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被害者でいるうちは人生が始まらない
本タイトル、筆者も今だからこそ書けることかもしれませんが、切に感じます。
筆者が株式投資・資産運用を本格的に始めたキッカケは「このままでは何となくヤバい」という危機感や「なにくそ」という反骨精神だったと思います。
正直に書けば、他者に対するひがみや被害者意識みたいな感情もありました。
「国が~」「政治が~」「世の中が~」「組織が~」とフォーカスしている主語が大きい状態と形容できるかもしれません。
ただ、この主語が大きい状態の時というのは、往々にして自分の人生が始まっていないのではないか、という気がしています。
悪い意味で意識が外に向きすぎている状態では、誰かや何かを糾弾したり、批判したり、自分と人と比べ羨んだり、そんなことしか出来なかったと記憶しています。
「今、この瞬間に自分には何が出来るのだろうか」と考え、小さな一歩を踏み出してこそ、本当の意味で人生始まったと言えるかもしれませんね。
要するに、主語を小さくする、と。
幼少期や青年期は比較的まだ見える世界も狭く、経験も少ないので、半自動的に主語を小さく保つことが可能な気がしています。
そして大人になるにつれて、世界が広がり、様々なことを経験していく過程で、自分の力ではどうしようもないことにぶち当たり、憂き目にあったり、悔しい思いをしたり、不安と向き合ったりといったことが増えてきます。
そんなときに、文句の一つでも言いたい気持ちは凄く分かります。
自分の生きる世界がどんどん悪くなっていくように感じるのです。
しかし、やっぱり世界はどんどん良くなっていっていると筆者は思うのです。
ヒトの健康寿命は医療の発達により伸びています。
技術の発達により行動範囲も広がりました。
一生のうちに大昔では経験できなかった事や体験できなかった経験量を生まれてから死ぬまでに享受できるようになりました。
ただ社会も経済もテクノロジーも、自由度が高くなると、上手く乗りこなせる人と、そうでない人の間に格差が生じます。
しかしこれは人間界だけの話ではなく、原始的な野生の動物たちも、その生まれ持った狩猟能力の差で獲物にありつける個体もいれば、そうでない個体もいて、生き永らえるものと、そうでないものが出てきます。
また、それらすべてにおいて、偶然の要素は我々が思った以上に大きなファクターだという気もしています。
要するに「運」です。
そして「運」は誰にもコントロールできないものです。
結局、なるようにしかならないのですね。
ただ何事も、思ったほど良くもないし、思ったほど悪くもありません。
であれば、「今、この瞬間に自分は何をしようか」を自分で決めて実行していくことが、最も合理的な道ではないかと考えています。
完
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