慢性疼痛をもつ家族と暮らして 1
母が「脊髄硬膜損傷後の慢性疼痛」に苦しむようになって15年ほど。その間に知ったこと、考えたことなどを整理してみる。
●なぜ書くか
・同じような痛みをもつ本人や家族と思いを共有できるかもしれない、少しでも楽になるヒントがあるかもしれない。
・これからも続く痛みのある生活への備えとしたい。
・痛みとともにいた母の15年は、痛い母とつきあい続けた私の15年でもある。力不足をなげきたい気持ちでいっぱいながらも、折々の自分をねぎらい、悔い改めるべきところはなんだったかを探りたい。
と考えたから。
また、「痛み」は「病気」からくるものでありながら、「心のつらさ」も多いに関係していると折々思うことがあった。医学的なこと、エビデンスをつきつめることではなく、哲学というか、生き方のようなものからとらえることになるかもしれない。
母:現在81歳、一人暮らし
私:現在47歳、母の階下(分離2世帯)に夫と子どもと暮らす
●どんなふうに暮らしていたか
私の母は「痛み」と生活するようになって15年ほどがたつ。それについて書くにあたって、痛みがはじまる前のことを少し整理しておく。なぜなら、痛みは器質的なことだけではなく、来し方というか、生活の様子、心の在り方といった類のことも大いに関わっていると思うからだ。
●たぶん「普通」の昭和の家庭
私の両親は二人で家業を営んでいた。住まいの1階が仕事場で、私の記憶のなかでは父は朝飯前から作業をはじめ、週に一度の定休日をもうけたのは40歳を過ぎてからではなかったか。とにかくよく働いていた。とはいえ、通勤もなく、不条理な上司も無駄な飲み会もない環境は穏やかだっただろうし、自分の腕で食っているという満足感はひとしおだっただろうし、職業人としてはやりたいように生きてきたともいえる。きょうだいのなかで男は父一人、その親の家業を一身に継いだこともあり、なかなか「強い」人だった。当時ニューファミリー的な風潮もあったなかで、まだわが家はバリバリの家父長制だった。
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