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秋なんてホントは無い

 秋刀魚が美味しい季節となりましたーー
 秋らしい書き出しがぱっと食べ物しか思いつかないのは哀しい話だ。
 
 天文学的にはニ至二分を基準に季節を分けていて今日この頃は秋にあたる、この秋という季節が、ただの冬への過程に過ぎず秋は存在しないのではと思っている、準備に使われるばかり、利用される側である。
 
 秋の曖昧さは、「○○の秋」という無理矢理なこの言い方にも表れている、前半の○○には「運動」「読書」などの行為や「食欲」というフワっとしたものまで入れられている。
 
 栗、さつまいもや柿など「実り」や「彩り」こそが秋だと、その通りだと思う、しかし植物にとって「実り」「彩り」はメインではないアピールタイムだ、種を撒いて冬を越して春に芽吹く種としての存続の過程に過ぎない、
 ただの冬を越すための助走だ。
 植物に限らず動物も秋を準備期間として使っているに過ぎない。
 
 夏に頂点を迎え、温度も下り坂に入る。
 底へ向かうだけであり、底へ着いたときにはもう「冬」であり秋の出番は終わっている。
 
 過ごしやすい気温で動植物に準備をさせ、運動会や学園祭などのイベントまで迎え入れる、こんな懐の深い名脇役な秋が、移り変わりのまま曖昧に終わってしまうのは可哀想である。

 ーーここまで書いて下書きは止まっていた

 秋になってしばらくして
 僕は、秋っぽい写真でなんとか注目されようともがいているし、冬に向けてしっかりアルバイト入れて稼ごうとしている、過ごしやすい気温でランニングも再開し、なぜか読書も映画もして、この前はお芋のフラペチーノまで飲んだ。曖昧な秋を満喫している。
 結果を急いで過程を楽しめない人間はつまらないのであろう、秋はアピールタイムだから行動して蓄えて、冬を越していこうと思う
 秋を満喫していると、秋がフワっとしているのではなく、頂点でも底でもない秋が受け入れられるものが多過ぎて全体像が掴めないだけだったのである。
 「○○な秋」をしているとき、確かに秋はここにあった。
 
 

 

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