世紀の愚策 「EVに補助金」
「経産省がEV補助に“格差”---日産・トヨタは「満額」、BYDなど海外勢は軒並み「減額」[新聞ウォッチ]」
(RESPONSE)
我等が祖国日本には、「お天道様が見ている」という精神性が受け継がれている。
例えばどういう事か。
「日本人でありながら」、「敵性国家たる支那の自動車を」、それも、「苛烈な人権侵害の果てに製造された支那製電気自動車を」、「日本政府が用意する補助金を利用して購入する」といった恥知らずな行為は、例え法的に禁じられてはおらずとも、周囲の誰から止められる事は無くとも、安価な電気自動車が必要な状況だったとしても、お天道様が見ているからしない という事である。
ところで引用した記事だが、一体何を言いたいのだろうか。
記事自体はあくまでストレートニュースの範疇を超えない様に書かれているが(若干超えている気もするが)、何かこう、批判的な雰囲気を醸し出している様に感じるのは気のせいであろうか。
最後の、「少なからず違和感を覚える人もいるようだ」という部分だが、何に対して「違和感」を感じるというのか。
まさか、支那製の電気自動車にも日本製の電気自動車と同額の補助金を出すべきと言うのではあるまいな?
もしそうだとしたら、これはとんでもない話である。
どれ程とんでもない事なのか。
「お天道様が見ている」どころか、「お天道様が見ていようが関係無い」にすら止まらず、「お天道様など破壊してしまえ」と言わんばかりのとんでもなさである。
そのとんでもなさを詳らかにしてみようというのが、本投稿の主旨である。
〜第一段階:支那の電気自動車〜
支那は極悪国家である。
人権侵害はするわ、他国を侵略するわ、環境を破壊するわ、他の極悪国家は支援するわ、自由経済を破壊するわ、宗教には非寛容なクセしてイスラムのテロを支援するわ、滅茶苦茶である。
電気自動車についてであるが、これに関しては「人権侵害」と「自由経済の破壊」が深く関わってくる。
支那の電気自動車が何故に安価なのかと言うと、電気自動車メーカに対して行われる支那政府の補助と、原材料採掘から製造に至る過程で行われる“多様な”人権侵害である。
前者はWTOのルール違反。後者は人としてのルール違反である。
自動車の様な工業製品について言うと、まだある。
支那国外で製造された自動車には15%の関税が掛けられており、これを回避すべく支那国内で製造しようとした場合、支那国内企業と合弁会社を設立せねばならない。その上で、この合弁会社の株式を国外企業は49%までしか保有出来ないというルールが設けられている。
電気自動車に対する補助金は、日本のみならず世界各国で行われているが、支那政府は補助金支給の条件に、「支那政府が指定するメーカのバッテリーを採用する事」を義務付けている。
翻って日本はどうか。
引用した記事にある様に、ようやっと補助金支給額に差を付けるらしいが、別に「日本製バッテリーを搭載していなければ補助金支給の対象にしない」というルールを設けている訳で無ければ、15%の関税を設けている訳でも無く、「日本国内で製造するなら日本企業と合弁会社を作り、株式は49%までしか持つな」というルールを課している訳でも無い。
上述した様に、支那側は理不尽な要件だらけである。日本政府も支那メーカに対し、最低限同じルールを課さなければならないのは明白である。
支那製電気自動車の低価格は、数々の人権侵害、支那政府のルールを無視した政策、更には、各国に巣食う支那支持者の工作によって実現された、極めて醜悪なものである。
これを購入するといった恥知らずな行為は、例え法的に禁じられてはおらずとも、周囲の誰から止められる事は無くとも、安価な電気自動車が必要な状況だったとしても、お天道様が見ているからしない という事である。
〜第二段階:補助金〜
前項で「支那製の電気自動車に補助金を付けることのおかしさ」を詳らかにした訳だが、それは枝葉の問題に過ぎない。
そもそも何処の国製であろうが、電気自動車に補助金が付くというのは何なのか。有史以来、政府による補助を必要とした製品、サービス、産業は存在しない訳だが、何故に補助金などという愚策が罷り通るのか? という事である。
昨今、「EVシフトが鈍化」という報道を目にするが、そもそも商業的に採算の合わない製品(※補足①)を補助金で無理矢理売っていたのだから、補助金を縮小したら販売も縮小するという、単にそれだけの事である。
