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暴力の作用
暴力について考えております。暴力というのは残酷なもので、身体的に被害を与え、その恐怖感で相手を屈服させる。暴力の本質は、害を与え屈服させる恐怖による支配であると考えてもおります。
して、なぜそんなことを考えるのか、理由は実に単純で、昨日からアメリカの小説家 コーマック・マッカーシーのブラッド・メリディアンを開いたからである。本作の特徴といえば、暴力、暴力、そして次に暴力と、暴力を冷酷無慈悲に尚且つ、淡々と描写しているところにある。しかし不思議なことに、暴力をふるった側・ふるわれた側の心理を書き出すことはない、明確な心理描写がない為、前後の会話やモデルとなっているテキサスの荒野を想像しながら、なぜこの暴力はふるわれているのか・この暴力はどういう効果をもたらしているのかを考える必要がある。これは楽しいと言えば楽しいのだが、熟考を要する作業の為めんどうでもあったりする。
して、本作は右の持論が当てはまらないなと思う。持論をデカデカと掲げておりながら何を、と思うだろうが、本作の暴力はひと味違う。例えば、読み慣れた暴力だと、凶器を相手に突きつけるor暴力をふるう→相手を屈服させる→要求を無理矢理に通らす……等と解りやすい屈服があると思うのだが、マッカーシーの暴力は、その土地の気候や生物、歴史などの描写を長々と→少しの会話→唐突にふるわれる暴力→死の描写を長々と→傍観していた人の様子(心理描写ではない)という感じであり、ここから何かを読み解くのは些か苦労する。
マッカーシーの描く暴力は、唐突に訪れ用が終わればすぐにいなくなる、訪問の結果残されるものは冷酷な死という結果だけである、と伝えているのではという気分にすらなる。あと残り200頁弱で、この読みが間違えなのかどうか、暴力とは如何なる作用をもたらすのかを、じっくりと向き合っていきたい。
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