「権力」「笑い」等々‥‥様々な(嫌らしい)社会構造と、それにまつわるライフイベントが多種多様に絡み合っている。
それに異論を呈し、圧倒的な綺麗事を振りかざすのも良いが、わたしにはそんな状況でもなお、ロジャーが語るところの「笑いのない人生なんて死んだ方がマシさ」と言い放つ価値観が最もしっくりくるのである。

何度観てもゲラゲラと笑えて、どこか大人びたトゥーンたちの背中に、どうしても多好感溢れる哀愁を感じざるを得ないのだ。


***


『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』


全編すべてがクライマックス。
人はこれを「何も起きない映画」というけれど、わたしにとっては「何かがずっと起き続けている映画」に思えてならない。

Once Upon a Time in... Hollywood(2019)

奇才クエンティン・タランティーノの長編9作目、神作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』。

舞台は1969年のハリウッド。
俳優シャロン・テートがチャールズ・マンソン率いるカルト集団"マンソン・ファミリー"に殺害された事件を背景に、当時のアメリカ ハリウッドのリアルすぎる情景を描いたサスペンスファンタジーである。
(こうして好きな映画3本並べてみると、意外とわたし「犯罪」とか「サスペンス」とか大好きなんだな。。。)

タランティーノ作品については、かねてより漏れなく全作品が愛すべき映画と呼ぶに相応しいものばかりだと思っているのだが…中でも本作(通称:ワンハリ)は、わたしの琴線に触れた1作なのである。

早い話それは、わたしが大切にしている考え方---「表裏一体」の究極的な物語が語られていることに他ならない。
(自分でも多少なに言ってるんだろう‥‥とは思っていますが、過去記事で可能な限りの言語化を試みているので、よかったらご覧ください…)

陳腐な言い回しにはなるが、つまるところわたしは、この映画によって世界が大きく開けたと言っても過言ではないのだ。

息を吞むような自然の雄大さが描かれるわけでも、自分が知り得る世界とは遠くかけ離れた夢物語が謳われるわけでもないけれど、どこかこの世をまるっと包括するような"神の視点"を持って、優しく無慈悲で、冷酷で甘美な、人生の限りない真実性を説いてくれている気がしてならないのである。

無論これは、わたしが「映画」という娯楽にあまりに肩入れし、「映画」ごときに「人生」なんぞを照らし合わせてしまうという、楽観的な思考がベースにあってこその話ではあるが、1969年のハリウッド、そこで起きた悲惨な史実を基にしながら、「Once Upon A Time(昔々あるところに)」として物語が幕開けるのであれば、そこにはある種"先人"からの「教え」があって然るべき。わたしの場合は、それを「表裏一体」と名付けたが、たぶんに「愛」とも、「無」とでも言い換えが可能な、目には見えない、けど確かにそこに存在している、いや、そう信じることしかできない"生きる理由"が映し出されている、などと言いたいわけなのである。

自他共に認める変態ワンハリオタクなので、
最近はもうこのシーンで泣いてます。

とまぁ、うざったるい言葉の羅列で表現してみたが、結局のところ「人生山あり谷あり」みたいなことを、この映画は教えてくれるということだ。
ただ本作は、その事実を淡々と伝えるだけでなく、その先、人生最後の"ご褒美"みたいなものまでを我々観客に伝えてくれるからこそ、わたしの中では他の作品とは一線を画す神作として心に刻まれているのである。

人生山あり谷あり…そんなことは分かっている。
知りたいのは目の前のそれじゃなく、山を越え、谷を抜けたその先で、果たしてこの命は報われるのか、この夢は叶えられるのか、この傷は癒されれるのか、この私は慰めてもらえるのか。
人前では言えないそんな愚直な願望を、どうにもこの映画は代替してくれるから、どこか自分の"表裏一体"な側面として、本作を愛さずにはいられないと、そういう話なのである。

当時のハリウッドと繋がって、昔々…が語り継がれて、今を生きる糧となる。わたしにとっては、そういう映画なのである。


***



映画、人生、転機。


というわけで、愛する映画3本を語ってみた。

だが、当たり前にこの3本だけが今の"わたし"を形作ってきたわけではない。我々映画好きは、事あるごと、さまざまな映画に生かされ、時に殺され、映画ともにゆっくりとその歩みを進めていることだろう。

