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築地と文学2024 ~沢村貞子の献立と築地~ その4

出汁について、沢村貞子は次のように語っている。

「鍋の水に昆布を入れ、煮立ちかけたら引きあげて、すぐ、けづりたての鰹節をいれ、また、ちょっと煮立ったら火を止めて濾せば、おいしい一番出し」(わたしの献立日記 沢村貞子著 中公文庫)

このだしの取り方は、私が築地で働くようになってから市場で教わった手順とほぼ同じだ。料理人も主婦もかつては皆、こうしてだしをとった。子供の頃の遠い記憶の中にある鰹節削り‥母は「削ってね」と小学生の私に鰹節を手渡したものだ。新聞紙の上に置かれた鰹節削りの木箱、シュッシュと削った瞬間に立ち上る鮮烈な香り。私はそのだしで味噌汁を飲み育った。

何気なく味わってきた鰹だしだが、鰹節屋に聞くと思いのほか奥深い。関西と関東では鰹節の製造方法も違い、関西では、煮て燻した荒節のままだしを取るのに対し、関東では、荒節に2回以上カビ付けした「枯節」を使う。その土地の水、地元で作られる味噌・醤油などの調味料、また、料理に合わせて使う出汁も異なることを教えてくれたのは築地の鰹節屋・昆布屋である。
鰹節の老舗「秋山商店」の店主はインバウンドブームに沸く昨今、通訳する方々に「dried bonito」(かつおの乾物)ではなく、「katuobushi」(カビ付けした日本独自の加工品であるかつおぶし)と訳して欲しいと言う。かつおぶしの旨味は、この工程を経て生まれるのだ。

私は、築地の主役は、鰹節屋、昆布屋、煮干等を扱う出汁の専門店であると思っている。 もちろん築地の花形は昔も今も魚屋なのだが、魚を仕入れる料理人たちは市場で出汁も仕入れる。市場に毎日通う料理人たちの厳しい要求に応えるため昆布屋、鰹節屋は切磋琢磨し、その努力が築地を単なる生鮮市場でなく和食を支えるまちにしている。

貞子の食卓に登場する湯豆腐は私にとっても懐かしい家族の味だ。土鍋に昆布を敷き水を張っておいて、家族が揃うと大きな豆腐の角切りが投入される。食卓の電気コンロで温められる鍋。待ち遠しく土鍋の蓋を幾度もあけてみる。取り分け皿に醤油・葱・鰹節。そんな記憶を頼りに、私は今、市場で買った甘塩のタラの切身・シメジも鍋に加えてみる。

貞子の献立に時折登場する “のりすい“ は、いかにも昭和風の料理名だ。
「お吸い物は、たっぷりの昆布と鰹節でとっただしが何より。のりすいはあぶって揉んだ海苔と針しょうがをお椀に盛り、酒、醤油、塩で好みの味をつけた熱いだしをかける。」 (わたしの献立日記 沢村貞子著 中公文庫)

だしをとって作る献立は、どれもこれも、なんて魅力的なのだろう。せめて築地で働いているうちは、丁寧にだしを取ろうと思う。

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