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あの入りにくい喫茶店は何を考える

 最近ハマっていることといえば喫茶店に花札ゲームと、すっかり嗜好が中年オヤジじみてきたのだが、少し待ってほしい。その場に立ち止まって凝と地面を見ながら想像してみてほしい。喫茶店で花札ゲームに興じる三十路超えの独身男性を。もうダメかもわからんな。
 とはいえ、花札ゲームがある喫茶店というのはかなり魅力的なところで、花札ゲームにバチ負けして金銭を失うことを除けば、欠点はないかのように思う。忌避されるようなイメージのある喫茶店は、それほどに魅力に溢れ居心地のよろしい場所であると断言したい。
 一体全体なにがいいのか。それを説明するには少し時間を要するのだが大丈夫であろうか。大丈夫に決まっている。誰に了承を取ることなく僕は語りかけようと思う。気の狂った人間が壁に向かって真理を呟くように。もしくは、毎晩あなたの耳元でうわ言を囁く地縛霊かの如く。
 花札ゲームのある喫茶店の何が良いか。まず、入店しづらい店構えにあるのではないかと思う。おっおー、それは欠点になるのではないかと地縛霊からお声をいただきましたが、入店しづらい店構えというのは長所でしか無い。なぜか。未然に客を選別することができるからである。
 昨今の世では、カスタマーハラスメントなる暴力が蔓延っていると聞く。これは客が店員に向かって横暴な態度や精神的嫌がらせを行うなど、かなり陰湿で許されざる暴力のことだ。この、所謂、カスハラが発生する状況の一つとして、店は客を選べない状況があると思う。不特定多数跳梁跋扈の人間が一つの店に足を運べば、ハラスメントを起こすイレギュラーも発生するだろう。それは仕方がないことであるが、できることであれば店側はこの暴力をどうにか避けていたい。俺は絶対に犠牲になりたくないと考えるだろう。
 そこで機能するのが入店しづらい店構えである。この店構えのお陰で、入店する人物は自然と選別され、各々が達成すべき目的を持った客しか入店しなくなるのだ。その環境のおかげであろうか。店には「絶対に今日は何が何でも目的を果たす」という奇妙な一体感が生まれているのだ。そんな環境なので、花札ゲームのある喫茶店では、カスハラなど店員に現を抜かす行為は発生しない。
 そこまで言うのであれば、どんな店構えをしているのだろうかと想像するだろう。考えてみて欲しい。あなたが思う喫茶店を。年季の入った木製式の縦割り住居1階に古風な見た目で、中には入れば白髪交じりのダンディズム香るオジサマがサイフォンを上手に扱いコーヒーを淹れている姿を思いつくだろうか。それも素晴らしいだろう。できれば、そんな店が多くあってほしいものだが、僕が住む沖縄は残念ながら地方、言ってしまえば片田舎でしかないので、古風な見た目やダンディズムと言った類は幻想意外何者でもない。現実にある店構えは『花札新台追加!』と派手な色で装飾された垂れ幕と、コンクリート打ちっぱなしの台風には頑丈な構造をした店が客をお出迎えするのだ。しかも、店員はダンディズムの欠片もない皮脂分泌量のGAINが10に合っているようなオヤジが迎え入れてくれる。これが現実…! 現実です…!と、顎が尖った漫画風になにかを言いそうになるが、ぐっと堪えて入店する。そこに快感が生まれるのだ。
 これは実に奇妙なもので、「自分は特別なことをしてるのだぞ」と悦に浸るような快感を得ることができる。それもそのはずで、今生きている日常の中には無いグレーな存在、言ってしまえば賭け事に触れる機会などそうそうない。競馬が流行っている昨今においても、ギャンぶち覆うのは忌避されるもので、それが正体不明の花札となればなおさらだ。そんな存在に自ら身を挺して飛び込んでいく。そんな経験が日常で体験できるであろうか。と、反語チックに語ってみたが、現実的に考えると『君子危うきに近寄らず』といった具合でそんあ喫茶店は避けているだろう。しかし、だからこそ、君子でもなんでもない一般ピープルな僕は入店する。そして悦に浸るのだ。此れ君子曰く『サブカル気取りの嫌なところ』と陳述す。
 さて、今まで入店しづらい店構えだからこそのメリットについて語ったのだが、今度は入店してからのメリットを語らなければならない。しかし、今の具合でも理解できるように、これ以上うざったい文章を垂れ流すというのは癪である。なので、ここいらで一つ幕を下ろして終幕といたしましょう。一つだけ言えることは、店の中に入れば、虚空を見つめて明日の所在を探しているような客と、青白く光る画面に向かって狂気を解き放っている客がすぐさま目に入ることだけはお伝えしておきますゆえ。それでは此れにて終了。アデュー!

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