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【感想148】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ

 この映画の悪いところは前作『ジョーカー』の良いところとDC作品という建前をすべて剥ぎとっているところで、だからこそ見た時にコレスゲェな、面白いな、と終始前のめりになっていた。
映画として退屈だ、と言われるけれど別にそういうこともなく、ただアーサー・フレックという人物の内面から湧き出るイマジネーションから大衆が面白いと思える映像を生み出すことができないから致し方ない。という断り方で封殺できてしまう。
ちなみに、個人的には『ジョーカー』があんまり好きじゃなくて、今作でオッええやん、ぐらいに面白がって見れるようになった。

他人に勧めやすい -----
個人的に好きか  ★★★★★


 言っちゃえば「こいつは何者でもないおっさんです。」ていう証明をするだけの時間になっている。
ただ質の悪い要素として、『ダークナイト』を筆頭とした、未だ魅力が衰えないジョーカーという存在が持つ力強さと、自分事だと思い込めるスケール間によるミラーリングのしやすさは大きいと思っている。
ラストの含みある展開によって「これはアーサーの妄想を見ていただけじゃ?」という考え方ができるのが前者のせいでもあるし、実際に国内でも京王線千歳烏山駅にとんでもない量のヘイトを向けさせる原因となった事件が発生したのは後者のせいでもあるだろうし、とにかく前作の持つパワーが(おそらく)制作サイドの想定を超えたものになっている。

 この二重になる説明はいるのか?ていう前提に対して、「この映画は『ジョーカー』が前編として存在するので、その後編です。」と自信をもって嘘をつける緻密さを持っている。
それぐらい今作では前作の起承転結をすべてなぞっていくし、そのうえで答え合わせをしていく無粋さしかない。しかもアーサーが覚める瞬間は唯一良い関係を築けていたゲイリーがきっかけと、拍子抜けする凡庸さ。どこまでいってもエンタメ的な面白さがない。

 ミュージカルシーンのノレなさも『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のようで、音楽がもたらす高揚感がアーサーとリーの2人にしか作用していない。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でいうセルマのミュージカルは薄暗い雰囲気での歌唱とのっぺりとしたダンスで構成されていたのと同様、やや楽し気なミュージカルナンバーを選んではいるけれど全然映えない絵面のセットとダンスという、絶妙に面白くない光景を挿し込まれる。
終盤ではアーサー自身が「もう歌えない」と、ジョーカーのペルソナが剥がれ落ちた後にはやることすら憚れる気分になっているのを示していたり、気分の高揚とリンクする性質上、エンターテイメントにするにも難しい塩梅だしこんなでも仕方ないか、ていう諦めに近い着地になった。

 さらに追い打ちをかけるのが、映画として大幅に破綻していないところ。
なので、こんなことは2回も言わなくていい、と思った瞬間からずっといらない時間を過ごす羽目になるし、そもそもエンタメ的に楽しい時間はないのでトッド・フィリップスの2作に対して興味がないと走りきれない。クソ映画的な楽しみ方もできないので、本当に『ジョーカー』2作を通してマッチできないと面白いの一言はまず出ないと思う。

 それでも楽しめた一因は前作を見返したばかりで鮮明な記憶のまま挑めたのは大きいだろうし、時間を空けずに見に行くと楽しめる可能性は少しだけ高くは出来る気がする。


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