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「EVシフト」という左翼思想 ※前編

「「EVシフト」の独フォルクスワーゲンが「EV不振」でリストラへ…その裏でガソリン車人気が衰えない大いなる皮肉」
(現代ビジネス/川口 マーン 惠美)


 「自宅で充電出来て、そのエネルギーで走れるクルマがあれば便利ではないか。」
 これを実現するのが電気自動車である。
 電気自動車の歴史は古く、世界最古は1830年代にスコットランドのロバート・アンダーソンが発明したものだと思うが、これは充電が出来なかった。(※補足①)
 冒頭の思想に沿うものを現代で言うところの電気自動車と考えるなら、1881年のギュスターヴ・トルーヴェによるものか、或いは1901年にトーマス・エジソンが発明したニッケル鉄系アルカリ蓄電地、通称「エジソン電池」を搭載したものであろう。

 一方の内燃機関であるが、自動車の動力源として、当時は決して最有力という程の扱いではなかった。
 考えてみれば当然かもしれない。
 トルーヴェの時代、機械加工の技術も未熟で複雑な工業製品の大量生産も覚束ない。自動車は「製品」と言うよりも「発明品」であり、エネルギー密度を問題にする様な段階の遥か手前で四苦八苦している状態である。
 製造面でも運用面でも内燃機関より遥かに簡易な電動機があり、兎にも角にも充電出来る電池が存在する。その様な状況であれば、自動車の動力源として最有力は電気だろうと、当時の人達がその様な“勘違い”をしてしまうのも分かる気がする。

 だが、そこから先は誰もが知る様に、電気自動車は伸び悩んだ。
 ネックになったのは電池=バッテリーである。重く、大きく、希少性の高い原材料が必要で、その割に蓄積出来るエネルギー量が少ない。エネルギー密度の低さが大問題として立ちはだかり、どうやっても普及価格帯に落とし込めない。

 内燃機関が自動車にとって、無くてはならない存在に躍り出たのも同じ理由であろう。
 何しろエネルギー源として搭載するのは、常温常圧下において液状を保てる燃料である。たかだか 10 L 約 7 kg もあれば、余程燃費の悪いマッスルカーは別として、数十 km くらいは平気で走れる。昨今の高効率エンジン車なら 200 km、高燃費で小型のハイブリッド車なら 300 km に届く。
 しかも燃料は常温常圧の液体だから、貯蔵も輸送も補給も簡単である。(※補足②)
 いくら「エンジンは難しい」「エンジン車は変速機が必要」などと誹謗中傷しても、これらは電気自動車のバッテリーとは違い、高価で稀少な材料をふんだんに使用したりはしない。一度作れる様になりさえすれば、複雑さなど問題にはならない。(※補足③)
 取扱いが容易な燃料に安価な原材料。そこへ成熟した機械加工技術と複雑な工業製品の大量生産技術が加わり、自動車は一部の富裕層が娯楽的に所有する嗜好品としてだけでは無く、交通インフラの一つという立場を得たのである。

 以前、「T型フォードの法則」という事象を引き合いに出したが、自動車は爆発的な経済成長を齎した。
 強大な経済の恩恵を受けるのは大衆である。富める者は更に富み、貧しき者にも貧困から脱出する機会を与える。
 一方で税収も爆発的に増加した。
 政府のすべき仕事は国防、治安維持、公共インフラ整備の3つに集約されるが、これらに潤沢な予算が注ぎ込まれる事により、大衆はより安全で快適な生活を享受出来る様になった。(※補足④)

 長らく「自動車と言えばエンジン」という時代が続き、電気自動車は時折取り沙汰されるものの、結局は普及に失敗して話題から消えるという繰り返しであった。
 そして数年前辺りから、何度目かの「今度こそ電気自動車」という空気感が発生している。本投稿は前後編に分けて、その内実を紐解いてみようというものである。
 尚、「電気自動車」と書くと冗長になってしまうので、これ以降は「BEV」と呼称する。
 また、「エンジン」「内燃機関」も「ICE」と簡略化して記載する。


 昨今、BEVがICE車に代わる次世代の自動車だと言われるが、上述した様な背景を理解する事で、「ん?」という疑問を持たねばならない。
 BEVが普及しない理由はバッテリーである。トルーヴェの時代からどのくらい進化したのか。ICE車と比較して総合的にどうなのか? という事である。

 軽自動車とCセグメント普通車の2パターンで比較してみる。(※補足⑤)
 取り敢えず価格差である。

各自動車メーカHPのデータより

 現在の日産にはCセグに該当する車両が無かったので、代わりにMAZDAからチョイスしてみた。だったらMAZDAのBEVを比較対象にしたらどうか? という意見もあろうが、”敢えて”CセグBEVとしてはまだ安価な部類に入る日産リーフを選んでいる。
 取り敢えず、一般大衆が「まぁ良いか」などとは到底思えないレベルの価格差である。

