制服は自分を守ってくれる鎧。ゆえに生身の私は傷つかない
ソーシャルワーカーとして働く時に、とても大切で、でも後回ししてしまいがちなことの1つが「自分の健康を守る」ことではないでしょうか?
身体も心も、クライエントさんへは細部に目を行き届かせようと集中するけれど、自分自身にも同じ目を向けられたら。
そんな体験談を今回シェアしてくれるソーシャルワーカーは、MSWの真理子さんです。
大学卒業後から医療ソーシャルワーカーとして15年働いてきた、私の現時点での考えは4点つです。
なぜこのような考えに至ったのか?
振り返ってみるとそこには父の介護と仕事との両立で苦しんだ時期が影響しているように思います。
父は私が大学生の頃に脳腫瘍のため介護が必要な状況となりました。当時地元から離れ楽しく呑気に大学生活を楽しんでいた私にとっては、青天の霹靂。
そもそも就活で地元に帰るつもりもなかったのに、帰らざるをえない状況となるなど、今考えてみるとその頃から私の中の小さな不満が少しずつ身体に蓄積されてきていたのかもしれません。
地元の病院に就職してからは、右も左もわからない中、色々な人に怒られながら、がむしゃらに仕事をしてきました。時には何もできない自分に腹立たしさを感じ、泣きながら上司にスーパービジョンをしてもらっていました。今となっては図太い神経が形成され、ちょっとしたことでは涙は流れませんが笑
このような新人期を過ごす中、父は徐々に弱り自宅で看取りをする段階となりました。当時20代だった私は、なぜ自分は父の介護に縛られないといけないのか、私だってみんなみたいに自由に遊び回りたい!とフラストレーションを抱えつつも介護をしながら、仕事をこなしてきました。
このような状況は気づかぬ間に私の心を疲弊させ、それと共に身体からは止まらない咳という症状がでるなど、心身共に疲弊していきました。
そう、まさに石川啄木のいう「病みてあれば心も弱るらむ!(=病んでいれば心も弱るだろう)」『悲しき玩具』という状況に陥っていました。
ただ、このピンチな状況下にいた私を守ってくれていた事が、上司に入職時に言われた②制服は自分を守ってくれる鎧。ゆえに生身の私は傷つかないということです。
この前提があったため私はどんなに怖い医師から怒号を浴びせられても、クライエントから不条理なことを言われようとも私は私を守ることができたと感じます。
とともに、ソーシャルワーカーとしてジレンマを感じた時は必ず、③スーパービジョンを受けることで、“ソーシャルワーカー”である自分と、“妻川”という自分の2つのアイデンティティのバランスを保つことができたように思います。
このバランスを保つことができなくなっていたら、きっとバーンアウトしていたでしょう。そしてこの当時の私にはできなかったのが①プロとしての体調の管理です。ただこの経験があったからこそ、整った自分で仕事をすることがいかに大切かは強く感じます。
父を看取ってからは、この経験からソーシャルワーカーの私は何を見出すことができるのか、と日々考えた結果、働きながら大学院へ行くことを決意しました。
そしてそこで新たな人、知識、世界を知ることで、自分の好奇心が満たされるとともに、父を失った喪失感も徐々に癒やされてきたように思います。
ただ、この大学院を修了した後は燃え尽き症候群のようになり漫然と過ごす日々が数年続き、いや、私このままじゃいかん!と我に返り、改めて自分がこれからどうしていきたいのか、どうなりたいのかと自分と向き合う時間を作りました。この時に自分が大切にする価値観を明確にしたことが今思えば自分の加速度をあげてくれたように思います。
私たちソーシャルワーカーには倫理綱領があり、支援で迷いを感じた時には倫理綱領に立ち返ります。
この原理と同じく、自分が大切にする価値観(=自分倫理綱領)に従って行動し、迷った時には立ち返る。まさに、当時私が大学院に行き自分の好奇心を満たした行動は、自分倫理綱領に沿ったものだったのです。自分の価値観に沿った行動をすることで心は満たされ、ひいては自分を尊重することに繋がるのだと考えます。
ここまで健康に働くために大切と考える4点について綴ってきましたが、最終的に思うことは、もっと自分に興味をもち、自分の声に耳を傾け、自分のソーシャルワークをしよう!ということです。
日頃ソーシャルワーカーとしてたくさんのクライエントさんのソーシャルワークをしている自分が、自分のソーシャルワークをするという簡単なことが、実は健康に働くための一番の近道なのかもしれません!
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