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映画『小学校 〜それは小さな 社会 〜 』を観て、HSCの特性を持つ子どもに思うこと

教育アカウント界隈で話題になっている映画、「小学校 〜それは小さな 社会 〜 」を観てきました。
久しぶりのドキュメンタリー映画でした。

端的に感想をいうなら、「観る人に委ねられる映画」だと思いました。
と、同時に、「小学校はHSCの子どもにとって、あまりにも負担の大きい環境になっているのではないだろうか」とも思いました。

今年は自分がHSPだと知った年でした。

今年の10月にEDIX Seminarへ行く機会があり、苅部 世詩絵さんの講演で初めて、HSC、HSPの事を学問的に知りました。
HSP(Highly Sensitive Person)、HSC(Highly Sensitive Child)・・
色々と調べてみると、どうも私は非HSS型HSEでした。

知ったとき・・壮大に今までの人生の伏線を回収された感じがありました。
みんなが外で普通に活動しているのに1人だけ眩しく感じる状況が多かったり、
疲れて家に帰った時に、家族が観ているバラエティ番組の笑い声や拍手にイライラしたり・・
特に、人の気持ちを感じ取りやすくて、共感度が高すぎることにはずっと生きづらさを感じていました。
よく考えたら、Xでも過去に共感度の事を呟いていたり・・
という5年前のことをすぐに思い出すことができるのも、HSPの特性なのかなぁ。

協調性や連帯責任ありきの小学校教育と「みせしめ」感

そもそも、みせしめとしての叱責は、今の社会で許される行為ではありません。
社会人が職場でそんな事をしたら、パワハラだと言われても仕方ありません。
でも一般論として、今回の映画でもそのようなシーンが有りましたが、
「小学校教育で、何かしらの気の緩みがある児童や、問題を起こす児童が1人でもいたら集団の前で叱責しても良い。詰めてもいい。」というような雰囲気を感じています。
いじめなどの犯罪行為や、他人に危害を加える行為ならともかく、「気の緩み」だけで人前で叱責する事が正しい行為だと私は思えません。

例えば、避難訓練の時におしゃべりをしたり、ふざけたりする事は、命を危険にさらす行為なので毅然とした態度が必要ですが、
「授業開始のチャイムから◯分遅れてきた」という行為に対して、「みんなの◯分が無駄になった」の精神論や連帯責任のために叱責するのではなく、
時間通りに授業を初めてしまって、遅れて教室に入ってくる時の居心地の悪さを味わさせるのも1つの指導方法だと思うのですが・・

しわ寄せを受けるHSCの子ども

いじめなどを受けたりしたことがない、先生から怒られたわけでもない、でも原因不明の不登校になってしまった‥
そんな子どもたちの要因の1つとして、HSCが挙げられるようになってきました。

学校での生活に苦痛を感じてしまう・・例え本人に非が無いとしても。
HSCは5人に1人に割合で発生する気質だと言われています。
そんな子どもたちの前で、大きい声で子どもを叱る、人前で子どもを叱る・・といった環境は、非のない子どもにも悪影響を及ぼします。
もしかすると今の小学校の指導のシステムは、HSCの子ども達が居ないことを前提として作られているのではないか・・とすら思ってしまいます。

戦後でも、引き続き同調圧力のある日本

もしかすると日本は、法律よりも同調圧力が優先される国ではないかと思うことが多々あります。
・退職するときは、今まで有給休暇を全部消化した人の前例がないから、有給休暇の消化は5日まで。
・自分の仕事は終わっているのに、上司の仕事が終わっていないから帰れない。
などの暗黙のルールはまだマシな方で、コロナ禍の緊急事態宣言中に、こっそり飲み会をしたことが週刊誌報道されただけで、タレントさんが活動自粛する必要が出てきたときには、もはや法治国家としての危うさすら感じていました。

こういった、「みんなが一つの方向を向いている時に、他の事をするのは許せない」
「みんなと同じことができない人はいくらでも叩いてもいい」
という意識付けは、義務教育の弊害じゃないかとも思います。
SNSの存在が、それに拍車をかけています。

これからの小学校教育のありかた

北欧の小学校教育が、個人の主体性や自主性に重きを置き過ぎたら学力低下が大変なことに・・ということもよく言われています。
やはり、日本の教育と北欧の教育の間で、うまくバランスを取ることが大事なんだろうな・・

文部科学省には、様々なご意見が投稿できるページがあります。

こういったページに、みんなが思うことを書いていけば、日本の教育がより良くなっていくのかもしれません。


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