 もう少し突っ込んで比較してみる。先ず、航続距離はどうか。

各自動車メーカHPのデータより

 ICE車はどの自動車メーカも(いちいち)航続距離を謳っていないので、WLTCの総合燃費に対し、燃料タンク容量から 5 L 差し引いた数値を掛けて算出した。
 距離がどうのと言う前に、引き合いに出したBEV 2車種のバッテリー容量を確認してみる。

各自動車メーカHPのデータより

 軽自動車の方は一晩で満充電という感じだが、Cセグのリーフは丸半日以上掛かる。
 「世の中には急速充電もある」などと言うなかれ。あれはバッテリーの劣化を促進させるし、ほぼ空の状態から 20 % と 80 → 100 % までは普通充電と同じくらい時間が掛かる。そもそも、自宅に本格的な急速充電器を設置する事など、電力インフラ側の事情からして不可能である。

 軽自動車BEVは遠出したら途中で充電が必須という事だが、それ以上にリーフの 13.3 h に注目しなければならない。
 1日 400 km も走ったら自宅での充電だと半日くらいインターバルが必要。つまり、BEVを毎日走らせると正味 1日 400 km が限界であり、これ以上大きな容量のバッテリーを搭載しても事情は変わらないという事である。
 「そんなに毎日走る訳が無いだろう」と言うのなら、わざわざ割高なカネを払ってまで自宅で充電出来るクルマを買う意味は何なのか? ICE車で良くはないか? そもそもカーシェアで良いのではないか? という話になってしまう。
 「好きで乗りたいんだ」などと言い出したら、それはもう別の話である。世の中好きなクルマを金に糸目をつけずに買える者ばかりでは無い。寧ろ、そうじゃない人達にまで手が届いてこその交通インフラである。

 でも、ランニングコストで逆転するのではないか? という事で、そちらを検討してみる。
 先ずは軽自動車から。
 因みに、日本における自家用車の1日当り走行距離は、殆どの場合において 50 km 以下だという事なので、50 km/DAY を基本として算出してみる。

各自動車メーカHPのデータより

 1日平均 50 km を 8年続けるのは至難に思えるが、これに近い乗り方をする人であれば、利便性等も踏まえて考えると、軽自動車BEVを買う意味はあると思う。
 では、Cセグだとどうか。

各自動車メーカHPのデータより

 1日平均 50 km でも厳しいのに、軽自動車より長い 12年という期間が掛かる。バッテリーがヘタる可能性なども考えると、ランニングコストで逆転という事象を期待する事は、実質不可能ではないか。

 そもそも、軽でもCセグでもそうだが、毎年 18,250 km も自家用車で走る人はどれだけ居るのだろうか。しかもBEVは自宅で普通充電を原則とする限り、毎日乗った場合に1日の走行可能距離が限定されるのは先に述べた通りである。
 毎日小刻みにクルマを走らせ、且つ 8年以上は同じクルマに乗り続ける様な人でない限り、BEVを買う合理性は無いという事である。
 BEVは強力なゼロ発進加速や微細なトルク制御が実現出来る。これはICE車には逆立ちしても無理な芸当である。その様な乗り味を気に入って買うというなら合理性は関係無い。だが、それでは数を捌けない。

 もし、どこぞのバカな国が叫んでいる様な「ICE車販売禁止」にでもなれば、合理性でクルマを選ぶ大多数は、嫌でも 90 万円以上高価なクルマを買うか、妥協して中古車を買うか、クルマの購入そのものを諦めるしか無い。
 自動車というのは交通インフラの一つなので、価格は重要である。安価であればある程より多くの人が利用出来る様になり、その分多くの付加価値が生み出される。
 更に、利用出来る人が多ければ多い程、自動車の製造・販売によって発生する直接的な付加価値だけで無く、移動の自由を得た人々が多様な経済活動を行う事で、更なる付加価値が発生する。

 現状において、BEVの実力をどの様に評価すべきか。
 ICE車にとって代わるポテンシャルは未だ無く、金銭的に余裕のある人が嗜好品的な要素を求めて購入する事はあっても、そうで無い人にとってはメリットよりデメリットの方が圧倒的に大きい。
 これが正当な評価であろう。


