『本当のわたし』って?
この時期は、悪天候が多くて身体がため息こぼしてます(笑)メニエール病に喘息。
私は天候に左右される病気ばっかもってるなぁ(笑)
そして、室内の湿度が上がると喘息発作を起こしやすいタイプなので、エアコンで除湿を必死にかけるんですけど、そしたら、「部屋、まじ、さっむ!」ってなります。
なんか、よくわからない雑談?になってしまった…笑
さてさて、本題、『本当のわたし』って?
自分から見た『わたし』と、他者から見た『あなた(わたし)』って結構違ったり、
逆に、「仰る通りです…。それめちゃくちゃ苦手です。ほんとにすみません。」ってなることも…
伝え方が難しいのですが…
私は高校卒業まで、
「典型的なASD・ADHDの子ども」でした。当時、発達障害の診断は出ていませんが、振り返って学んだことや、調べていく中で気づいたこと、まんま当てはまる子ども時代。
直情径行、余計な一言ばかり、言いたいことをダイレクト言う、周りの人の気持ちを考えられない、予定が変わると大パニック(これは割と今もだ…😰)、かんしゃくを起こして教室から脱走。こんなわたしでした。端的に言うとやばめな奴だった中学生時代。
(※)実は、中学時代、私は、
情緒特別支援学級に在籍していました。
一口に情緒特別支援学級と言ってもみんながみんな同じ特性を有している訳ではなく、
発達障害以外のしんどさを抱えてる子もいました。
高校入学前後に、周りの同年代との違いに気づいていきます。
なんで、私は、
周りの同級生と上手くコミュニケーションが取れないんだろう。
どんなに気をつけようとしても余計な一言が出てしまうの。
私、ダメすぎ。私なんか死んでしまえ。
みんな、出来てるのに、私は出来なさ過ぎる。
さあ、こんなわたしは、肯定的な言葉をかけられた機会は多かったでしょうか。
どう考えても、少ないのが当然です。中学は特別支援学級に在籍していたとはいえ発達障害の診断が出ていないから、療育とか何も子ども時代に受けてなかったから。そんな空虚な言い訳もしようと思えば出来るけど、私はしたくない。
障害があっても無くても、言動の良し悪しは他の方と変わりません。
勿論、障害特性故に、関わり方とかは変わるのかもしれないけど、高校卒業までの私がしてきた傍若無人とも言える言動で傷つけた人に対して、今のわたしが言えるのは、「ごめんなさい」の一言です。
少し話がずれました。
勿論、周りにいた元養育者以外の大人は、「おい、優葵、ちゃんとしろ。」、「何やってるんだよ」と言葉をかけてながら、どうしてだろうと頭を悩ませていた方もいらっしゃったと思います。
今、振り返ると「ちゃんとしろ」という言葉は、その通りです。
同級生から見ても、「優葵、言い方キツイよね」って思うはずの言い方をしてしまっていました。
ごめんね。ほんとに。ごめんなさい。
その中で、例えば、学校の提出物の期限を守っていたこと、与えられた仕事をこなしていたこと、全部当たり前とも言えることだけど、周りにいた人たちの中にはその点を見つけて、褒めて下さる方もいました。(上記のこと守れなかったり、失敗するとパニックになるから、どうしてもやらないとって思ってた訳で。振り返るとこれも特性でした。)
流石にこのままじゃやばい。
そう思って大学に入学しました。
そこから、肩にがっちり力を入れて、
余計なことを言わんように、相手のことを考えた発言や言葉選びを。
課題の提出期限はきちんと守って、コツコツ練習できることは毎日時間を取って練習しなきゃ。
真面目に、ちゃんとやる。
もう少し周りを見ないと、私上手く周りを見れないから、気を配らないと。
そう振る舞っていたら、周りからの評価は大きく変わりました。
「ちゃんとしてるね。」、「素直だね。」、
「真面目だね。」、「しっかりしてるね。」、「(周りの子から)優葵のこと頼りにしてるわ。」
最初は素直に嬉しいこともあった。そう言われることが。そんなこと言われたことなかったから。
でも、少しずつ、思う。
「そう言ってもらえてる私は、『ほんとのわたし?』めちゃくちゃ飾りをつけた私になってない?わたしそんな良い人じゃない。肩に力を入れないと、こんな風にいられない、ちゃんと出来ない。」と悩むようになった。
わたしは良い人じゃないの。
わたしは、わがままなの。
自己統制能力はほんっとに高くなくて、
ただ爆破を予防するために、
毎日脳みそキャパオーバーしながらヘラヘラしてるだけ。
ねえ、わたしはなんなの。
でもね、一つ言えるのは、わたしは良い人なんかじゃない。
周りに見せないように必死に隠してるだけで、エゴもドス黒いところも山程ある。
21歳になっても感情の表現の仕方がわからなくて、途方に暮れてんの。言わなかっただけだよ。周りと上手くやっていくために。ほんとのわたしじゃ、誰とも上手く関われないから。こんな弱音を吐きまくるわたしを知る、リアルの知り合いの同年代は数少ない。
良い人になり、そうあり続けることは、相当難しい。
だからこそ、わたしはどうあるべきなの。
わたしはどう生きるべきなの。
わたしは、なに。
前にも書いたように、経験や記憶が点としてあっても、その点と点を線で繋げられない
人生を過ごしてきたわたし。
わたしは、何者。
ほんとのわたし、って、だれ。
でも、一つ言えることは、わたしは良い人じゃないから、それをわかってるから、人に対してどう振る舞うか気をつけないとって思って日々を過ごすようにしてる。上手く行かないことばっかだけどさ。
私が何者かはわからないけど、わたしがどうしようとしてるかは少しわかる。
何が好きで、何が苦手で、どんなことに悩んでいて、課題は何か、今傍にいてくれる周りの大人に協力してもらいながら見えてきたこともある。
日付が変わりそうなので、とりあえず、寝ます。
不安なときは、アメちゃん(謎に出た唐突な大阪弁)舐めたり音楽聴いたり、本を読んでみる。
生きるっていう、地図なんてなくて、そこら辺からライオンでもチーターでも、サルでも出てきそうなヤバめのジャングルや、水の無い砂漠を歩く為の武器は徐々に手にしてるから。今も探そうとしてるから。
さあ、明日はもうちょい天気良くなれー!
1日寝込むのもしんどいからさ(笑)
っていう文章を、昨夜日付が変わる直前に、最後の方は眠い目をゴシゴシ擦りながら書いてました。
ほんとのわたしは全然わかんないけど、自分が好きなこと、苦手なこと、思ってる・感じてることなら少しわかる。
だから、今はそこを見ていくしかないのかな、と思っています。
相変わらず稚拙な文章でごめんなさい🙏
最後まで読んで下さり、
ありがとうございました(♡˙︶˙♡)
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