10月の雨 〜 October Rain
「イスラエル歌手のユーロビジョン参加に抗議 グレタさんの姿も」
(AFPBB News)
当ブログでは様々な「醜悪なるもの」を取り上げ、批判し、その実態を詳らかにしてきた。
左翼、全体主義者を始めとして、SDGs、ESG、多様性、安楽死、人工妊娠中絶、We are all one、LGBT疾患を個性扱いする思想、温暖化人為説、気候変動人為説、公的社会保障、規制、公教育、体罰を暴力扱いする思想、補助金政策、橋下徹、イスラム教、テロリスト、バカメディア、緑の党、反原発、反核、支那、国連、欧州連合、GHQ憲法、はだしのゲン、名前は忘れたが「オバマケア」なる極悪制度を施行した元米国大統領。日本人でありながら大東亜戦争を平気で「太平洋戦争」などと呼称する精神性。
そして、反ユダヤ、反イスラエル。
醜いものを醜いと判断出来る感性は重要である。
それと同時に、美しいもの、尊いもの、正しきものをそうと思える感性もまた重要である。本投稿で取り上げるのは、美しく、尊く、正しいものと、それを穢す醜いもの、両方である。
見出し画像はエデン・ゴランさんというイスラエル人の歌手である。
大変美しい方である。
容姿を言っているのでは無い(※補足①)。その在り方、精神性、強さをして言うのである。
彼女がユーロ・ビジョンで歌った、もっと正確に言うと、“歌おうとした”楽曲「October Rain 」は追悼と嘆きの歌である
2023年10月7日、イスラエルのガザ地区を実効支配するハマスが敢行した、残虐非道、自分勝手且つ恩知らずなテロ行為の犠牲者に捧げるものであり、ユダヤ人並びにイスラエルが曝される数多の理不尽を嘆きつつ、それに立ち向かわんとする想いが込められた歌である。
反ユダヤ、反イスラエルが暴風の如く渦巻くこの時世にあって、この様な楽曲を左翼の巣窟たる北欧はレイプの国・スウェーデンで披露する事は、極めてリスクの高い決断だったであろう。
イスラエル首相、ベンヤミン・ネタニヤフ氏からゴラン氏へ宛てて1本のビデオメッセージが送られている。彼女の勇気と行動と高潔さを讃える内容であり、氏に言わせれば彼女は「既に勝った様なもの」という事らしいが、その通りだと思う。
彼女が勝利した相手とは誰か。
それは、馬鹿面下げて集まってきたグレタ・トゥーンベリの様な愚図共であり、ノン・バイナリーを正当化する様な醜悪極まりない楽曲を支持した連中であり、全ての反ユダヤ・反イスラエル主義者共である。
彼女が実際に披露した楽曲は「Hurricane」とされている。これは主催者側のEBUが、原曲の「October Rain」は政治的中立性に関する規則を違反しているとして楽曲自体の差し替えを指示していたところ、イスラエル側が折れて楽曲は差し替えない代わりに、曲名と歌詞の何割かを変更したものである。
何が政治的中立性とやらに引っ掛かったのかというと、主には「October Rain = 10月の雨」というフレーズである。
「10月の雨」というのはハマスによる2023年10月7日のテロ行為を示す表現な訳だが、普通に考えてハマスはただの破落戸な訳だから、政治的云々は難癖を付けたいにしても余りに陳腐というものであろう。
だが、この様に常識的な話には一切ならず、曲名と詞を変更せざるを得ない状況にまで至ったというのであるから、反ユダヤ、反イスラエルを煽るプロパガンダの威力には戦慄する他ない。
EBUが言外に示唆した意味はこう。
第一に、ハマスによるイスラエル襲撃は、テロでは無くてイスラムによる聖戦。
次に、ユダヤ人がハマスに殺害されるのは自業自得であり、それを追悼する権利など無い。
従って、イスラエル人はイスラム教徒に黙って殺されていれば良い。という事である。
何もこれはEBUだけに言えることでは無い。イスラエルを侵略者扱いする者、イスラエル軍によるガザ地区の非戦闘員殺害を悪行呼ばわりする者、ユーロビジョンでゴラン氏にブーイングを浴びせた者、コイツ等は本人の自覚有無に依らず、同じ事を言ったに等しい。
2024年ユーロビジョン決勝の5月11日、会場は異様な雰囲気であったという。外では1万人の反ユダヤ左翼が抗議と称してバカ騒ぎし、多数の逮捕者を出す。会場内はブーイングの嵐である。
ゴラン氏はブーイング対策として、その様な状況でも平静を保てる様、チームのメンバーにブーイングさせた状況で歌う練習を積んできたという。
そんな彼女に対し、同じイスラエル人で女優のガル・ガドット氏は電話で以下の様なメッセージを届けた。
私にはたくさんのアンチがいる。私のせいで映画がボイコットされた国もある。そんなことはどうでもいい。ヘイトをばらまく人間のほうが負けなんだから。
シンプルなメッセージだが、誠にその通りである。
イスラエルが停戦すればガザ地区の民間人は死ななくて済むなどという勘違いをし、反ユダヤ左翼デモを展開する様な負け犬共は、毎日寝る前にガドット氏のメッセージを思い出すべきである。
ゴラン氏は自分目掛けた悪意に晒されながら、投げ出さず、逃げ出さず、自暴自棄になるのでもなければブチ切れて怒鳴り返したりもせず、成そうとした事を精一杯成し遂げてみせた。
見出し画像はゴラン氏その人であるが、写真にある様に、悪意渦巻く会場内で、あの様にイスラエル国旗を掲げてみせたそうである。
当日、会場の警備がどの程度のものだったかは知らないが、命懸けの行為である事は彼女も理解していたであろう。
