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【感想119】ありふれた教室

 『落下の解剖学』でも取っていた、事実は見せずに真実に辿り着こうとする過程を見ていく方式の映画。
スケールが学校の中だけとかなり縮小された代わりに身近な環境に移ったことや直接司法が絡んでくるような場面ではないところが焦点なのもあって、見ていてかなり嫌な気分になる空気が続くうえに光明はほぼ見えないことをより実感をもって思い知らされる体験になるのでかなりハード。でも面白い。

 あと日本版ポスターのキャッチコピーが涙に見えるような位置と配色にあるのは久々にイカしたポスターじゃん、て思っちゃった。

他人に勧めやすい ★★★☆☆
個人的に好きか  ★★★★☆

 最初の授業で行われる「証明と主張の違い」はかなり面白い提示の仕方だったし、個人的にはすぐに意図を飲み込めたっていうのもあって一番印象に残ってる。
7年生(日本でいう中1)に対して”1と0.9999…は同じか違うか”を説明しろ、というなかなかハードなお題が出される。出てくる答えが「0.000...1の差があるから」と「9*1/9=1だから」の2つで、これへのリアクションの差が肝になってくるので見るときには覚えていてほしい。

 時折出てくる不寛容方式、というワードがあまりピンとこなかったけれど、元はzero tolerance(ゼロトレランス、一切容赦しない の意味)という言葉らしいので悪い事をしてそうだったら生徒だろうが容赦なく追及しますよ処分下しますよ、という意味合いっぽい。
これによって窃盗疑惑の証拠になり得るものが出た女性教師がほぼ犯人確定のノリで追い詰められていくところから本題が始まっていくわけだけれど、断定できる決定的な証拠とは言えないものでも犯人扱いされてしまういびつさや、確実な証拠がなくとも実質的な解決に動けてしまうが故にそういう流れで良しとしてしまう空気感をカーラという数少ない状況を俯瞰視出来ている方の人物の目を通して見ていくことで気持ち悪さや居心地の悪さを追体験していく。

 ここでも『落下の解剖学』でもそうだけれど、実際には誰が盗んだのか、という真実は一切確定できないようなつくりになっている。
疑惑をかけられたクーンが状況的に犯人のようにも見れるけれど確定できるものはなく、態度からの推測や作中で出される窃盗現場の動画に写っている状況から容疑者としてまでは絞り込まれている程度。
しかも厭らしいのがカーラの態度で、本人に確認したり校長に相談したり戸一通り行動を起こした後から冷静になってクーンで確定できる証拠がないことに気づく。
ただ校内の方針や半ば巻き込まれる形で事態に関わる生徒たちの野次馬精神の残酷さからエスカレートしていき、当事者だからこそ冷静になったとしても聞き入れてくれる人が現れにくいどうしようもなさが1時間強続く。


 何も解決しない系、とは言われているけれどラストシーンに差し掛かるときに男性教師のリーベンヴェルダとのやり取りの末に取る行動が答えの1つを提示する形にはなってると思う。それも込々で、ままならない状況に流されないことの難しさや苦しさをしっかり味わえるいい作品だった。
ルービックキューブを貸した時の台詞を忘れる失態があったので誰かこっそり教えてください........…


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