自動車というのは交通インフラである。嗜好品としてよりもそちらの役割の方が圧倒的に大きい。従って、普及のカギは価格である。元は、エンジン車が広く一般大衆にまで行き届くほどの安価を実現出来たからこそ、交通インフラの要となったのである。
だから、電気自動車がエンジン車に取って代わるとまでは行かずとも、用途や地域によって電気自動車が交通インフラの仲間入りを果たすには、兎にも角にも安価でなければならない。
コレを補助金で下駄を履かせて無理に補おうとしたのが、近年叫ばれる「EVシフト」の正体である。
冷静に考えて、例えば日本では新車販売台数が年400万台以上あるが、EVシフトでこれの半分を電気自動車に置き換えようとすると、少なく見積もっても200万台である。それだけの数に何十万という補助金を付け続けられる訳が無い。
無理に補助金制度を維持しようとしたら、待っているのは圧倒的な増税である。左翼岸田政権は増税に余念がないが、ヤツ等のやってきた増税がオママゴトと思える程の増税が必須になるという事である。
左翼というのは詐欺師の一形態と見做す事が可能だが、詐欺師的にも騙す相手が干上がってしまっては元も子もない。
補助金政策というのは、いつか終わりが来るものである。「EVシフト」が100%補助金頼みである以上、矢張りいつかは終わるという事である。
終わらないとすれば、補助金無しでランニングコストなども加味し、エンジン車に伍するだけの価格競争力が電気自動車に備わった時であろう。
別にこれまで、「電気自動車が無いから困る」という事例が幾つもあった訳では無い。少なくとも私は聞いた事が無い。
にも関わらず、上述した様に愚策中の愚策たる補助金政策を導入してまで「EVシフト」が煽動された理由は何なのか。
補助金政策というのは詰まるところ、左翼が利権にありつく為の手段に過ぎない。
その様な制度に関わるという恥知らずな行為は、例え法的に禁じられてはおらずとも、周囲の誰から止められる事は無くとも、安価な電気自動車が必要な状況だったとしても、お天道様が見ているからしない という事である。
〜第三段階:気候変動〜
電気自動車に補助金を付けるなどという暴挙が罷り通る要因は何なのかというと、気候変動である。
「気候変動」は左翼、全体主義者が考案した詐欺の一種である。
従って、電気自動車に補助金を付ける政策は一片の正当性も有しない。
ところで、先の一文で支那の環境破壊を批判したが、これはCO2の排出を批判したものでは無い事を明記しておく。
ヤツ等がやっている環境破壊は、「人為的に排出された温室効果ガスによって気候が変動⚪︎×▲%&$!」という様な妄言とは一味違う、ホンモノの環境破壊である。
「気候変動」への対策が急務と叫ぶ行為は、お天道様が見ていなくてもしてはならない という事である。
支那製の電気自動車に対し補助金額を絞るという政策は、最低限を遥かに下回る、極めて低次元な話である。
その前に、電気自動車への補助金支給自体を批判しなければならない。
更にもっと前に、「気候変動」対策としての電気自動車推進を批判しなければならない。
電気自動車は用途次第で、自宅で充電出来るというメリットによって生活の利便性を大きく向上させられる、素晴らしい発明である。
だからこそ、左翼の詐欺行為に利用される現状が残念でならない。
「EVシフト」は実際のところ、電気自動車の進化を阻害する政策である。補助金で下駄を履かされる事で現状の実力を正確に理解されず、支那の様な極悪国家が牛耳ろうとする事で凄惨な人権侵害が跋扈する。
電気自動車を保有したい人も、そうでない人も、皆一丸となって「EVに補助金」という愚策にNOを突き付けねばならない。
※補足①:商業的に採算が合わない
電気自動車自体もそうだが、電気自動車に関連する様々な製品、サービス、産業は商業的に採算が合わない。
例えば電気自動車の充電インフラであるが、普通充電なら大した事は無いが、急速充電など何の採算性も無い。
よく、バカが「充電設備が増えないからEVが普及しない」とか言うが、採算の合わないインフラをどの様に普及させろというのか。
ここで、「政府がカネを出せ!」と叫ぶのが、左翼という名の詐欺師であり、それに騙される愚図である。
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