疲れが趣味を蝕みはじめた30歳の年に

最初だし、自分語りでもしようと思う。

令和元年は、平成元年に生れた僕が30代の仲間入りをする年である。そして、業界に入って5年目の年でもある。この5年間、いろいろなことがあったなあと、来たる月曜日のせいで脳がぼんやり痺れるのを感じながら思い出している。

無茶苦茶な業務のせいで鬱病の診断を受けたのは2年目の夏だった。夏の4泊5日の出張で、出費を抑えるために僕だけずっと秘密裡に車中泊させられた。それだけならまだしも、仲間が熱中症でぶっ倒れたのを病院に連れて行くとか行かないとかのところで上司が酒を強要してくるとか、信じられないことが短期間のうちに起って、それが引き金となった。

自宅で寝ているときに気付いたら自分の口から怒鳴り声が出ているとか、自分が喋っている内容が突然わからなくなったり人の話が聞きとれなくなったりとか、表情がなくなるとか、気づいたらなんか泣いてるとか。

劇的なことがなくても、常にねっとりと僕の脳髄に不安がまとわりつくようになっていた。僕の話を聞いてくれていた先輩の後押しで心療内科を受診したら、鬱病だった。

それが管理職にも知れて配置換えが行われると、今度はひと月の残業時間(残業代は出ない)が平均90時間くらいのところでの仕事になった。MAXで120時間の残業を行ったが、そこはみんなで過剰な仕事量をどうにかしようという良心的な部署だったのでどうにかなった。同じ業界で働き続けるなら間違いなくまたこの部署で働きたいと思うくらいだった。

そしてまたも配置換え。4年目からは、どういうわけか自分の上長の仕事が回されてきている。勤務時間はかなり減ったが、ストレスは倍くらいになった。

で、現在に至る。

夜中に怒鳴ったり泣いたりする症状が戻ってきているので、これはヤバいなと思う。適応障害というやつだろうか。不安がめちゃくちゃにつきまとう程度で、身体が動かんわけではないし、世間的な「鬱病」よりは軽いとは思うのだが、最近病院に行けていないし、今の自分がどんな状態なのか客観的に把握できていない。正直しんどい日々だ。

話が飛び過ぎた。趣味の話がしたいのだ。

そんな日々であるから、趣味に使う力を惜しむようになってしまった。

帰宅するのは21時とか22時とか。職場には1日12時間くらいいることが多い(世の中にはもっと長時間拘束されている人もいるだろうけど)ので、帰宅してからは体力を使わない。ボーっとツイッターを見ているか、グラブルをポチポチ遊んでいるか。帰ってきた瞬間玄関で気絶するように寝てしまい、翌朝床の固い感触で目が覚める、なんてこともある。

気がつけば、大好きだった読書も、文学研究も、昔ほどやらなくなってしまっていた。アニメや映画は今でも観ているが、何かを能動的に楽しむことに対して、脳がリソースを使うことを拒否しているのだ。DVDプレーヤーにDVDを入れることさえ億劫なのだ。

健康状態も、残念ながら良いとは言えない。仕事をしているとその場で倒れてしまうような状態にも何度かなった。

このままモヤッとしたまま死ぬんだなと自棄になりそうになったとき、それは嫌だなと思った。

何かが変われば・・・

今、こうして約1300字ほどを書くことができている。案外書けるものなんだな、と感じている。

自分の好きなこと、趣味のことについて、こうして何か書くことで、自分がまた趣味を能動的に楽しめるようになるのではないか。そんなことを考えた。昔は書くことが精神的に良い影響を与えるのだと思われていたこともあるようだし、たとえこの記事だけで僕のNote経験が終わったとしても、何もやらないよりはやってみようと思ったのである。

仕事上の苦しさは変わらなくても、書くことで、趣味の楽しさがより良い方向に変わればいいなと思う。

僕の投稿では、読んだ本や観た映画、アニメ、その他もろもろの趣味についての内容を書くつもりだ。人に向けて書いているように見えて、基本的に自分の中に溜まった趣味熱や愚痴らしきものを勝手にまき散らすだけの文章になると思うので、時間に余裕があるとか、人がまき散らしたものに興味があるとか、そういう人たちが読んでくれたらいいな。

時間も金も体力も残らないこんな世界で、せめて自分の趣味くらいは、楽しいものとして守りぬいていきたい。

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