何しろ相手は反ユダヤ左翼であり、場所はレイプ天国として名高いスウェーデンである。銃器や爆薬、刃物を持ち込んで襲撃する様なバカが潜んでいる可能性は決して低くない。
彼女の勇気には、頭が下がるとしか言い様が無い。
アーティストにとって作品の内容を変更させられるというのは、屈辱以外の何物でもなかろう。バカメディアが報じるには、以前にもEBUは楽曲に対して何某かの変更を指示し、それを受けて出場者が辞退するという事例があったらしい。
具体的にどの様な変更が指示されたのかは知らないが、何しろハマスのテロに対する意見を「政治的」呼ばわりする極悪組織なのだから、碌ものではない筈である。「辞退」というのは正常な判断だろう。
何故にゴラン氏は屈辱を受け入れてでも尚、出場する事に拘ったのか。それは、正に「10月の雨」が降った2023年10月7日以降、イスラエルへの理不尽極まり無い悪意が爆発的な拡がりを見せているからである。
2014年のガザ侵攻時も酷かったが、その空気感が落ち着いてきた(と言うか、左翼が飽きた)のも束の間、またまた開始されたイスラエルバッシング祭りである。
その様な情勢だからこそ、殺された同胞の嘆きを、残された者の悲しみを、ユダヤ差別の愚かしさを、イスラエルの正当性を、自分に出来る精一杯の形で発信したのである。
イスラエル人の作家、ヘン・マツィグ氏はXに以下の様な投稿をした。
いろいろなことがあった後で、この驚くべき20歳の天使は、多くのブーイングを浴びながら、全ヨーロッパを前にステージに立ち、私たちはユダヤ人を非難する連中が言うような存在ではないことを思い知らせた。私たちは強く、たくましい。
「思い知らせた」というのは実に洒脱な表現である。
実のところ、殆どの反ユダヤ左翼が思い知ったかと言うと、全く違うだろう。おそらく、殆ど誰も「思い知ってはいない」筈である。
では、何処の誰が「思い知った」のかと言うと、以下の様な人物である。
先ずは、レジェップ・タイイップ・エルドアン / アリー・ハーメネイー / アブドゥッラー・ビン・アル=フセイン / ナジーブ・ミカーティ / バッシャール・アル・アサド / アブドゥルファッターハ・エルシーシなどの、周辺アラブ諸国の極悪首脳連中。
次に、マフムード・アッバース / ムハンマド・シュタイエ / サイフ・アル=アデル / なんちゃらアル・クラシ / イスマーイール・ハニーヤ / ヤヒヤ・シンワルといった、テロを煽動する犯罪者。
そして、ジョー・バイデン / 習近平 / ウラジミール・プーチン / リシ・スナク / オラフ・ショルツ / エマニュエル・マクロン / ジャスティン・トルドー / 岸田文雄 / アントニオ・グテーレス / ウルズラ・フォンデアライエンら、左翼・全体主義系詐欺を展開する為にイスラエルの消滅を願うクズ共。
ゴラン氏の勇姿に「思い知らされた」のは、己の私利私欲で反ユダヤを煽る、或いは容認する、コイツ等の様な人間の屑である。
グレタの様な有象無象の反ユダヤ左翼が何故にゴラン氏のパフォーマンスで「思い知らされなかった」のかと言うと、この愚図共は単に上述した連中に騙されているだけの情報弱者に過ぎないからである。(唯一、岸田文雄だけは微妙で、ひょっとして煽る側では無く、洗脳される側の様な気がしないでもないが、それはどうでも良い事である。)
左翼、全体主義というのは詐欺師の一形態と見做すことが出来る。裏を返せば、本当の意味での「左翼」は極少数に限定されるという事である。
人類の敵たる本当の意味での左翼にこそ刺さったという意味で、マツィグ氏の投稿は実に秀逸である。
プロパガンダによって正当化された醜悪なる思想のもと、大切な作品に唾を吐かれ踏み躙られる。クリエイターやアーティストにとって、これ程の屈辱はあるまい。まして、October Rain は理不尽なテロによる犠牲者への鎮魂歌でもある。それをも否定される屈辱が如何ばかりか、私には想像する事すら困難である。
EBUのワガママによって、過去には出場者が辞退した事例もあるらしいが、ゴラン氏も辞退という選択肢は持っていた筈である。
にも関わらず、彼女が屈辱を甘んじて受け入れたのは、アーティストとしての想いでは無く、イスラエル人としての自分を優先したからに他ならない。
前者を優先する事と後者を優先する事。本来この2つに優劣は存在しない。だが、世界が反ユダヤ・反イスラエル思想を瘧の如く内包するこの世にあって、ゴラン氏の「イスラエル人である事」を優先した行動は最大級の賛辞を与えられるべきである。
昨今、愛国心よりも個人のアイデンティティーを重んじる空気感が不気味な拡がりをみせているが、愚かな事である。
南モンゴルやチベットを見るが良い。国際社会というのは、暴力とプロパガンダがモノを言う無法地帯であり、強きが弱きを挫く弱肉強食の世界である。弱き国家は支那の様な極悪国家に蹂躙されるのみであり、個人など一溜りもない。
自由な人生を謳歌したければ、人は正しき国家の庇護の下、強き国づくりの一助足らねばならない。
エデン・ゴランさんの勇気と信念に敬意を表する。
October Rain 原曲歌詞(英語/ヘブライ語)
※補足①:それはそれとして
それはそれとして、単純にメッチャ美人だと思う。
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