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さよならアリス。

寂しくて放心している。

8月からの稽古の日々とか振り返って、あ、もう稽古場のあったあの駅には行かないんだ、とか。仕事の疲れを抱えたり気持ちを引きずったりしながらバスに乗っていた時間を思い出したり。アリスについて考えたり、なやんだり。わたしにとっては大きくて重たい出来事が、言葉にするとふつうすぎる。もっと大事件なのに。

なんか部活みたいだった。なんか青春みたいだった。台本の表紙にみんなで書きあったサインみて、あれだけ一緒にいたのにきょうはじめてみんなの手書きの筆跡を目にしたんだなって感慨深くなる。ほらやっぱ中学の時のクラスとか仲良くなったかもと思ったらクラス替えとか卒業とかそういう物理でちいさいお別れがきたりする。打ち上げでお酒を飲んで話をしながら、ああもっとこの人といろんな話をしたいな、もうちょっと一緒にいたいな、もうちょっと欲しいな、と思ってしまった。なんかまだあるような気がして、体ごと根拠のない謎の「またすぐ会えるしな」って確信。
頭ではわかっている。もう稽古はないし、あのメンバー(ざぐみっていうの?)が揃うこともない、士郎さんもそう言ってた。

この寂しさに耐えられるだろうか?わたしはふつうの人に戻れるだろうか?アリスのないわたしに戻れるんだろうか?いやそもそも、今はきょうまで出し続けてたスピードを惰性が引き受けてそのまま滑っているだけで、これは純粋にまだアリスでいたい気持ちとは違うのではないか??

感覚的には麻薬のような。やったことないことを頑張って、褒められて、あんなにじたばた大変だったことを忘れて、まだやりたいなどと思っている。なんか詩人である前にもっと「表現すること」とぶつかってもっと傷ついてみたいような気もしている。いやいや、わたしなんか調子に乗ってるだけだ、役者向きだなんて言われていい気になってるだけだ、ちょっとでもきびしいこと言われたら泣いて逃げようとするくせに何言ってんだ、でも夢だったね、ずっと夢だったね。子供の頃やりたかったけど諦めたことが大人になってから叶うことがあるんだね。

今が一番幸せかもしれない。その時その時は必死でわけわかんなくなっていても、感情が揺れ動くことを肯定できればなんとか乗りこなしていけるのかもしれない。明け方は大好きだ、この曖昧な色が大好きだ。普段は寝ていて見逃しちゃうから、とくべつなときにしか見られない色だから。そうやって忘れられない日が増えていくんだろうか。忘れたくない明け方が増えていくんだろうか。


※ぷろじぇくと⭐︎ぷらねっと 詩人と役者の朗読劇「庭」にご来場くださった方々、配信を見てくださった方々とこれから見る方々、心を寄せてくださった方々皆様ほんとうにほんとうにありがとうございました。勇気を出してみてよかった。諦めないでよかった。泣いちゃったけどよかった。素敵すぎる最高のざぐみでとてもよかった。

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