ある時、わたしの心に深く染み入ってきたのは『サウンド・オブ・ミュージック』だった。

またある時、わたしのやる気を高めたのは『ベイマックス』だった。

いつか、わたしの毎日を彩ってくれたのは『スターウォーズ:フォースの覚醒』だったし、夢を膨らませたのは『ラ・ラ・ランド』であった。

幸せを感じさせてくれたのが『魔法にかけられて』だったと思えば、どうにも涙が止まらなくなったのは『パルプ・フィクション』だったりもした。

『ギルバートグレイプ』が、わたしの生活を一変させてくれたこともあった。

『レミーのおいしいレストラン』が忘れかけた目の輝きを取り戻してくれたこともあった。

ひとりになりたくなったのは『ミッドナイト・イン・パリ』を観たときだった。

誰かに逢いたくなったのは『恋はデジャ・ブ』を観たときだった。

外の世界に飛び出したくなったのは『ダージリン急行』だったし、こんな風になりたいと思ったのは『恋のからさわぎ』だった。

先日どうにも涙が止まらなかったのは『ロボットドリームズ』だったし、久しぶりに観返して心躍ったのは『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』だった。

オタク心を再認識したのは『ギャラクシークエスト』。

素敵な友人らと夜のピザ屋で盛り上がったのは『バッドガイズ』。

変わらぬ輝きを放つのは『メリーポピンズ』で、変わらずトキメイテしまうのは『アバウトタイム』。

何度観たって惚れ惚れするのは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』で、何度観たってゾクゾクするのは『ダークナイト』に決まっている。

外れない名作といえば『シャイニング』。

何が良いのか分からないけど、いつ観ても良いのは『フォレストガンプ』。

『2001年宇宙の旅』で物思いに耽って、『コーヒー&シガレッツ』で自惚れて、『フレンチ・ディスパッチ』で自らを律して、『オーシャンズ11』で風を切って歩くのが堪らない。

月曜日気分で観たいのは『ヘアスプレー』。
火曜日気分で観たいのは『イエスマン』。
水曜日気分で観たいのは『はじまりのうた』。
木曜日気分で観たいのは『スパイダーマン2』。
金曜日気分で観たいのは『ゴーストバスターズ』。
土曜日気分で観たいのは『ルビースパークス』。
日曜日気分で観たいのは『フェリスはある朝突然に』。

春には『アメリカングラフィティ』。
夏には『千と千尋の神隠し』。
秋には『バグダッドカフェ』。
冬には『チャーリーとチョコレート工場』だろう。

そうして、やると決めたときには『スティング』で。
限界を迎えそうなときには『ロジャーラビット』。
自分の頑張りを認めてあげたいときには『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と、そういうわけなのだ。

どういうわけか分からないけれど、とにかくこういうわけなのだ。


別にわたしは「三度の飯より映画好き」ではない。
ひと昔前はそう思っていたけれど、全然映画を観るより家族や友人との時間を優先させてしまうし、映画の¥2,000を渋ることはあっても、美味しいハンバーガーの¥2,000は渋らない。
今回のように羽詰まる出来事に身を置くと、癒しを求めてディズニーランドに足を運ぶことはあれど、めっきり映画館はご無沙汰だ。わたしにとっての「映画」は、所詮ただの「娯楽」なのである。

しかしそれは、決して突発的で短絡的な意味でなく、人生単位でのただの「娯楽」なのだと、わたしは言いたい。

例えていえば、それは食後のホットコーヒー、旅先から持ち帰ってくる綺麗な貝殻、別れ際の人目を気にしないハグのようなものと言えるだろう。無いなら無いで困らない。けれど、あったら間違いなく人生が豊かになるもの。人生単位の「娯楽」。それくらいの"映画好き"、なのである。

この数か月間も「この映画に救われた‥‥!」なんてことは微塵も思っていない。だが、あんな映画や、こんな映画を好きでいられたおかげで、辛い毎日にもちょっとずつの楽しみや可笑しみを見出せていたと思う。

そしてそんな映画の魔法を、僅かばかりでも皆さんと共有できたら嬉しいと思い、誰に頼まれたわけでもなく、こんな記事を書いているわけなのだ。

久方ぶりの映画記事、ゆえにまったくクサい台詞のオンパレードとなってしまったが‥‥
今後とも、ひろひろの「やかましい映画語り」をどうぞよろしく。

皆さんの映画と、人生と、転機も、ぜんぶぜんぶ良いものとなりますように。

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