 フォルクスワーゲンに限らず、自動車メーカのうち何社かが「EVシフト」を打ち出している。
 だが、上述したような現実を踏まえると、2030年とか2035年の様な直近の未来でBEVの比率を増やす、或いは完全にシフトするという事は、自身が生み出している経済効果を自ら縮小させる事に他ならない。
 まして、これは後編で詳しく触れたいと思うが、補助金やら何やらの優遇策が氾濫している所為で、BEVに対する正しい認識が阻害されている。

 2023年10月現在、BEVに関して多種多様なプロパガンダが展開されている。
 例えば数年前、「バッテリーがもっと大量に生産されることで数のメリットが生まれ、価格が劇的に下がる」などと言い放つもの知らずが大量発生していたが、ここ最近は余り耳にしなくなった。
 何故かというと、需要は確かに増えたが、思い通りに生産量を向上させることが出来ておらず、価格も思ったような勢いで下がらず、直近で言うと寧ろ値上がりしているから、もの知らず共が「これは黙っておいた方が良さそうだ」と思ったからであろう。
 こういうのを、「吐いた唾を飲み込む」と言う。
 プロパガンダと言えば、BEVとICE車の差額をどのくらい乗ればランニングコスト差でペイ出来るかという話で、補助金を踏まえて計算する輩が氾濫している。これも一つのプロパガンダであろう。

 何故にいくつかの自動車メーカは自傷行為に走るのか。自動車メーカ自身の意思なのか。必ずしもその様なメーカばかりでは無いとしたら、それは一体誰の仕業なのか。
 後編ではそこから紐解いていきたいと思う。


※補足①:世界最古の電気自動車

 実際のところ諸説ある。
 本文では取り敢えず、最も有名なロバート・アンダーソンによるものとしたが、他の人に言わせればストラチン教授かもしれないし、イェドリク・アーニョシュかもしれない。
 様々な意見があって良いのではないか。何れにせよ、歴史を紐解くのは楽しいものである。

※補足②:燃料インフラ

 燃料の取扱いが容易という事は、それを社会全体へ供給するインフラも安価に敷設出来るという事である。

※補足③:取扱いの容易さ

 電気自動車は部品点数が少なく単純で、誰でも作れるとかいう意見がある。だったら何故に町のクルマ屋さんでは電気自動車を整備出来ないのか。
 「電気自動車はエンジン車より単純」という発想は捨てた方が良い。
 よく、バカが「電動機は誰でも作れるほど単純」などと言うが、問題なのはバッテリーである。

※補足④:公共インフラ整備

 例えば公共インフラの一つとして、ゴミの回収処分が挙げられる。経済が強大になれば、ゴミがブチ撒かれたままにならないという事である。
 この様に、強大な経済は環境改善にも寄与する。緑化だとか森林の手入れだとか排ガスの更なるクリーン化だとか、プラスアルファ的な要素にもカネが回るという事である。
 エンジン車は経済に寄与するので、環境改善にも寄与する。
 この対局にあるのが「補助金を出して無理に電気自動車を普及させようとする」行為である。

※補足⑤:比較検討の条件

 よく見てもらえば分かると思うが、BEVに有利な条件で計算している。

 先ず航続距離であるが、ICE車の数値は燃料タンク容量から 5 L も差し引いている。特に軽自動車のルークスなど、元々 27 L しか無いところから 5 L も差っ引いたら、それはリーフよりも航続距離が保たないという様な計算結果になっても致し方無しというものである。
 次にランニングコストであるが、BEVの方は 1月の間にどれだけ電気を使っても単価上昇が無いものと仮定しているが、ICE車は軽自動車ですらハイオクみたいな単価設定としている。

 もっと言うと、価格の比較でCセグの方はBEVが日産/リーフ、ICE車は MAZDA/MAZDA3 としたが、もし同メーカでの比較に拘っていたらどうなっていたか。
 BEV代表を MAZDA/MX-30 EV 、ICE車代表を MAZDA/CX-30 としていたら、価格差は 1,953,600 円まで拡がっていた。
 「せめて MX-30 だろう」と言うなかれ。アレはマイルドHVなので、ICE車として比較対象にするのは適切とは言えない。
 「だったらせめて、BEVは MX-30 ROTARY EV にしろ」とも言ってはならない。あのクルマはICEを搭載しているというのもあるが、それ以上にBEVという条件において、可能な限りコスト上昇と利便性の両立を図って真摯に開発されたものである。テス・・・、どこぞのバカメーカがやっているような、「兎に角デカいバッテリーを載せましたw」という思考停止BEVとは訳が違う。一緒にしては失礼である。

 「BEVを高価な日本車限定で選ぶのは不公平だ。中国BYDなどの安価な製品を比較対象とすべき」などと言う意見はどうか。この様な考え方が許されないのは、前々回の記事(下記リンク)で述べた通りである。

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