随筆家、批評家、詩人で、カソリック信者でもある若松さんの近著(亜紀書房刊)です。
ことば、いのち、かなしみ(悲しみ、哀しみ、愛しみ、美しみ)、いのち、祈りなどをを巡り、いつも、ラジカルで、“言葉は光、目には見えない消えることのない光”との視座で書かれ、ハッとしつつ、目から鱗が落ちるような思いで読むのですが、この本も新たな癒しに浸されつつ読みました。
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随筆家・イタリア文学者・翻訳家の須賀敦子の「人生には、肉体の季節、たましいの季節、そして精神、すなわち霊の季節がある」との言葉を引きつつ、詩人永瀬清子の詩にふれ、誰もが冬としか感じられないような時節は春の到来を告げ知らせており、人生の冬とは、約束された人生の序曲でもあると仰っています。
無教会主義の内村鑑三の影響を受けたクリスチャン詩人で29歳で亡くなった八木重吉の詩の一つについて、
「思い」を「おもい」と書かれ、
と「おもい」の深さについて仰っています。
修行者に考え合わせ、
詩、言葉、そして自分への「手紙」ということ。
貴い営みとしての死。
詩を書くこと。
人の尊く、厳粛な姿。
曹洞宗の禅僧・沢木興道の『沢木興道聞き書き』(講談社学術文庫)から。
ある宗教関係者の講演を若松さんが聞かれ、思い起こされたという「新約聖書」の言葉。
本居宣長の「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」の言葉から。
亡き両親から受け継いだ“人の良さ”が災いしてか、思いがけない人権侵害、ハラスメントを受け、メンタル不調の身には、若松さんの言葉は“福音”であり、帯とご署名のお言葉のとおり「人は、言葉というよりも、言葉に宿る無音の響きによって、遠くにいる人とつながっている、と実感することすらある」「困難な日々に寄り添う言葉」--目には見えない、消えることのない“光りの言葉”をいただいた思いでありました。