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私からはじまる戦争
アクビを「マナー違反だ!」と嫌悪し、ときどき見知らぬ人であっても怒鳴りつけてしまう。
そんなQ氏の態度は理解しがたく、そうした話を聞かされるのも辛く、「むしろアクビがQを嫌っているのだ」と主客を入れ替え、自分を楽にしようとした。
まあまあ楽になったのだが、根本的な部分で僕は間違っていた。
Q氏は恐らく僕と同じミソフォニア(音嫌悪症)で、アクビはその典型的なトリガー(症状を引き起こす原因となる刺激)のひとつだったのである。
また「アクビを聞くこと」のみならず、「アクビを見ること」もトリガーになってしまうQ氏は、ミソフォニアよりもっとマニアックなミソネキシア*でもあるらしい。
知的障害、発達障害、精神障害、ミソフォニア、ミソネキシア。くわえて性格が悪い。あと糖尿病。あとよくコケる。あと詩や絵がユニークすぎ。あと京都市バスの天才。あとなんだかんだキュート。あとQっていう作家名。あと姓が水野。あと名が光隆。
スゴい。大谷翔平越えの15冠じゃないか……。
来期はLAドジャース入り確実だ。
*ミソフォニアの症状が視覚的な刺激によって引き起こされる場合、「ミソキネシア」と呼ばれます。ミソキネシアは「動きへの嫌悪」を意味し、ミソフォニアを抱える人の中には、トリガー音に関連した動作(例:咀嚼音を立てる時の口を見る)や貧乏ゆすり、髪を触る動作などの視覚的な刺激がトリガーとなる人もいます。しかし、ミソキネシアに関する研究は、ミソフォニアに比べて非常に少ない状況です。
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ともあれ、その背景にどのような事情があるにせよ、アクビを=悪と断罪し、その上暴力的行為を発動させてしまうQ氏の態度、そしてそれに応じた自分自身の態度を顧みたとき、僕の頬っぺたを引っぱたいたのは、ル=グウィン氏が正義の正体について書いたエッセイだった(暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて/著:アーシュラ・K・ル=グウィン/河出書房新社/2020年)。
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「アクビは悪いことだ」というのがQ氏の正義だとする。
そしてその正義があるからこそ、彼はアクビする人を攻撃することができる。
「私には正義がある。その正義を守るために暴力を発動する。本当は嫌なのだが……。いや、だから、正義があるので、仕方なく、ね」
この理屈、正義の御旗によって戦争という殺戮行為が起こされることは誰もが知るところだろう。
でも、そもそも正義はそういうんじゃない。いつまでも都合のいいウソをつくのはやめましょう。<暴力の発動までを含めたもの>が正義、無差別に人を殺すほどの暴力性を内包したものこそが正義の正体……と、氏は軽快な文体で語っていたのだ。
正義という言葉に感じてきた違和感、胡散臭さの謎が遅まきながらほどけた気がした。
言葉の力ってやっぱりすごい。
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また、僕がQ氏を「間違っている」と決めつけてしまった態度も戦争を起こす仕組み、つまりは正義そのものだ。「間違っている」を突き詰めれば、やはりこうなってしまう。
「Qは間違っている。多様性っていうけど危なすぎるQだけは例外。社会から追い出そう。いや、本当は嫌なんだけど、仕方なく、ね」
絶対はない。
相手が絶対的に間違っていると確信したとしても正義を発動させず、なんとか仲良く……それがムリなら第三者に入ってもらったり、距離をとらなければ。
そうしないと戦争どころか、日々の、僕たちが繰り返し続ける小さな争いもなくならない。現実的な大小はあるとしてもその本質は同じだ。
矛盾するようだが、なくならないのだと思う。
悲しいかな、これからも人間が人間である限り。
でも争いが起こる仕組みを、その仕組みが自分自身の内にあることを知ること。それならば、その気さえあれば、今すぐにもできる。